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「令和」の風に吹かれても、昭和世代の居場所はちゃんとある。

昨日、昭和のヒットソングをテレビで見ていた。尾崎豊や細川たかし、アンルイス、寺尾聡など、昭和時代を一世風靡した人たちが心の叫びを熱唱していた。当時の流行ソングは、エモーション直球のものが多く、よく会社帰りにカラオケで熱唱したなあと、懐かしくなる。

令和の風に順応しようとしてしまうのは、サバイバル欲求の表れだろうか。いろいろなところで目にする作品、特に若い人の作品は、「今、此処」を強く印象に残すことに競争している。承認欲求は若い人の特徴だが、その「今、此処」の表現は実に多様だ。
オンラインで知識の収集、ネットワークの構築に長けている若者たちは、知的経験値が高いが、どことなく浮遊感がある。かき集めた情報を手がかりに、真の絆を結ぶための「信頼」を探っているようにも見える。

私も令和世代の浮遊感を取り入れようとトライしてみたが、若い人のようにうまくはいかない。「今、此処」だけでは自分を語り尽くせないもどかしさがある。昭和時代に経験したことを、無きものにできないからかもしれない。私は「過去」という踏み台があるからこそ、今から未来へと高く跳べるのだろう。

昭和のエモーションを体験した私たちは、自分の「帰る場所」を知っている。
家、居場所。安らぐ場所。
第二次世界大戦敗戦、企業戦士、受験戦争……。心と体の限界まで追い込まれ、生き抜いたからこそ、安らぐ場所を知ることができた。

私は今、54歳。令和世代にない宝をたくさん持っている。いろんな闘いと痛みと、喜びを携えた私が、思い、感じ、表現することは、同じ体験をしてきた人たちに届くだろう。
時代の風がどのように吹こうと、私たち昭和世代の居場所はちゃんとある。今あるものに感謝し、これまでの自分を労り、「今、此処」を存分に感じて、生きていきたい。


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