朝鮮通信史のロマン
2024年。
今年の夏、いちばんわくわくしたイベントがある。
壱岐市への朝鮮通信使の復元船入港イベントで、朝鮮通信使が食べたであろう壱岐がもてなしの際につくった料理を再現し、釜山芸術団のみなさんや市民のみなさんに振る舞うイベントだ。
「壱岐市が企画しているのですが、トミーさん企画に参加しませんか?」
と、お声がけいただいたとき、ワクワクして、久しぶりに、『きたーーーやったーーー』
と思った。
じつに、200年ぶりの勝本港来航である。
朝鮮通信使やその他の、大陸から対馬、壱岐、本州との古代からの交易の歴史、文化や人の交流の時間の積み重ねの中に、ロマンを感じているからだ。
(対馬にも惹かれる理由のひとつでもある)
わたし的には、おもしろそう〜〜!!
でしかない。
入港が勝本港で、スタッフさんが勝本町の皆さんというのも、ワクワクした。
釜山市から、当時のレシピ(情報)をもらい、
現代の食材や道具で、みんなで再現が可能なものへと落とし込んで行く。
-menu-
・鯛麺
・巻スルメ
・白米(壱岐米)
・卵焼き
・豚肉
・朝鮮漬け
・素麺
・卵焼き
・落雁
・昆布
日本の料理と、韓国の大切な料理が並ぶ。
実際のメニューの主だった内容は、
「酒・つまみ・三橋・干した鯛・昆布・シカ・ブタ・素麺、糖餅、昆布、勝妓楽,軟蠆・花糖」など。との記録がのこっているらしい。
朝鮮通信史滞在の際、3日間の滞在で清酒 15石、米50石、卵15,000個、煮干し3,000(日本の文献では、スルメ5000斤)、山芋1.500本、 アワビ2000貫目がかかったという事で、凄まじい。
当時の莫大な負担であったらしく、時には対馬当主か直接歓待したような場面めったようだけれど、壱岐のおもてなしは、素晴らしいものだった。
それだけ、朝鮮通信史、大陸との国交が大切で重要だったのだろうと思いを馳せる。
みんなで役割を分担し、
手探りでつくりあげる。
勝本町、まちづくり協議会の坂本さんが、巻ズルメをつくってくれた。
巻スルメは、壱岐の郷土料理で、天日で干したツシマメ(スルメイカ)を巻いて煮たものをお正月などに薄く切って食べる料理。
勝本町には、''勝本朝市''という昔からの朝だけ開く市がある。
勝本町のおばちゃんたちが、干物や、野菜や、お花などを朝から販売している。
年々ちいさくなっていき、今回、巻スルメ用のスルメを勝本朝市のおばちゃんから仕入れる為の打ち合わせの時に、スルメを入手できるかどうかがちょっと心配になる場面があった。
年々のイカの水揚げ量の減少と、高値による仕入れから製造販売までが難しくなっているらしい。
(今年は海の環境の変化から、水揚げ量や円安の影響で、品薄や高値が続き、壱岐市内での加工品製造の為の仕入れが難しくなっている場面に遭遇することが多かった)
楽観的な方であるから、そんな波がきているという事は、本当にいつかなくなってしまうのだろうかと、海の環境次第だとは思うけれども、ちょっとショックでもあった。
朝鮮通信史船、釜山芸術団への壱岐市の歓待は、
観光連盟さん、振興局さん、壱岐市まちづくり協議会坂本さん、空き家相談室イエマチの長澤さん、などたくさんの方が、勝本町の町の方たちへの協力や、市民への案内をつくったりと大きく動かれていた。そんななかで、わたしは料理チームで、
料理を丁寧に仕上げる事はもちろんの事、どのように、おもてなしのこころを少しでも添えられるかを考えていた。
「花を活ける、というか飾って、すこし日本的な空間の演出をしても良いでしょうか?」
メンバーに告げると、''いいですね!!''
おまかせします。と言われた。
自分がどうしてもそれがあった方が良い、やりたい、と思っている時に、はじめてのアイデアを提案する時には、ドキドキする。
この時の皆さんの信頼と、無条件の受け入れは、本当に嬉しかったのを覚えている。
あしらいとしての、青いもみじと、南天の葉と、赤い百日紅の枝を、'.'未来派カゾク農園''さんの快い協力をいただき、摘ませていただく。
大きめに高さが出るように笹を刈る。
伊万里焼きの立派な花瓶を、芦辺浦の方からお借りする。
勝本町の空き家から、譲り受けた萩焼や伊万里焼きの花瓶にさし、お皿に添えた。
生け花を習った事はないので、ただ気持ちだけを添える。それでもあるとないとでは印象が変わる事を信じていた。
メニューを筆で書いて、料理の下に敷いたり、
当時の江戸絵を会場に貼ったりと、みんなの力でイベントの厚みが増していく。
チームの女性たちの料理の腕も素晴らしく、立ち回りもみな、それぞれに、気持ちを込めていたのが、
今思い出しても気持ちがいい。
起こってくることに対する対応力や、それぞれの動きに信頼しながら自分の仕事をする対応力が、みんなすごい。
釜山芸術楽団の、みなさんも、最終日、時間をおして演奏してくれた。
韓国から、対馬、壱岐、下関など、各地で演奏していく彼らは、確実に国を背負っていた。
その熱さにみんな感激していた。
その後のチームの打ち上げで、釜山芸術楽団の熱にちゃんと返せていたかなぁと話したけれど、最前はつくしたね〜と話し合った。
壱岐に住んで、韓国や台湾や中国の方と直接の友人になるたびに、メディアの情報だけを受け取ってつくられた(自分てつくってしまっていた)印象が変わった。
今回の朝鮮通信史のイベントで、韓国に対する印象がまたより良いものになり、興味が沸いた。
釜山芸術楽団のみなさんの、パフォーマンス中の活き活きとした表情と、海に溶ける民族楽器の音、
チームメンバーの活き活きと働く姿を忘れない。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?