2020/04/13(月)今日読んでとてもよかった記事ふたつ~志村けんさんとお弟子さんの話と「知恵と汗」についての松下幸之助さんの話
今日は創作・表現活動を含むいろいろなことのスケジュールが一気に決まってドタバタのバタバタ。
そんな中、ネットでたまたま読んで、とてもよかったものをふたつ紹介。
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まずは、志村けんさんについてお弟子さんが語った話に関する記事。
「現場で志村さんから目を離したときはよく叱られました。志村さんがタバコを吸いたいときに用意が遅れたり、汗をかいたときにタオルの準備ができていないと、『オレが今、何を思って、何を考えているか読めよ。芸人は目の前の1人の気持ちを分からなくて、テレビの向こう側にいる何百万、何千万人の視聴者の気持ちがわかるわけないだろう』と注意されました。
これは、なんらかの創作や表現、発信をしている人にはとても刺さるのではないだろうか。
「どうせバズらないし」「ちょっとの人しか見ないし……」と思って手を抜いているようではダメ。その「ちょっとの人」の向こう側にこそ何百万、何千万、あるいは全世界の数十億人がいる。だからこそ「ちょっと人」の心を動かせなければ、その向こう側へのドアは決して開くことはない……。
また、志村さんがもっとも嫌うのが遅刻です。ある日、僕が一度だけ大幅に遅刻してしまったことがありました。収録終わりの深夜3時のファミレスで志村さんに『お前、ナメてんのか! オレは1日がマイナスからのスタートになるから遅刻は嫌なんだ。“すみません”のマイナスからのスタートになることを何で弟子のお前がやるんだ。調子に乗ってんのか』と、朝の7時まで説教を受け、本当に申し訳ないと思いました」
個人的に、これもザクザク刺さった。
ぼくは早寝早起きが苦手なので、寝坊して「ああ……またやっちゃった……」とションボリした気分で1日をスタートさせることが多々ある。だが、これこそまさに「マイナスからのスタート」だ。そんなの、フルパワーが出るわけがない。「もっともだ……」と唸り、おおいに反省させられた。今夜と明日の朝からさっそくがんばろう。
「『弟子を辞めさせてください』とお話ししたときに志村さんに怒られたんです。『ダメだ。お前、この3年の間に何もやってないじゃないか。環境を変えたら自分ができると思っているかもしれないけど、やる人はどの環境にいても絶対にやるからな。俺もドリフターズに坊や(付き人)で付いていたときに、坊やの仕事をしながらメンバーやスタッフを笑わせていた。与えられた環境で何もしていないお前は他へ行っても何もできない』と言われました」
これにもやられた。
「大人になれば……」「就職すれば……」「結婚すれば……」「転職すれば……」「退職すれば……」では何も変わらない。どんな環境であれ、自ら何かをしないと変わらない。「いつか」という日は決してこない。くるのは「いま」だけ。「いま」しかない。
ぼく自身、数年前に「『いま』はぜんぜんダメだけど、そのうちなんとかなるだろう……」と思っていたら、ぜんぜんなんとかならなくて呆然としたという経験がある。いや「いま」でさえもそう思って先延ばししていることがたくさんある。
与えられた環境に不満なら、まずは「薔薇色の環境」について真剣に考えたことがあるのかと自問すべきだし、その「薔薇色の環境」にたどり着くための具体的な行動もしなければならない。そうでなければ、与えられた環境から一歩も出られない。
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続いて、松下幸之助さんの言葉について元側近の方が語った記事。
絶句している私を見ながら、「あんなぁ、きみ、知恵を出せと言っても、だから、机の上で、ああのこうのと考えていても、生きた知恵は出てこんわ。どんな優秀な人でも、頭で考え、知恵を出しても限度がある。実際に役に立つ知恵はな、一生懸命、動いて、汗を流して、経験して、そうしているうちに、出てくる、生まれてくる、そういうもんや。それを汗も流さんと、最初から、知恵を出そうと、机の上で考えておっても、無駄だわね。わしなら、まず汗を出せ。汗のなかから知恵を出せ。それが出来ない者は去れ、と、こういうな」
私は、なるほど、言われてみれば、確かに松下さんの言う通りだ。知恵を出せと言っても、その知恵は生きた知恵でなければならない。現場を見て、あるいは、みずから経験し、格闘し、苦しみながら、そこから本当の知恵というものは生まれてくる。いくら考えていても、魔法のように、知恵は出てこない。確かにそうだ。松下さんの言う通りだ。なるほど、なるほどと合点した。「そうか、そうですね、確かに」と頷くと、松下は、破顔、「いや、それがわしの考えや」と言った。松下のこの言葉は、長い人生からにじみ出たものだと感銘もした。
もともとは、ウインストン・チャーチルの演説「血と労苦と汗と涙」について調べていたのだが、その時にこの記事も見つけた。
冒頭にも書いたとおり、今日はいろいろなスケジュールが一気に決まってドタバタのバタバタだったので「後日やればいいや。とりあえず後にしよう。やるのはじっくり考えてからにしよう」と思っていたことを今日中、いや数時間以内にやらなければならなくなった。
おかげで「ぐあああ時間がないいい」とひたすらに手を動かしまくる羽目になったのだが、興味深いことに「やるのはじっくり考えてからにしよう」と先延ばししていたここ数日間をはるかに凌ぐ量のアイデアが出て、一挙にまとまった。
火事場の馬鹿力というのとはちょっと違う。手が頭の一部、いや、もうひとつの頭として考えてくれたかのような感覚であった。
その時「そういえば、チャーチルが『血と汗と涙』って言っていたな」「誰だったかは忘れたが『知恵を出せ、知恵が出ぬものは汗を流せ』と言っていた人もいたな」ということをふと思い出した。
そこで、今日のスケジュールをクリアしたあと調べてみたところ、上記のチャーチルの演説が見つかった。
そして「知恵と汗」の大元は「メザシの土光さん」こと土光敏夫の言葉であることを知り、それに対しての批判(?)が、上記の松下幸之助の言葉であるといういきさつがわかった。
記事中では「土光敏夫と松下幸之助のどちらが正しくてどちらが間違っているという話ではない。誰が誰に対して言うかによって異なる。ケースバイケース」といったことも書かれている。
だが、汗をかかずに(浅)知恵でなんとかしようしがちで、今回「汗から知恵が出た」というのを味わったばかりのぼくにとっては、松下幸之助さんの言葉のほうが効いた。ぼくにとってのケースバイケースは、今回に関しては松下さんだったということだ。
偶然読んだふたつの記事だったが、ちょうど「創作・表現」に関して「汗から知恵が生まれた」というタイミングだったので、おおいに感じ入った。
とはいえ、単に「感じ入った」とか「学びを得た」とか「わかりみが深い」というだけで何もやらなかったら悪い意味での「意識高い系(意識だけ高い系?)」になってしまうので「今日」「いま」から取り入れてやる。真似してやるぞ。