共依存の夫が急逝した②
この話、まずはこちらから。
夫の葬儀に参列し、施設に帰ってきた後は更に不穏がヒートアップして目はバキバキ、独語も多く興奮していた。
ただ、お父さんはどうしたの?と聞くと「パパは亡くなった。」と答えるようになった。しかし自分の歳は25歳と答えたりするので、パパ=夫ではないかもしれなかった。
ある日私は1時間ほど時間を作り、妻に付き添う事にした。
フロア担当の介護スタッフが付き添っていては他の仕事ができないし、かと言って放っておくと他の居室に侵入したり、トラブルが起きる。手が空いたスタッフが交代で見守るしかなかった。また、付き添う事で、この状態を落ち着かせるヒントを得たいという考えがあった。
隣に付き添っていても、車椅子で落ち着きなく廊下をウロウロし、手当たり次第にドアを開けて行く。声をかけて、こちらに注意を向けようとしてもなかなか思うようには行かない。私の話など聞いていないし、ずっと喋っている。
「私が助けないと、この人殺されちゃう。」
「明日は娘の結婚式がある。」
「母はどうなったの、息子は死んだの?」
支離滅裂な言動が続いていたが、温かいココアを渡すと車椅子を漕ぐ手を止めて、美味しい、と少し落ち着いた。
転居予定まであと10日の時期だった。
転居までに何ができるだろうか。
夜間も起き出して来るため、睡眠薬の処方を受けた。昼夜こんな風に活動していたら倒れてしまうだろう。
葬儀の日は、睡眠薬を飲ませたら朝まで起きて来る事はなかった。次の夜は、一度は寝ついたが途中で起き出してきたので、追加でもう一錠内服し、朝まで眠る事ができた。
元々、夫の姿が数分見えないだけで不安になる人だから、今の状況は想定内。想定内だけど対処が難しい。
精神科医の保坂隆氏は、配偶者の死で受けるストレスについてこう述べている。
スタッフは皆、不穏状態を避けるべく、夫のことは思い出さない様に夫に関する話題を避けていた。
避けることで不安を増長させていたのかもしれない。
それから私は、毎日夫の話をする事にした。
私「確かご主人とは幼なじみだったとか。そうなんですか?」
妻「幼なじみっていうか、同級生ね。」
私「そうなんですね。○子さんのお仕事、先生だったんですよね。ご主人も同じお仕事でしたね。」
妻「そう、小学校の教師をしてたの。主人も。」
私「息子さんも大学で先生してるんですって?理工系の先生だとか。○子さんも理数系が得意だったんですか?」
妻「そうね、数学が好きだった。息子は似たのかもね。」
私「ご主人も息子さんもとてもお優しいですね。」
妻「主人は怒ったことないの。絶対手はあげないし、優しいの。」
思い出話や家族の話題になると、会話が成立する事が分かった。
忘れさせようとせずに、積極的に話してもらう。認知症があるから、時間はかかるかもしれないが、感情が自然に収まるまで待ってみようと決めた。
転居するまで後1週間。時間は足りないけど、転居先には夫を知る人はいないのだから、今たくさん話そうと思う。
転居先のホームに宛てたサマリーにも、わかりやすい様に文章を作ろう。私にできることは、残された妻が温かい思い出の中で生きていける様に、これから支えてくれる人達に伝えることだ。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?