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私の怒りが行方不明。

今日、いい事があった。

特段何かという訳ではないが、私の心が楽になる出来事があった。

私の母は、愚痴や相談事を娘に話しがちだ。

姉と私の娘が2人いても、私の方にだけ。

それがストレスだった。

もう子どもの頃からだから変えられるはずもないが…

でも私も、もう1人の娘の親。

娘に全力でいたいのだ。

母に話さないでほしい、嫌だと言えば、泣く、怒る為、どこかいつも罪悪感があった。

今まではそれで良しとしてきた。

怒るのも言うのもめんどくさくなり、ここ何年かは私の怒りは行方不明だった。


でも娘が変えてくれた。

毎日が大変で、でもふとした瞬間に喜びのある育児に、母の事を考える余裕が現実的に難しくなってきた。

久しぶりに私の中に怒りの感情が芽生え、「もう聞きたくない」と言えた。

そして、忙しくても出ていた電話を無視する事ができた。

やはり不機嫌になる母を心のどこかで罪悪感に感じていたが、しばらく連絡はしなかった。

母からの連絡もしばらくあいた。


2、3日に一回は連絡がきていたので、珍しく2週間も連絡があくと、自暴自棄にでもなっていないか…と不安になった。

勇気をだして久しぶりに連絡をした。

そしたら予想だにせず、元気であった。

母は自分で自分の問題を対処できたのかな。

久しぶりに愚痴以外の母の明るい声を聞けて嬉しくなった。


毒親や、依存関係にある親子に多いのが自分と相手の境界線が曖昧になる事だ。

相手の問題を自分のことの様に悩んだり、問題を引き受けてしまったり。

正に私はそれを今までしていたのかもしれない。

私が母の問題を自分の事のように悩んだり、引き受けたりする事で、母は自分の問題解決能力を失ってきたのかもしれない。

私の好きな母は、明るくて逆境に強い母だった。

時に落ち込んで寄り添う事は大切だけど、それ以外の相手の問題は、本人にしか解決できないから、横取りせず向き合わせてあげる事が、本当の幸せだったり思いやりなのかもしれない。

とは言っても、今回たまたま母が明るかったのかもしれないし、嫌な態度がまたあるのかもしれないけどめげずに伝え続けていこうと思う。

ここ何年か怒る、という感情を母に対して持てなかった私が、娘によって母に対して怒る事ができた。

これは、すごく進歩だと思う。

自分の感情を大切にできたという事だから。

結局、自分発動の感情が母親にいい反応をもたらして、自分が幸せに感じるのなら、罪悪感を感じる必要はないと思った。

何年も罪悪感を感じて、変えられなかった私の行動を変えてくれた娘に感謝して。

今日はよく眠れそう。


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