適当こそが人生の最適解
どうもニジルです。
ママがイタリアに出発してかれこれ4日目
親から見た子どもたちの感覚をシェアします。
まずは息子氏(娘ちゃんは後述)
なんというか、平々凡々と何事もなかったように
今日も朝6時に起きてトイレ行って
(相変わらず失敗せず、というより失敗想定を覆しつつ)
自ら塩昆布ととろろ昆布の袋を持ってきて
食べるというルーティーン
君は相変わらず、海藻兄弟かい?笑
一通り満足すると、別邸(祖父母)
のところに出かけて行って
朝食第二ラウンド
君は御飯があればそれでいいのかなと
少し要らない心配をする親父でした。
昨日寝付くまでに
ママがいいと2言だけ。
逆にそれが切なさを醸し出すものの
朝までぐっすりな様子を見ると大丈夫か
すごいな3歳児、、、
めちゃ大人やんけ。。。
と感心しっぱなし。
週末になってくるし
なんだか大丈夫そう。
もし仮に崩れてもそれは
当たり前な気がするし、いつでもカバーOK状態です
そして一方の娘ちゃん
先日の記事では向き合って
話合ってと大丈夫そうな様子でしたが
さすがにお年頃
一筋縄ではいかなかったところがあり
学校からお電話リンリンで状況を教えていただきました。
ニジルの個人的見解では
学校に行けない、授業に出たくない
その気持ちを無視して、気合で行けとは
言うつもりも全くないです。
一方で
保健室にわざわざ迎えに来てくれるお友達
これでもかと目をかけてくれる担任の先生
勉強を教えてくれる祖母
ママが不在というのもあるとは思います。
それでも応援してくれる人がたくさんいること
それを当たり前と思わないで欲しいなと
親心が交錯しています。
アドラー心理学の課題の分離
かつて人間関係で悩んで窮地にいた時に
考えかたとして救ってくれた
マインドセットのひとつ。
学校に行って欲しい
なんとか授業に出て欲しい
友達と絡んでくれたら
これは大人の事情であり
娘ちゃんにとっては優先順位が高いものではない
では娘ちゃんの心のうちはどうなんだろうか
応援が必要ないのか
授業の何が嫌なのか
出来ないことが嫌なのか
友達が嫌なのか
場の空気感が嫌なのか
候補はたくさんあれど
どれもクリティカルなものではない
特定の何かが嫌で行きたいわけではない
今日も朝友達と一緒に登校は
いつも通り。
学校に行きたくない、わけではない
保健室は居心地がよさそう
苦手な科目は避けたい
引き寄せの法則が見事働いて
強力に作用させていて
寸分もたがわず達成しているさまは
正直娘ながら圧巻です。
一方全力で楽しくない状況であるなら
言い訳もあると思いますが
世界を見る見方
自分のものを見る視点を変えないと
晴れた世界はやってこないと
諭しました。
余談ですが、娘のスマホが調子悪く
たまたまママが使わなくなった2台前の
iPhoneを使えることに。
娘曰く、iPhoneを使ってみたかったと。
もはや巫女かなにかでしょうか?
事実だけ見るなら
不要になったスマホ壊れる
新しいiPhone手に入る
こんだけ綺麗に作用していると
なにか事象だけみるなら
真善美すら感じる
と、あれこれ書いていて
どうにかしなきゃと悩んでいた親父ことニジル
こんだけ現実動かす力あるなら
もう心配しなくていいか、笑
どうせ人生良くなるんだから
お互い
あんまり考えすぎるのも
よくない気もしてきたので
(自分自身もINFJで禁句の言い回しながら)
この意味で課題を分離してみようかなと
昨日たまたま見かけたインスタに
最高齢のインフルエンサーを目指す
おばあちゃんの名言がありました。
「人生適当でいいの。その方がうまくいくからね~」
そろそろ本気で適当をやらなきゃ?
適当を体現していったらいいんじゃないか
そう何かのセンサーが働き出しました。
今日はもう仕事しない!笑
ということで
今日も最後まで読んでいただき
ありがとうございました。
ニジル