『ビールストリートの恋人たち』を観て、『アラバマ物語』を思い返す

(ネタはバレてますので)

『アラバマ物語』(監督:ロバート・マリガン、1962年)は名作だ。
ストーリーは、とある白人弁護士が、白人女性をレイプしたとして逮捕された黒人の若者を弁護する、というもの。アラバマ州はいわゆる南部であり、舞台も1930年代で黒人差別がかなり強く残っていた時代だ。そんな時代に、主人公は理性的に事件の実態を追求し、正義を貫く。原作はハーパー・リー。この物語は彼女の若き日を描いたほぼ実話とされる。主演はグレゴリー・ペック、『ローマの休日』で知られる彼の立派な外見も含め、「良心的な白人」の全てが彼に凝縮していると言ってもいい。

ただし、これはやはり白人の映画なのだ。あくまで白人の側から、黒人の冤罪事件という当時は(今も?)珍しくない悲劇を描き、主人公の白人弁護士はそれにあくまで立ち向かう正義の人である。この物語は、良識ある白人が正義を全うしえた限りにおいてはハッピーエンドですらある。たとえ被疑者の黒人が理不尽な運命から逃れるために不幸な死を遂げたとしてもーー。

『ビールストリートの恋人たち』の原作は、黒人作家ジェイムズ・ボールドウィンの小説で原題は"If Beale Street  Could Talk"(1974)という。「ビールストリートに口あらば」とも訳される。この題はW.C.Handyの曲"Beale Street Blues" の歌詞の一節からとられている。
映画版の監督はバリー・ジェンキンス、『ムーンライト』(2016年)で有名な監督だ。
ちなみに"ビールストリート"というのはテネシー州メンフィスにある通りで、物語の舞台であるニューヨークにはない。だから"ビールストリートの恋人たち"という邦題はいささかミスリードではないかな、と筆者は感じる。

この物語が『アラバマ物語』と似ているのである。ただし、主人公はか弱い黒人女性だ。

若い黒人ファニーが、身重の妻ティッシュとともに新しい門出を踏み出そうとした矢先、まったく身に覚えのないレイプ事件で被告として捕らえられる。二人それぞれの家族は協力して証拠集めをし、なんとかファニーを無罪にしようとするが、努力もむなしく彼の無実を証明できない。若い白人の弁護士は黒人差別に否定的で意欲に弁護にあたってくれるが、頼りにならない。映画での彼の登場シーンはわずか2回だ。
『アラバマ物語』と同じように、この物語も「黒人の敗北」で終わる。「アメリカという国では黒人はそのようにしかなりえない」とでも言うように。

ボールドウィンの原作も読んだが、この物語は前述のように"か弱い黒人女性"ティッシュの視点から語られる。なぜだろう?
それは、「もっとも頼りない人物」だからだろう、いや、「頼りなく見える」と言うべきか。見るからに頼りになる母、行動的で押しの強い姉と比べ、ティッシュは控えめで、おとなしそうに見える。周囲の人間もそのように見ている。だが、彼女はしっかりと世の中を、この国の黒人をとりまく状況を観察している。そしてその目で、ことのなりゆきをしっかりと見つめ、語っているのだ。

ちなみに『アラバマ物語』のほうの語り手は弁護士の幼い娘"スカウト"※である。奇しくも両作は弱い立場の若い女性を語り手にするという共通点がある(もっとも、『アラバマ物語』は前述のように自伝的小説なのでそうならざるをえないのだが)。
※スカウトscoutとは斥候、レンジャーなどの意。弁護士が我が娘の活発さを愛してそのようなあだ名で呼んだのだろう。

幼馴染のファニーと、いつのまにか付き合うようになったこと、彼に抱かれる喜び、自分を守ろうとした彼が白人警察官に目をつけられてしまったこと……。
ティッシュはデパートの香水売り場で、売り子として働く。そして訪れる客たちを観察する。黒人の男性客は、まるで自分の娘を見るような目で彼女を見る、かよわいこの娘を見守ろうとするかのように。白人男はというと、彼女の手の甲につけた香水を嗅ぐと、なかなかその手を離さない。白人男性の黒人女性へのこの歪んだ欲望はいったいなんだろう? 白人女性はというと????

ファニーが友人・ダニエルと久しぶりに出会ったときのことーー。彼は2年間刑務所に入っていた、車を盗んだかどで。だが、彼は車を運転できないし、盗まれた車を見たこともない。たまたまマリファナを持っていたところを警察に見つかった。そして面通しの結果、彼が車泥棒にされ、不公平な取引の末、2年間も刑務所に入る羽目になった。ーーこうして道を踏み外した黒人がまた一人生まれるのだ。

ダニエルの体験は、ファニーの行く末を暗示するものとなった。彼もまた、彼の預かり知らぬところで会ったこともない女性がレイプされた事件の犯人とされたのだ。そして家族の奮闘虚しくーーその一致団結ぶりは美しくさえあるーーファニーの無罪を証明できない。

もしビールストリートに口あらば、テネシー州メンフィスのビールストリートが口を効けたならーーどのように言うだろう?
「結婚した男はベッドを持ち、歩き出さなければならない」。そのように裁判の場に声が響いたかもしれない。

親切なユダヤ人がファニーとティッシュに広々とした部屋を貸してくれた。ファニーは彫刻家として歩み出そうとしていた。
ビールストリートに口あらば……ファニーが刑務所に入り、ティッシュが一人で子育てをしなければならないことなどなかったかもしれないのに。














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