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プロ作家は、人生と作品を、きちんと区分ける。

今まで何度かグループ展に参加した時、そのグループ展に参加していた作家さんたちのグループにお招きいただいたことがある。だけど私はその作家さんたちと、どのように関わったら良いかわからなかった。

時々一緒に展示して、展示を手伝って、ちょっと近況を喋って、終わったらさようなら、という感じだった。アートのことを深く話すということまでしなかった。というより、私のアートって内面に深く関わっていたので、他の作家とシェアリングできるようなものではなかった。もっと技術的なことや世界観の作り方について、話せばよかったのだろうけど。

表現において、テクニック的なことは、私の中でそれほど優先順位が高くなかった。何を伝えるかが最優先で、そこに表現や技術がくっついてくる。伝えたいことが変わると、表現も変わるから。

絵を売ることを実践的に考えている人から「そんなにスタイルを変えていいのかよ」とよく言われた。スタイルを変えていくことは、お客への印象がつけにくく、売るには不利だということは聞いていたが、それでも自分が表現して成長していくことを優先したかった。

今考えてみると、地に足がついていなかったなあと思う。
もちろん、地に足がつかない方がクリエイティビティには良いとされるけど、作家のアイデアやアートを届けるには、受け取り側が受け取りやすいように工夫をするのが思いやりだ。
思いやりを欠いていては、アートは社会において役に立たないものになってしまう。なぜって、ちゃんと届かないからだ。

一昔前は、作家は個性的であれ、なんてことが謳われていたけど、個人事業主というスタンスになりつつある現代では、発信者として受け手の立場に立ち、売り上げを立てていかないと活動自体が危ぶまれる。

日本の現代アートの世界進出が進む中、アンダーグランドでも、いろんな作品によるいろんなビジネスが成り立ち、評価も多様化してきた。昔のように純粋な芸術家だと死活問題になる。

時代の流れだからしょうがない。現代に生きている私は、時代の風を受けて感じたものを作っていきたい。

話は戻るが、作家のグループに入ると私は大人しくなってしまうのは、美術的視点というものをあまり考えていなかったからだ。いつも直感で仕事をして、美術家が一番考えなくてはいけない「伝え方」について無頓着だった。

人生と美術の区分けをちゃんとしていなかった。でもこれからは、きちんと区分けをしないとな。
自分の中にステイトメントを意識しつつ、美術的視点を持って作品を作ることがプロだと思う。


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