自分の使命ってなんだろう。
イタリアで行われるコンペで素敵なのがあったので応募を考えている。ヨーロッパの展覧会は洗練され作品の奥行きもあり、商業主義のアメリカとは違う格調高さがあった。
以前企画展に参加させていただたイタリアのギャラリーのHPがリニューアルされたというので、覗いてみた。コレクションの欄に私の名前があったので感動した。5年ほど前に展示した作品が販売されているようだ。
海外といえば詐欺に遭う人も多いようだが、ちゃんと誠実に繋がれていることが嬉しかった。
「芸術は競争の世界ですよ」とよく言われるので、周囲を見回してみる。多くのアーティストが世に認められるのに必死だ。美大時代からそれは感じていて、そのような野心的なアーティストからよくマウントを取られてたから、そういう世界なのは知っている。
正直私は、画家として認められようとして描いてきたのではなかった。幼少期から引きずってきた生きづらさの元を突き止めて解決したいというのが最も強い原動力だった。世界と自分につながりを持ちたかった。私の創作が絵画にとどまらず、文章や占星術などにも広がっていったのはそのせいだ。
私に創造活動をさせた両親も、心から表現というものをしたかったに違いない。芸術がどういう世界か知らなくても、心から湧き出るような感動を表現してほしい、生きる喜びを感じ、その生き方を認めさせてほしいという願いを私に託したのだと思う。
大人になる途中でわかったのは、絵を描くから尊敬されるとか、承認されるというのではない、ということだ。人と違ったことをしていると注目されるかもしれないが、尊敬され認められるのとは違う。本当の承認とは、なんの不安もなくありのままの自分で人に与えたり受け取ったりできることだ。私はそれを、恋愛や結婚など、リアルな心の触れ合いから学び、自己承認を経験し、心の豊かさを育んでいけた。
今私は優しい夫と、賢い娘がいる。困ったときは助けてくれる友人もいる。お金のことは心配だけど、安定しているし、どのように生きていけばいいかも自分でわかっている。このような人生を歩いてこれたのは、私の幸運であり収穫だと思う。この時点で、幼少期の自分が願っていたことの概ねは実現していた。
自分の使命が絵を描くことだったら、やはり芸術家のサバイバルの中で切磋琢磨したのだろう。でも私の使命は、芸術それ自体ではなかったように思う。
今風の言葉で言えば私の実家は毒親家庭だった。いろんな呪縛で損なわれていた自分らしさを取りもどして愛を持って生きることを、ずっと追求してきた。
だから画家として成功したいから、社会に求められるような画風で量産して…という仕事は、職業にするならそれは必要なことなんだけど、自分の本質と違うことをやってもうまくいかないことは、これまでの経験から知っていた。
ちゃんと心が伴っていないと、私はうまくいかない。
それは、普段の人間関係と変わらない、ありのままの自分で人に与えたり、人からもらったりすることだ。
時代の最先端をいくべく、注目されることにしのぎを削っている人からみれば、「何甘ったれたこと言ってんだよ!」と思うかもしれないが、私のような人がいてはいけないというわけではないし、必要な人もいると思うので、自信持って行こう。
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