【保護犬との生活】「飼わない」という最善の選択
購読者数の少ない私のNoteの中でもこの記事は比較的多く読まれている。
そう、「ペットを飼うことの責任」について。
ペットを「買う」ことの責任と言い換えても良いかもしれない。
何れにしても、ペットを所有し始めたら、それは一つの命と付き合うことを意味し、つまりは最後まで付き合っていくということだ。
私の場合、保護犬の里親になり早5ヶ月目。
日に日に図々しくなっていく愛犬ラブリが可愛く、今も大切に付き合っている。
今6才なので、元気でいられるのはあと5〜6年くらいかな。
寿命としては15才ぐらいまではいくのかな。
何れにしても、犬の1日は人間でいう一週間だと思って、大切に共に生きて行こうと思っている。
元保護犬だからといって、過保護にする必要もない。
だから、YouTuberとして働いてもらうことになった。といってもまだまだ収入はゼロだけど。
YouTube始めると、色々出かける時でもその意味合いが濃くなって、なかなかの好循環だと思っている。
英語で作っているのは日本以外でバズらないかなあという淡い期待を込めて。
話は逸れたが、ペットを飼う事の責任というのはやはり大きいと思っている。
今、テレビをつけると結構保護犬に関する特集も目にするようになった。
世の中には優しい人が多く、保護犬の心を開かせようと日々尽力している人がいる一方、動物を金を生む道具としてしか考えていない人たちもたくさんいる。
日本はペットショップのようなお店で犬や猫の命が展示され、容易にそれら命を買うことができる、世界でも非常に珍しい国らしい。
まずはこれらペットショップなる存在の撲滅からかな。。
そもそも絵画が展示販売されるかのように、命が展示販売されているってどういうことなんだ。。お金出せば容易に購入できる命ってなんだんだ。。
容易に入手できるものは容易に捨てることもできると思ってしまうじゃないか。。
おっと、ちょっと熱くなってしまった。
何れにしても、命を軽んじてはならないということだ。
また、逆に、人間様が動物たちペットの面倒を見てやろうなどとも思わないことだ。
おしっこやうんちの処理は人間である我々がしないとならない。しかし、それ以上に犬や猫はたくさんのことを人間に教えてくれる。
そして最後に、「飼わない」ということも犬や猫など動物を愛するものとして一つの最善の選択であるということ。
「飼わない」という立派な選択をしたことで、犬猫などペットと呼ばれる動物たちが幸せで暮らせる(より最後まで愛してくれる人と出会える)チャンスに恵まれるということ。
そんなことを深く考えるきっかけをくれたのも愛犬ラブリだったりする。