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ショートストーリー『テメェ、ジイさんに謝れ…心から』

  『テメェ、ジイさんに謝れ…心から』


ガラスの向こう側は、薄曇りの街。ついさっきまでは陽が射していた。梅雨入り宣言があったというのに、本格的にはまだのようで、中途半端な天気が続いている。

歩道の並木の、あれはプラタナスだろうか、葉っぱたちが風にそよぎ、暑くもなく寒くもなく、穏やかな顔で人々が行き交う。だが、ガラスのこちら側は……

「いーかげんにしろよなっ!」ってくらいの寒冷気候。ったく何だってこんな日にこんなに冷房効かすかなァ。せっかくのコーヒーも、すぐに冷めちまう。初夏=冷房スタート…ってか? 人間ってのは一体何考えてんだか。マニュアルがあれば頭は使わないのか? …よくわからん。ま、オレもその人間の一人だが、オレはちったぁマシだゾ、頭使うゾ…と言いたい。

コーヒー好きのオレはよく茶店で、窓の外をボーッと見ながらコーヒー飲んでヒマつぶしするが、この時期の喫茶店ってヤツは、どこもかしこもムダに寒くて居心地が悪い。なのに世の中不景気で、オレにはつぶすヒマがいっぱいあって、しかし快適にコーヒー飲んで過ごす場所がない。困ったもんだ。

オレの名は、萬屋公介。職業は、ま、言ってみりゃ“何でも屋”。文字通り何でもやる。昔、オレはガラにもなく役者を目指していた。だが、才能がないのか、情熱が足りないのか、よく言う“鳴かず飛ばず”。それでも一応今でもエージェントがついていてくれて、たまーに、オレの得意なアクションがらみの仕事なんかが回ってくる。

最近の仕事を並べれば、とても善良とは言えないこの顔を活かして、泥棒やスリ、モデル事務所の悪徳マネジャー、変態教師にホモの役…と、うわァ、ろくな役やってないなァ、オレってば。ガラにもなく役者目指したと言ったが、充分ガラに合った仕事してんじゃんか、オレ。

ま、そんなこんなで今ではめっきり少ない俳優の仕事を待ちつつ、オフの日は(って、オフばっかだっての!)探偵の真似事のような仕事もやっている。こっちの方にもエージェントがいて、これはホントの探偵さんなんだが、人手不足の時にたまに声をかけてくれるのだ。

浮気調査で現場の証拠写真を撮ったり、トラブルの仲裁を依頼され、その探偵さんと一緒に出かけて行って話し合いをしたり…。この場合、オレは万が一のアクション沙汰に備えてそばについているだけなんだが、オレの技斗技術が役に立ったことも何度かある。

しかし、役者としてのオレに回って来る役の人間もろくでもないが、探偵業で関わる人間も、全てがそうだとは言わないが、ろくでもないのが結構多い。世の中どうなってんだろう。みんなもっと穏やかに、平和に生きられないもんかねエ。

毎日陽当たりのいいカフェで、ボーッとしながらうま~いコーヒーを飲めるような、そんな世の中になったらいい…って、それって今の暮らしとそれほど変わんないじゃん、オレの場合。それあんまし良くないなー。困ったもんだ。

…と、ふと歩道に目をやると、杖をついた一人のジイさんが、時速40メートルほどのスピードで、ヒョコ…ヒョコ…と歩いているのが見えた。まるで歩幅が異常に狭いロボットのようだ。オレはその時、ずっと前にそのジイさんに似た犬を見たのを思い出した。

住宅街をブラブラ散歩していた時だ。そいつはかなりの老犬で、道の端をゆっくりゆっくり歩いていた。1メートルほどヒョコヒョコと進むと立ち止まり、ゼイゼイと息をして後ろを振り返り、自分が歩いてきた道を確認するようにして、また前へ1メートルほど進み、また立ち止まり振り返る。その同じ動作を繰り返していたのだ。

毛も抜け落ち、ところどころモロモロになっていたので、オレは勝手にその犬の名を「モロー」と付けた。しかし、時々見かけたそのモローも、いつしか見なくなった。

おっとっとォ、ジイさんを見て何思い出してんだオレは、まったくエンギでもない。しかしそのジイさんはモローと違って、まっすぐ前だけを見て振り返ることなく、ゆっくりゆっくり進んでいた。きっと昔は元気に動き回っていたのだろう。いろんなところへ行き、いろんな物を見聞きしたのだろう。そして、今でこそ行動できる世界は狭くなったものの、彼の記憶の中には、かつて自分で広げた大きな世界があるに違いない。その世界の一部分を、今もこうして動き回っているのだ。

モローもきっとそうだったんだ。少し進んでは振り返り、自分の世界を確認し、また前を向いて進む。人間も犬も同じ空気の中で、しかしそれぞれの世界を持って生きている生き物なんだな。何ら変わりはしないんだなー。

…とか何とか思って見ていると、ジイさんの前方から一台の自転車が、普通の人ならともかく、あの狭い歩道で、あのジイさんとすれ違うにはちょっとヤバいんじゃないのって位のスピードで近づいて来た。そしてオレには、もうその先が見えていた。

椅子を蹴って立ち上がったものの、さすがに店の出口へ回って外へ飛び出し、ジイさんに向かって来る自転車の前に立ちはだかるところまで行く時間はなく、その場からガラス越しに、その光景を見ているしかなかった。

オレが予見した通り、双方は幸いにも衝突することなくすれ違った。しかし案の定、その直後、ジイさんは「オオオ…」と言ってその場に転倒した。自転車の若い男はブレーキをかけて止まり、チラッと振り返り、「チッ」と舌打ちすると再び自転車をこいで行ってしまった。

その時、一人の学生らしい男が、その自転車を追って駆け出すのが見えた。ジイさんの方は2~3人の通りがかりの人に助け起こされようとしていた。どうやらケガはない様子で、礼を言いながらも自力で立ち上がろうとしている。タフなジイさんだ。オレは一安心し、椅子に座り直すと、おもむろに神経を集中させた。さっきの自転車野郎と、そいつを追っかけて行った学生の様子を知るためだ。

その場にいてそんなことが出来るわけないだろうって? だよねー、普通はねー。だが、オレには出来るんだ。何故かはわからないが、もうだいぶ前からオレは、その能力のおかげで危機を乗り越えて来ている。それって、〈ESP〉っての? 理屈は別に知りたいとは思わないから調べもしないが、探偵さんのヤバい仕事を手伝えるのも、実はこいつのおかげなんだ。

そして、アクションがちょっとばかり得意なのも、やはりそれとは別の、何らかの潜在能力があるからなんだろう。だからオレは生活が出来ている。ありがたいもんだ。

さすがに瞬間移動とか、物を触らずに動かしたり…なんてなことは出来ない。神経を集中することによって、ちょっと離れたところの声や音を聞いたり、数瞬先の出来事を予知したり…と、そんな程度だ。

で、それを使ってさっきの自転車野郎と学生のやり取りを聞いてみる。学生は、現場から200メートルほど走ったところで自転車に追いついたようだ。よく諦めずに追っかけたもんだ。

「うっせーな! 関係ねーだろ!」

〈関係ないだろ〉…関係あるヤツがよく使うセリフだ。

「あのおじいさん、転んだだろ。謝れよ!」
「別に当たってねーよ。
 あっちが勝手にコケたんだろ」
「当たってなくても、こんな狭い歩道、
 自転車であんなに飛ばしてたら危ないに
 決まってるだろ! 相手は年寄りなんだし」
「オイ、さっきからテメェ何グダグダ
 言ってんだよォ! ワケわかんねーんだよ、
 殺すゾ、てめェ!」

ヤバい! ホントにこいつワケわかってねーし、こっちにはこいつがワケわかんねー。今の世の中、言葉だけじゃなく、ホントに殺しかねない。ポケットにナイフなんか持ち歩いてる可能性は充分あり得る。しかも、そういう奴らの論理はメチャクチャで、正論など絶対に通らない。そこいらの“善良なる市民”を自負する普通の人々ですら、正論というと何故か拒否反応を示すのばっかしなんだから尚更だ。

学生が危ないと、オレは感じた。大急ぎでレジを済ませ、表に飛び出し、オレは駆け出した。目標は見えている。そこまでの間に、歩行者が4~5人。

そして歩道の幅半分までを占領している迷惑駐輪の自転車が、ズラーッと連なっている。

クソッ、何てこった。普通に走ってたんじゃ時間がかかる。見ると、自転車野郎がポケットに手を突っ込んでいる。もちろん手が冷たいからでも、ハンカチを探しているのでもない。やっぱりナイフだ! 急がなければ…。

次の瞬間、オレはポーンとジャンプし、連なる自転車のサドルの上を器用に踏んで走り出した。3~4台毎に、それぞれに体重を乗せ切らないうちに次のサドルへ…といった具合にだ。これなら水の上だって走れるんじゃないのかと思われそうだが、それはムリ。モノが固体だから出来る技なのだ。

「オオーッ」とその辺の通行人たちから声が上がった。障害物のおかげで思いの外時間がかかったが、例の自転車野郎も驚いてこっちを見ていたので、学生の危機にはかろうじて間に合った。

オレは最後の自転車のサドルを思いっ切り蹴ると、そのまま学生の頭上を飛び越え、自転車野郎の肩口に蹴りを入れつつ着地した。ヤツはもんどりうって倒れ、ナイフが吹っ飛んだ。それほど強い衝撃は与えてはいないはずだが、肩の脱臼は免れないはずだ。

「痛ってェ~なァー、テメェ、
 いきなり何すんだよ!」

自転車野郎は痛む肩を手でかばいながら、気丈に口で歯向かって来た。

「じゃあお前は何しようとしてたんだよ、
 ええ? そのナイフでよォ?」

オレはヤツのほっぺたを手のひらでペチペチしながら少し凄んで聞いた。

「関係ねーだろ、あんたには」

またこれだ。バカの一つ覚えってヤツ。

「だったらオレが何をしようともお前には
 関係ねーワケだ、なっ」

今度はヤツの痛む肩を、ポンと叩いた。  

「ウアッつう!!」

かなり痛いだろう。当然だ。

「どうした? 痛むのか?」
「あた…、あたりめーだろ。さ、触んなよ!」
「何でだよ。関係ねーだろ、
 お前の論理で言うと」
「関係ねーのに、何で蹴るんだよ」
「ンじゃ、お前は関係ねージイさんを
 何で転ばせたんだ?」
「お、俺は当たってねーよ」
「またその学生さんと同じことをオレにも
 言わせんのか? 狭い歩道を自転車で暴走
 しちゃ危ないって言われただろうが、ええ?」
「……」
「それにお前は不親切だなァ。
 転んだ年寄りを見ても知らん顔で行って
 しまう。そこまでならまだしも、
 人に注意されたら、何かワケのわからん
 ことグダグダ言って最後にはホレ、
 このナイフだ。
 コイツでせっかく注意してくれた人を
 刺そうってか、え?」

オレはナイフを拾い、今度はそのナイフの腹でそいつのほっぺたを叩いた。

「痛いぞォ、これ刺さると。
 お前、試してみるかァ?」
「ヒィッ」

すでにその若造はビビり切っていた。たいていの場合、相手が自分より強いと見るとこんなもんだ。そしてコイツは正論にも弱かった。つまり、こんな連中の中にも、とりあえずは何が正しくて何が正しくないのかぐらいはわかっているヤツもいるのだ。ただ正論に基づいて生きるのが面倒くさいのだろう。だから弱者に対して強く出たがり、逆らえば暴力で事を済ませようとする。

こんな事は、こういう町のチンピラだけじゃなく、一般家庭や会社という組織の中、また商売の世界でも、どこにいても遭遇するんだろう。面倒くさがり屋って、結構いるから。ちょっと正論で来られると、「いや、それはその通り」と、わかってるふうに同意しながらも、「でも、そんな正論だけで来られるとねえ…」とか何とか、「世の中は複雑なんだし」みたいな方向に逃げてしまう。そして事はあやふやのまま未解決、弱者は泣き寝入り、…なんてなことになるケース、多いんじゃない? まったく、人間ってヤツは…。おっとっと、話を戻そう。

「それに、だいたいお前、何でこんなナイフ
 なんか持って歩いてんだ?」
「それは…、ご…護身用です」
「ウソつけ。さっきお前、あの学生クンに
 コレ使おうとしてただろ?」
「……」
「どうなんだ?」
「は、はい…」
「ホラ見ろ。何が護身用だ。あれじゃお前、
 ただの脅しじゃないか。放っとくと傷害、
 殺人になってたかも知れないんだぜ」
「……」
「そうだろうが!!」
「…は、はい、…そう…ス」

そこではたと気がついた。オレがこうしてナイフを持って、ビビり切ってる若者と話していると、はた目にはオレがコイツを脅してるみたいに見えるんじゃないか…と。おいおい、そりゃ違うゼ。

「こんなもんはもう持つな!」

と言って、オレはナイフを思いっ切りコンクリートの地面に突き立てた。もちろん突き刺さるはずもなく、刃は無惨にもグンニャリと曲がった。

「は、はい」
「ホントにわかったのかァ? ビビって
 テキトーに返事してんじゃないだろうな」
「いえ、…わかりました」
「…そうか。信じるぞ」

オレは笑顔でそう言って曲がったナイフをそいつの手に返してやった。

「燃えないゴミの日に出しとけ。
 “危険”の張り紙、忘れんなよ」
「はい…」

そいつはか細い声で返事をすると、無事な方の手で支えて何とか立ち上がり、自転車を押して立ち去った。

他人を平気で恐い目にあわせている奴は、それと同じ目に自分があってみるといい。相手の気持ちを知れば、二度とそんなことは出来ないはずだ。それでも、自分はそんな目にあうのはイヤだが、他人ならどうでもいい…なんて思う奴は…、
…う~ん、こりゃもうどーしよーもないね。天罰を待とう。今回のようなプライベートな中での出来事もそうだが、探偵のトラブルビジネスの中でも、相手によって対処の仕方は当然違ってくる。聞く耳のある奴には言葉で、そんな耳持ってない相手には少々荒っぽい手段もやむを得ない。

「あの…、ありがとうございました」

突然後ろで声がして、振り向くとそこにはまだあの学生がいた。

「ああ、無事でよかったな」
「助かりました」
「キミみたいに当たり前の人間がまだいる
 ってわかって嬉しかったよ」
「えっ?」
「でもこれからはよっぽど気をつけないと
 ヤバいこと多いぞ。当たり前のことが通用
 しない奴がいっぱいいるから」
「いや、俺もヤバいと思ったんだけど、
 もう退くに退けなくて…」
「まあな。腕に自信がなかったら、難しい
 かも知れないけど、〈逃げるが勝ち〉
 ってこともあるしな」
「はい、今度からそうします」
「正義感からケガしたり、命落とすことも
 あるしな」
「はい、…でもスゴイっすね、さっきの…」

おっと、やっぱりその話題に振って来た。そのことを話すのは面倒だ。どうしてあんなこと出来るのか…と聞かれても、特に理由は見当たらず、説明に困ってしまう。

「あっ、悪いけどオレもう時間ないんだ。
 行くわ。またどっかでな」

幸いさっきのジイさんにケガもなかったようだし、自転車の男も意外と素直な奴で、ちょっと痛い目を見て反省したようにも感じられ、オレは何様のつもりか…と思いつつ、一件落着とした。

「また、どっかで(逢おう)な」…学生に言ったこの言葉にウソはない。オレは、特にあの学生だけでなく、ああいった当たり前の心と行動力を持った人間にはいくらでも会いたい。今の世の中で、とても貴重な人々だから。

あ、それはそうとさっきのオレ、カッコ良かったよなァ。自転車のサドルジャンプ! 続く電撃急降下キック! ああ、これが仕事だったらなァ~、
いいギャラ入るのにィ。


                    End

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晃介
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