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女性の生き方や性について、少しプライベートな話も交えた記事を書いています。アート活動の…

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女性の生き方や性について、少しプライベートな話も交えた記事を書いています。アート活動の記事も少しあります。

最近の記事

人間関係にはいつも、YESとNOが混在している。

家にいてずっと制作活動をしていると、誰かの意見をもらいたくなるので、時々、夫にそれをお願いする。 夫はクリエイティブ業界の人だが、アートにはそれほど詳しくはない。的外れな意見が返ってくると私は怒ってしまう。もっと分かってよ、という気になってしまうから。 そうなると夫も傷つくらしく「もう俺に意見を求めるなよ」と臍を曲げ、しばらく絵の話(or創作の愚痴)は聞いてもらえない。 私はしばらく喉元から胸の辺りまで糞詰まりみたいに苦しくなって、夫の事情、言い分を理解しようと努めた後、ま

    • 「アート」で伝える準備はできていますか?

      8月に現代美術ギャラリーTAGBOAT主催のIndependent Tokyoに行った。これは作家がブース展示で参加するグループ展で、成績優秀者はギャラリー からオファーをもらったり、グループ展の機会を与えられるというものだ。 全体的に主張の強い作品が多く、平面にしても立体にしても、素材や見せ方など個性が際立っていた。 ブース前を通ると作家さんが気さくに声をかけてきて、作品について説明してくれた。私は作品がおもしろいと、作家がどういう人なのか気になってしまう。 技法を聞こ

      • 「令和」の風に吹かれても、昭和世代の居場所はちゃんとある。

        昨日、昭和のヒットソングをテレビで見ていた。尾崎豊や細川たかし、アンルイス、寺尾聡など、昭和時代を一世風靡した人たちが心の叫びを熱唱していた。当時の流行ソングは、エモーション直球のものが多く、よく会社帰りにカラオケで熱唱したなあと、懐かしくなる。 令和の風に順応しようとしてしまうのは、サバイバル欲求の表れだろうか。いろいろなところで目にする作品、特に若い人の作品は、「今、此処」を強く印象に残すことに競争している。承認欲求は若い人の特徴だが、その「今、此処」の表現は実に多様だ

        • エゴを持った猫は可愛い。

          さっき夫に娘が猫撫で声で、自分の好きなアニメを見てほしいとせがんでいた。夫はそういう時は、焦らすかのようにさらりと受け答えるのだけど、さらに娘が気を引こうと挑む。 このようにしている時の娘は一段と大人の猫のように見える。そしてそういう娘をあしらう夫もまんざらでもないみたいだ。 娘にとって夫は、ちょっと違う国の王様と言ったところだろう。芸術家肌の娘は、社会的地位と経験を持った王様に自分を認めてもらおうとあの手この手使って気を引こうとする。 夫は夫で、そのような娘から刺激を得る

        人間関係にはいつも、YESとNOが混在している。

          自分の使命ってなんだろう。

          イタリアで行われるコンペで素敵なのがあったので応募を考えている。ヨーロッパの展覧会は洗練され作品の奥行きもあり、商業主義のアメリカとは違う格調高さがあった。 以前企画展に参加させていただたイタリアのギャラリーのHPがリニューアルされたというので、覗いてみた。コレクションの欄に私の名前があったので感動した。5年ほど前に展示した作品が販売されているようだ。 海外といえば詐欺に遭う人も多いようだが、ちゃんと誠実に繋がれていることが嬉しかった。 「芸術は競争の世界ですよ」とよく言

          自分の使命ってなんだろう。

          新型コロナに感染した。

          新型コロナに感染した。もう本当に死ぬかと思った。 今はすでに自宅療養中だけど、「死ぬ」と思った経験をする前と後では、日常の見え方が違っていた。 コロナにかかる前、私はいろんなことで悩んでいた。自分がこうしたいとかいう感情を持て余したまま、前にも後ろにも進めなかった。 考えて続けていると息が苦しくなってきた。苦しいなら、自分の好きな方向へ行けばいいじゃん、そういたら楽だよ、という答えが頭に浮かんだ。その答えを受け入れると少し楽になったが、呼吸はだんだん苦しくなり、いてもたって

          新型コロナに感染した。

          無目的に飛ぶっていうのはもうできないよな。

          ニューヨークで行われたアマチュア作家展覧会のレセプション動画を見ていた。 この展覧会の謳い文句が、「ニューヨークでビッグなチャンスを掴んで世界へ羽ばたこう」というものだったので、作品も、なんだかぶっ飛んでいるものが多かった。なんでもokって感じで、レセプションでもライブパフォーマンスが行われ、作家さんたちがそれぞれの持ち味を生かしてパフォーマンスを披露していた。 うまいんだけど、素人だな、と思った。それでもいいんだろうな、楽しんで弾けることが目的なんだから。 この展覧会に応

          無目的に飛ぶっていうのはもうできないよな。

          暴力を好む人と、ファンタジーを好む人。

          オリンピックの柔道は、脱臼などの怪我人続出でまともに見ていられない。なぜって、自分は3度の脱臼経験者で手術までしているので、あの痛みがフラッシュバックしてしまうのだ。 夫は母国の応援に熱狂しているが、私はけが人が出るのではとハラハラする。スピード競技ならともかく、体操とか格闘技などは、脱臼する人が出てしまう方を心配してしまう。 痛いとか激しいとかは、昔から嫌いだ。テレビ番組や映画でよくある戦争の殺戮シーンは見ていられないし、暴力的な恋愛やセックスシーンなんかも昔からダメだ

          暴力を好む人と、ファンタジーを好む人。

          プロ作家は、人生と作品を、きちんと区分ける。

          今まで何度かグループ展に参加した時、そのグループ展に参加していた作家さんたちのグループにお招きいただいたことがある。だけど私はその作家さんたちと、どのように関わったら良いかわからなかった。 時々一緒に展示して、展示を手伝って、ちょっと近況を喋って、終わったらさようなら、という感じだった。アートのことを深く話すということまでしなかった。というより、私のアートって内面に深く関わっていたので、他の作家とシェアリングできるようなものではなかった。もっと技術的なことや世界観の作り方に

          プロ作家は、人生と作品を、きちんと区分ける。

          作家として、自分の思いを、届けたい人に届ける。

          インスタを見ていると、本当にいろんな環境でいろんな作品を作る作家さんに出会う。海外の国際アートフェアで大作を発表する人や、小さな貸しギャラリーで発表を続ける人など。皆それぞれ、自分の身丈にあった活動をしている。 デジタルアート始めてから10年くらいは、自分がどのような場所で活動するのがいいかわからず、誘われるままいろいろな展覧会にでた。企画ギャラリーに取り扱われることや、海外の大舞台へ行くことがいいことだと思っていた。しかしデジタルアートという異色な作品を作り、美術史の流れ

          作家として、自分の思いを、届けたい人に届ける。

          コミュニケーションとは、違う色の空気の触れ合い。

          海外に伝わる童話で「北風と太陽」という話がある。北風が旅人のコートを 脱がせるために、強風で吹き飛ばそうとすると、旅人は自分のコートを庇い、太陽が暖かい光で照らすと旅人は自分からコートを脱いだという話。 この話は本当によくできている。外から強制したり指示したりしても人は変われないけど、思いやりや愛を与えると人は満足して心を開く、ということだ。 太陽と旅人を思い、私もしみじみと暖かい気持ちになっていると、ふと高校時代に級友に、「智美って何考えているかわからない」と言われたこと

          コミュニケーションとは、違う色の空気の触れ合い。

          「夢」に支援が集まる。

          最近クラファンが始まり、プロモーションで忙しい日々を送っている。CAMPFIREでは企業が斬新なプロジェクトを打ち出し何百万、何千万という資金を集める中、アーティストの弱小個展に出資してくれる人は少ない。それでも私のために出資してくれる方には本当に感謝しかない。 宣伝プロモーションに気を取られてばかりでもいけないので、暇を見つけて制作をする。忙しいと気が散りがちなので、マインドセットするためにYOUTUBEチャンネルを聴いていたら、大愚和尚のお話が流れてきた。 ある女性が

          「夢」に支援が集まる。

          母と私の埋まらぬ溝

          子供の頃から母が私に言い続けていることがある。 ・男の子と遊びまわっている女の子なんてしょうがない。 ・親戚は口ばっかりで役に立たない。 ・お父さんが動かない ・お金は? ・体を大切に。 ・あなたは一人遊びが好き ・あなたは人間関係が下手 ・死ぬときは面倒みて お父さんはもう死んでしまったから、残り5つは傷の入ったレコードみたいに、何度もリフレインして、昔から変わらない。 もうだいぶ大人になって何十年も経っているのに、母の私のラベルは変わらないのだ。 そんな母でも、私

          母と私の埋まらぬ溝

          作品を「世に出す」ということは。

          note創作大賞の受賞者と編集者によるトークイベントに参加した。私は今、小説を書かないけど、受賞者がどのように作品を作っているのか、出版社がどのように受賞作を決め、本を作っているのか知りたかった。 受賞者の二方は面白い方達で、一方は初めて小説を書いたという方、もう一方は実力がありそうだったがネットではあまり読まれない、という方だった。しかし、タイトルとあらすじは読者に興味を持ってもらえるよう工夫を凝らしているようだった。 編集側は、選考時、読みたいと思った作品しか読まない

          作品を「世に出す」ということは。

          アートでエンターテイメントする。

          知人のサイトに、彼が参加するらしい絵画フェスティバルが紹介されていた。彼はとても活動家で、しょっちゅう何かしらのイベントに出ては友人知人を増やしている。その行動力がすごいなあと思いながら、なんだかチェックしてしまう。 でも、彼の作品が好きかというとそうでもないので、直接連絡したいという気にはならない。日本に住む私からみると彼の国のアートはまだシズル感に乏しいので…。でも、よその国の賑わいや嗜好が、ほぼ引きこもり生活の私には程よい刺激になる。 でもこれもちょっと依存症気味にな

          アートでエンターテイメントする。

          清涼感を切り取る。

          新宿世界堂へ行った帰りに伊勢丹のアートギャラリーによってみた。そこで中津航さんの作品に目が止まった。 清涼感が伝わってくる。鮮やかな色彩と、さっさっと素早く走らせた筆跡、淡々としてシンプルなんだけど、この爽やかな一瞬を切り取った空気感が巧い。 こんな情景、私もみたことがある。 そうそう、中学生の頃、部活の帰りだったかな。思い切り汗をかいた後、冷たい飲み物を飲みながら、こんなパステルカラーの光景を見て、その時好きだったこの子とを考えていた。 忘れていた青春の日々を思い出して

          清涼感を切り取る。