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人に関わる仕事

休日のイベント系の仕事って、楽しい。
多くの人とをお話しできる機会って嬉しいですよね。
わたし自身、こういう仕事は好きなんだなぁと思います。
人と会う仕事、人と話す仕事、人の前で話す仕事、人に関わる仕事が自分に向いている。
そういう意味では、教育学を学んできたことに、間違いはなかったと思っています。
まぁ教育学を学んできた中で、その学びによってよりこういった人との関りが好きになったという部分もあるかもしれませんが。

高校時代の忘れられない話

高校の思い出はたくさんあるけど、先生の話とかこれっぽっちも印象にない。ただ、怒られていたっていう思い出ばかりである(笑)
その中で、ひとつだけ覚えている話。
人は、社会的な生き物。社会的な生き物として、社会で生きていくために心得るべし、というメッセージだったと思います。

「あなたたち人間について」
あなたたちは、人から人間になっていかなければならない。
わたしは、人間を「ジンカン」と呼ぶ。
すなわち、人と人との間、コミュニケーションができるようになってこそ、人は、人間として社会で生きていくことができる、そういう「人間」になる、あなたちには、それが必要です。

これは、唯一、わたしが小学校から高校まで、学校に通ってきた中で覚えている校長先生のお話なんです。別に校長先生が好きっていうわけでもなんでもない、在学中からヨチヨチ歩きで朝礼や式典の時だけ出てきて、ボケ老人か?とかみんなで話していたけど、この話だけ、なぜか心に残っている。

高校時代の理不尽な毎日

高校時代の理不尽な経験は山ほどある。
わたしの高校の日常は、校長先生の話にあるような理想を感じることが全くできないほど、厳しい学校でした。スパルタ中のスパルタ、軍隊のような、いやもうあれは、更生施設とか刑務所の理不尽さ、もちろん今では考えられないくらいの暴力・暴言は当たり前だったので、かなりマヒしていた部分はあると思います。
ほんと、先生方にはよく殴られました~、良い経験とは言えないけど、それでも、あの生活がなければ、ルールを変えようとか、規則を変えようとか、地域を変えていこうとか、社会を変えていこうとか思わなかったと思う。
そういった意味では、感謝はしている。
変わろうとか、現状を変えようとか、そういう意識、あと理不尽なものに屈しないこと、そういう強さを学べたことは、自分の人生において大きな経験であったとこは間違いない。
街で先生に会ったら、ボコボコにしてやろうと思って卒業したけど、今はありがとう(でも、あの時の教育方法は間違ってたぞ)と言える気がする。

校長先生の意図は

校長先生は、わたしが学生当時かなりご高齢で、卒業後ほどなくして亡くなり、それ以降校風もだいぶ変わりました。たぶん、先生方も厳しい校長先生の教育方針に悩んでいたんだと思います(笑)校長室で怒鳴られている先生もいましたし。
当時は、硬派な男子校でしたが、今や共学の穏やかな学校になっております(笑)
あの教育方針は変えるべきだ、と心から思っていますが、ちょっと寂しい気持ちもある。賛同できない部分が大半ではある、でも、校長先生のお話は、良いお話でしたし、今となってはわたしの原点のようないもしているんです。

自分の選択は常に正解なんだろうと思う

きっとどんな経験も自分の糧にはなる。
自分の選択は常に間違っていないんだと思う。
仮に選択を間違ったとしても、その経験を活かして次の決断ができれば、きっと最初の選択は間違いじゃない。
わたしだって、何度も高校進学の選択を間違えた~とか、大学進学の際に大学の選択も学部の選択も間違った~とか、その都度、なんで正しい選択をしなかったのかと思ったり、実際に指摘されたこともあったけど、今こうして振り返ると、これはこれで正解だったと思う。
その時の自分には、必要な選択で、その決断はきっと間違っていることばかりじゃない。それを正解にするのは自分の努力次第だなって今は思えるようになりました。

御礼

土曜日の貴重なお時間をいただきありがとうございました。
みなさまがゆっくりとした休日を過ごされることをお祈りいたします。
疲れを取って、週明けの仕事に臨みましょう!

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