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衣という霊力を思い知れ:山口源兵衛さんの言葉
ArtoMe(アートミー)主宰のTOMMY☆です!
ファッションテーマが続きますが、前回の記事「シェイプシフトとファッション」に関連して、今回は「衣」にもう少し踏み込んで書きたいと思いました。
ファッションと言えば、洋服はもとよりアクセサリーやバッグ、靴下などの小物も含めた人が見に纏うもの全般を指すとも言えます。ここでは「衣」洋服や着物などについてフォーカスします。
ファッションが好きな方、きっと靴がやたらと好きとかアクセサリーに目がないとかフェティッシュではないけれどピンポイントで好きなものを持つ方も多いのでは?私は、と言いますと靴やアクセサリーも好きだけれど、やっぱり「布地」や布から作られた「服=衣」に目がないのです。物心ついた頃から、布で作られたぬいぐるみや毛布、そして服に安心感や自分を投影していたのかなと今になって思います。あ、今現在もそうです。"ライナスの毛布"やぬいぐるみを大切にしていた思い出がある方もいらっしゃるでしょう。今だに、ぬいぐるみにも心を惹かれます笑。
布地から作られる「服」は、自分のなりたい自分像を組み立てる上で大きな助けになってくれますし、人が選ぶものはその人個性が反映されます。服のみならず、なのですが人とモノとの関連性は「ただのモノ」ではなく、イコールだとも言えます。つい、流行や情報、何かの影響で本心ではそんなに希望してない、欲してないのに購入してしまったモノは、それほど思い入れがなくてすぐに飽きてしまうとか経験あるかもしれません。
本当の深いところでご自身の3感(感情・感覚・感性)に響くモノ、服はその方にとってかけがないのない相棒となって、ご自身を表現してくれるのです。
毎年、京都で国際写真展「京都グラフィー」が開催されます。2022年に行った時にダンサーの田中みんさんの為に京都の着物織士である山口源兵衛さんが織った着物に圧倒されてその「衣」に凄みすらあって畏怖の念を抱いた。
織られた主な着物は「赤い着物」「紙布」「糞掃衣(ふんぞうえ)」。
「赤い着物」は身分の高い人しか着られなかった時代があり、権威の象徴からの解放を。
「紙布」は、蚕という動物性の糸ではなく木という植物からの糸を使用し古くから仕えし者のための衣を。古代、大地のエネルギーや霊力を纏うため、布を赤土などの鉱物で染めていたそうだ。山口さんは、奄美大島で泥染で何度も「紙布」を染めた。
そして「糞掃衣」は、穢れた布や呪われた布など人が忌み嫌う布から作られた布。曹洞宗の開祖・道元はこの衣こそ清浄な衣としたそうだ。山口さんは、最高級の羽二重を下水に浸し穢れの象徴である牛が噛んだ衣「牛噛衣」牛1頭分の血を衣に染み込ませ更に汲み取り便所の汚水槽に浸し、清流で清めて制作した。
(会場での解説文より)
特に「糞掃衣」は、解説文を読むより先に視界に入ったのだけれど何というか霊気なのか「衣」から放つ空気感に圧倒されてじっと凝視してはいけないような者だった。そう、畏怖、畏敬の念というのだろうか。
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「衣というものの霊力を思い知れ。」
「もっともっと狂え」
という山口さんの言葉に、居ても立っても居られないような感覚に襲われた。
衣を見て、こんな感覚、体感は初めてだった。
今でも、この言葉と会場に展示されていた衣、着物とそれを着て踊る田中さんの映像を思い出す。水中でまるで息をしているかのようにもがいているような、しかし田中さんの水中での「場踊り」を。
衣が持っている霊力、怪しいとかの次元ではなく本来の持つ衣の役割。
衣は、人間が誕生してからいつの時代から身に纏うようになったのだろうか。機能的な面もさることながら、自然への畏怖の念、畏敬の念からも織られたりしてきた経緯と人の思いがあるのだ。
我々は、このことをすっかり忘却しているのではないかということを。
服、は私たちの大切なモノであり関係性(コト)を結んでいる相棒でもある。