なんでも6割でOKでしょ。
「ともさん、5年後の心配してませんか?」
この言葉をかけられた時、めちゃくちゃ恥ずかしいと思ったと同時に、感謝の気持ちが込み上げてきた。
言葉にしてくれてありがとう、と。
私は基本的には心配性だ。
なんでも始める前に、こうなったどうする、ああなったらどうする、など、問題が発生した場合の想定をしっかりしてから物事を開始する。
サラリーマンとして、それは大事なことだ。
ただ、その恥ずかしい経験以降、問題は発生したら考えればいいじゃんと思えるようになった。
それまでは、なんでもかんでも心配ばかりしていた。
責任のある立場になればなるほど心配の数は増えてきた。
例えばUber Eats。
私がビジネスの発案者だとして、おそらく「配達する人が集まらなかったらどうしよう」とか、そもそも「加盟店が増えなかったらどうしよう」とか考えるタイプだった。
そんな奴にはもちろん新規事業やビジネスなんて思いついても一生実行に移すことはできない。
新しいことを考えたとして、問題点ばかりをリストアップする輩だからだ。
そんなことよりもまず始めてみる、問題が発生したらその時に考える、そうして生きていったほうが何かと楽しい。
だから、そう生きるようにしている。
でも、長年の無難な生き方のせいか、長男であるせいか、安全に生きることが体に染み付いてしまっている。
今、その染み付きを拭いながら生きているというわけだ。
以前も書いたかもしれないが、小学生の頃、プールで飛び込みができなかった。頭の上で両腕を伸ばして、頭から突っ込むあれだ。
とある友達が、頭から無様な格好で飛び込んでいた。
それを心の中で「かっこワル」と思いながら笑っていたのが私だ。
数ヶ月後、その「かっこワル」の彼の飛び込みは「カッコイイ」ものに変わっていた。
ビジネスでもそうだ。
最初はカッコ悪いものだ。
知識も経験もあまりなく、見ていて危なっかしい。
でも、みんな最初はそうだし、最初からカッコイイなんてことはない。
最近YouTubeを始めた。
今、チャンネル登録者数は22名だ。
これ、超カッコ悪い。
普通なら登録者数を表示できないようにしてもいい。
でも、感性が狂ってきたのか、カッコ悪いとは思わなくなった。
むしろ、こんな無料でできる遊び(ゲーム的なビジネス)、やらないほうがカッコ悪いと思っている。
YouTubeが全てとは限らない。
このNoteだってそうだ。
有料記事で月数十万円売り上げている人がいる一方、売りに出しても全く売り上げの立たない人もいる。
今さら始めたってもう遅いとか言っている暇があったらまず始めてみることだ。
売り上げだって、最初の100円からみんな始まっているはずだ。
かつて、パチンコで勝ったら友達は、買った時しかパチンコの話をしなかった。(ちなみに今は全くやりません)
人間なんてそんなものだ。人の話なんて片耳で聞いておくぐらいでちょうどいい。
何事も始めるのに遅いということはない。
自分がやりたいなあと思ったものがあれば、まず手探りでもいいから始めてみることだ。
私のYouTubeの編集の腕なんてひどいものだ。
ただ、1作品ずつだが、洗練され始めている。
編集ツールもとりあえずわかる機能から使ってみる。無料のツールで。
完璧は目指さない。6割でOK。
なんでも6割でOKでしょ。
そして、起きてない問題については考えないこと。
「知らない」は、ある意味無敵だ。