「見守る」という支え〜「無関心」と「過剰」の間で
こんにちは。イラストレーター1年生のTOMMY-ZAWAです。
先週から感じていたことを寝かせて、文字にしたいなと思いnoteを今日書いています。
私なりに考えた、「見守る」という「支え」=「応援」のことです。
◆2つの反応
最近、ふたつのことをよく考えていました。
それは、自分のなかにある(誰もが持っている)2つの反応です。
・無関心
関心がなかったり、それに対して知識がなかったり。 また、どうリアクションしていいのかわからなかったり。
・過剰反応
もうひとつは、逆に反応が大きすぎる。気にしすぎる。自分の主張が強かったり、場合によっては相手を傷つけたり。
我々は、それぞれの価値観があって、違う環境で生きているので、ふたつの反応があっても、しかたのないことだと感じています。
◆どちらも正解でないときもある
友人やSNSで応援したい人たちについて考える時に、置き換えてみました。
「無関心」⇒そもそも、その人のことを考えているのか伝わらない。その人のことを知ろうとしていない。その人に対して失礼。
「過剰反応」⇒自分のエゴを押し付けていないか。その人に無理な「頑張れ」を強いていないか。
と、場合によっては「正解」ではないのでは?と感じました。せっかく相手のことを思っているのに、マイナスになっては、どうしようもないですよね。
◆「見守る」という支え
それでは、どんな「支え方」があるのか。
それは、「見守る」ということです。特別な言葉をかけなくても、「気にかけていること」を伝えることは、とても負荷の少ない「支え」になると思います。
例えばSNSの「いいね!」ボタン。
特別な言葉よりも、見ているんだなという支えになると思います。
例えば、月イチの「LINE」。
頻繁に連絡していないけれど、元気にしているか気になる人への、
「最近元気にしてる?」は嬉しいです。
例えば、家族への「電話」
特に用事はなくても、声をきくだけでお互いの無事が伝わると、お互いが安心して夜を迎えることができます。
「見ている」だけでなく、無理のないやわらかい反応こそが、「見守ること」だと思うのです。
◆「見守ること」
心の距離または物理的な距離が、離れているときこそ、「見守る」くらいが心地よかったりするそうなので、
特に過剰反応(=「〜しないといけない」という気持ちが入ってしまう)には要注意ですね。
ではまた。