2020/03/19(木)「コミュ力」だけでは通用しない「新しいステージ」に到達してしまったので
ここ数日、気候の変化と戦いながらプログラミングの真似事の初歩の初歩をやっておりました。
そして昨日、長年にわたって心理的な枷となっていた「悪しき完璧主義」を蹴っ飛ばし、いちおうの叩き台となるものを提出し終えました。
そう、最低限ではありますが、やり遂げたのです。ゴールに到達したのです。ヤッターバンザーイ!
……と、喜んでいられたのは、なんとわずか6時間。
今朝、コミュニケーションの行き違いで迷惑をかけてしまい、がっつりと注意を受けてしまいました。
議論になっている事があったため、よかれと思って「こういう点に留意したらどうだろうか?」「こういう風にしてみたらどうだろうか?」という提案してみたのですが、ちょっと間を誤ってしまい「いまはそういう話を求めていない。後にしろ」とお叱りを受けてしまったわけです。意気消沈。
要は「議論はいったん止めてとりあえずまとめに入ろう」という「締め」の流れになっていたタイミングで、議論に参加してしまったわけです。
がっくり落ちこみながら「ああ、そういえばビートたけしさんの著書に『間抜けの構造(新潮新書)』という本があったなあ……」などということをつらつらと考えたりしていました。アイ・アム・間抜け・ナウ。
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自分でいうのもなんですが、ぼくはいわゆる「コミュ力」には自信がありました。自信はあったのですが、ここのところの様子をみると、どうもそれだけではダメになってきたみたいです。
「コミュ力」がなくなったわけでは(たぶん)ありません。「コミュ力」だけでは通用しない段階にきたのです。
……もっとも、今回の失敗は「空気を読めなかった」から生じた気もするので、もしかしたらコミュ力は大してなかったという可能性もあるのですが、いったんそれは置きます。
さて、いま創作活動をしようとしている場は、基本的に「たったひとつの趣味でつながった、見ず知らずの人たち」で構成されています。
つまり「コミュ力」以前に「信用」から構築しないといけないのです。
「信用」は「実績」から生まれます。
「実績」をつくらない限り「コミュ力」だけあっても「調子に乗ってる口だけ野郎」になってしまい、むしろ逆効果なわけです。
そして、ぼくは長いあいだ闘病生活をしていたため「実績」の大半は遠い遠い過去のもの、つまり「賞味期限切れ」になっています。
長いつきあいの友人知人であれば「あいつは長いあいだ闘病しているけれど、過去にはああいう仕事やこういう活動をしていた」ということをまだ覚えてくれています。ですから、たとえ過去の実績であってもある程度は今も認めてくれています。
しかし、はじめましての人たちにとっては「今」がすべてです。「今」がダメなら「昔はなんかやってたらしいけれど、今はぜんぜんダメだね。口ほどにもない」と思うことでしょう。ぼくだってそう思います。
「信用」は「実績」から生まれます。
そして「実績」は「行動」から生まれるため、ぼくは「行動」をはじめたわけです。
しかし「行動」すれば「実績」になるわけではありません。
「行動」し、なおかつ「達成」「成功」「約束を守る」などの「結果」を出さなくてはなりません。
これらが成し遂げられないままとっかえひっかえ行動だけしていても、最終的には「無能な働き者」と見なされ、居場所を失います。
ちなみに、一般に知られている文では「居場所を失う」どころではなく「銃殺」となっています。
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「信用されたければ実績をつくれ。実績をつくりたければ行動し、結果を出せ」
一定期間、社会人として働いてきた方々にはあたりまえすぎる話だと思います。世捨て人でもない限り、他人や社会からの評価は生きていくうえで欠かせません。
しかし、長年闘病していたぼくにとっては「自分」こそが最大の敵でした。先に書いた「悪しき完璧主義」も「自分」の中にいるものひとつです。
幸いにも、闘病にほぼ専念できる環境を得られていたこともあり「他人よりも、社会よりも、自分こそが最大の強敵だ……」と、いま思えばずいぶん呑気なことを考えていたこともありました。
しかし、ここ最近になって「読書ができるようになった」「noteを毎日書き、執筆速度も今月に入ってからグッと向上した」「体調管理もできるようになってきた」「仕事術を身につけ、効率よく作業できるようになってきた」「創作活動を再開した」などなど「自分」という敵の牙城をひとつずつ崩すことができるようになってきました。
「最強の敵は自分だったんだから。これからはもうスイスイパワーアップできるはず!」
そう思ったのですが、ぜんぜん違いました。
ゲームでいえば、最初のステージをクリアして「ゲームをクリアしたぞー!」と思っていたようなものです。
ゲームがそうであるように、最初のステージをクリアしたら、すぐさま次のステージが始まりました。
その間、わずか6時間。
「いくらなんでも早すぎませんか!?」と思いましたが、ゲームだったら数十秒で次のステージに切り替わるわけですから文句はいえません。
思い起こせば、一年前の今頃は「病気がよくなったらなんでもできると思っていたけれど、実際には『病気がよくなったなんにもできない人』になってしまった……」とひどく落ちこんでいたものでした。
あれから一年が経ち、ずいぶんといろいろなことができるようになりました。noteもそのひとつです。今日で連続更新145日目となりました。
「強敵を倒したと思ったらすぐさま次の強敵かよ!」とゲンナリしたりもしますが、ゲームをやっている時は「新しいステージに進める・より強い敵と戦える=うれしい」と思っているわけです。
ゲームと違って現実では痛いこと、つらいこと、悲しいこと、情けないこと……などなど、ぜんぶ生身で引き受けなければいけません。
しかし「落ちた」ではなく「上がった」結果のしんどさであると考えると、多少は前向きになれます。これがゲームだったら大喜びしているはずです。
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どうやら、このステージのボスには今までのメインスキルだった「コミュ力」だけでは勝てないようです。むしろ、それ一辺倒で攻めるとボコボコにされそうです。いや、もうされました。
「今までの技が通用しないだと……!?」
というのはゲームでもマンガでもお約束の展開です。であるなら、さらなるお約束である「これまでの技を封印し、新技を身につけるための修行をする」という展開に進むべきでしょう。
装備を整え、レベルを上げて、新しい技を身につけ……リアルでやるとなるとだいぶしんどそうですが「通用しなくなった技に固執して滅びる」というバッドエンドを回避できるのであれば、ここは肚をくくりましょう。