網タイツ18号
さやさやと 私の中を流れる 心の水は 驚くほど穏やかに 私の中を流れる 心の音は 何にも似てないのに 何処か懐かしく 恋しく思ふのです さやさやと さやさやと 私の中に溢れてる 私の中に溢れてる 誰にもわからない 私にも捉えられない この音は 静かにたおやかに ただ ただ 通り過ぎていくのです 誰にも知られずに 私だけの中で さやさやと さやさやと 心地良く流れるのです さやさやと さやさやと
何十年前だろう… 遥かに前過ぎて私は考えたくないけど… 人生のプランを書いた事がある。 皆さんは今の自分の人生が想像通りに進んだでしょうか? 私は全然進んでないのです。 それどころか、想像もしてない所へ導かれるように進んでいるのです。 しかし、私が冗談みたいに話してた事は悉く叶っているのです。 私の地図はきっと迷路なのかもしれません。 思うように生きたい人生ではなく 冗談みたいに話してた事が叶うなんて、嘘みたいです。 例えば… シングルマザーになってすぐ
私には小学生の頃エッちゃんという友達がいました。 彼女はとても大人しくて、あまり話さない子でした。 その子とお人形遊びをよくやりました。 その時に、「あっ!!ダメだよ!」とエッちゃんに言われました。 「何?どうしたの??」と聞くと… リカちゃんをお布団に寝かせると… 「そっちは北枕だよ!!」 と、言われるたのです。 「キタマクラ???」 私は聞き馴染みのい言葉に「クエスチョンマーク」で頭がいっぱい。 「そっちの方向に寝かせるのは、死んだ人だけだよ」 と説
小学6年生の頃の私は、仲の良い男子が何人かいた。 その中の男子の佐藤君とはとても親しかった。 ハッキリいうと、傍目ではベタベタしてるように見えたかもしれない。 佐藤君は体が華奢で、色白で、髪の毛も目も茶色がかって… ソバカスが鼻と頬にかけてたくさんあった… 少しハーフっぽい感じがする子だった。 私は当時佐藤君を好きと言う感情は無く、ただ心穏やかにお話が出来る仲の良い男子の一人だった。 女の子同士の仲良しみたな感じだったと思う。 佐藤君と私は昼休みに、向かい合
人生の中で、心の奥底から幸せだという思いを与えてくれたのは「息子」の存在。 私は親からの愛情を感じられずに過ごした。 だから、子供が私にとって家族そのものであり… 夢や希望であり、愛そのものだった。 息子からすれば「自分勝手な思い」かもしれない… けれど、子供達の寝顔も笑顔も「幸せ」を与えてくれた。 もう、二十数年も経つのに… 息子達の可愛らしいエピソードや、言葉は宝物のように胸にしまってある。 いつも優しい言葉をくれた長男。 いつも驚きとユーモアをくれた
諦めて楽になったのは、夫への「愛情」です。 数年前に一気にどん底に落とされるような事があり、「もう、この人の事は諦めよう」と思いました。 それまでは、何度もぶつかってみましたが、夫にスルーされました。 苦しい期間、私は何度か自殺未遂のような真似をしたり。 死ぬに死ねない…苦しくて辛い気持ちを抱えたまま、数年を過ごしました。 多分夫から見れば、馬鹿げてたのだろうと思いました。 前の夫の時と似た不穏な状況が重なってた事。 夫の家族と上手く行かないこと。 新しい仕事
女性というのは、仲間意識が強いのか… 自分一人で決断して行動するのが苦手な人が割と多いような気がします。 グループ行動もそうですが、仲良しの二人組と言うのは困る事が多いような気がします。 私の周りのもうすぐ60になる女性の友達同士が、「A子が行くならいく。」「A子がやらないならやらない。」「A子が…」と、自分の意思では無くて必ずそのA子さんが必要なのです。 そしてもう一人も、同じく… 「B子が…」と言う。 何人かで居ても、二人でベタベタしている。 もう少しで還暦
私は母のゴミ箱。 小さな頃から母の愚痴を聞かされて生きてきた。 どれだけ苦労したか、自分が悲劇のヒロインか、悪いのはいつも周りだと… そのような事をずっと聞かされて来た私は、それが当たり前だった。 いつも愚痴を聞かされていた。 会社、友達、家族、親族… 子供の頃から大人の事情や深刻な話を全て聞かされていたので、私は母が悪く言う大人達を嫌な目で見ていた。 しかし、母はその人達の前で普通に笑って楽しそうに振る舞っていた。 私はそんな風に行かない。 母が悪く言う人
皆さんは無駄なこと嫌いですか? 今回私の言う無駄な事は、「無駄に考える事」です。 例えば…何かで落ち込んだ時、過去に起きた事をトラウマとして思い出したり、悩んだり、悲しくなったり、憂鬱になったりしませんか? すると、一気に不幸な気持ちになりますよね? 最近聴いてた話が、とても面白く、人生を楽しく生きるコツはここにあるのだと私は思いました。 前に書いた気もするけど… 私は結構ネガティブな性格なのに、無理矢理ポジティブに生きて来ました。 結果的に願いは敵わず、心が折
女性の皆さんは「若い」「綺麗」「可愛い」と言われると嬉しいですよね? 私は「若い」とは言われるけど、その他の「可愛い」「綺麗」はあまり無いような気がします。 最近は特に息子と歩いていると、「若いお母さんだね!」と言われるようで… ハッキリ言ってとても嬉しいですよ! 小躍りします!! 私は「綺麗」でも「可愛い」訳でも無いことを自身がよく分かってるので、せめて最後の一つ「若い」だけでも言われたいと心から願っておりました。 そして、「綺麗」「可愛い」を言われないのも納得
今夜、スーパーで「あれ!?」と声をかけられた。 私の働く店に来るお客様の一人だった。 そのお客様は男性で、コロナ騒動になってからやたらとよく来るようになった。 店で話しかけられるようになり、フランクに話すようになったのですが… 困った事に絡みがどんどん激しくなり、用が済んでもなかなか帰らなくなった。 週に1度から週に2、3度来るようになったり… とにかく本当によく来るようになったのだ。 私はその方が、フランクに話しつつもちょっと面倒なお客様である事にすぐに気がつ
憎む気持ちはとても苦しい。 許せない 受け入れ難い 辛い事を強いられ… 笑って許す事など、とても出来そうに無いと思う。 でも… 憎しみ続ける事は、自分を愚かにしてしまう。 憎い相手を許す事は難しい事だけれど… 自分の心を救う為に… 人は「許す事」を覚えるのかもしれない。 私は20代の頃、とても苦しい中でそう思った。 とても毎日が辛かった… 憎しみ続ける事で、恨む事で… 私は自分の時間を失う事を恐れたから。 それを止めることにした。 言葉では許せな
誰かに非難されたり、都合が悪くなると、すぐに誰かのせいにする人、もしくは言い訳ばかりする人がいます。 今までそのような人を何人か見ました。 私の場合、男性の方が割合的に多いように思えました。 自分のプライドを護りたいのは分かるとしても… そんな言い訳は不要で、実際に怒らせてしまうような事を指摘されてるのだとしたら、言い訳も何も無いと思うのです。 確かに言い分はあるのでしょう… でも、理由はどうであれ結果は怒りを買ったわけです。 そこで、自分は悪いことしてないとい
私の幼少期は、周りと比べると割とヘビーな家庭環境だったらしい。 まずは、ネグレクトの両親。 熱狂的な宗教信者の祖父母。 常に私を殺しかねない兄。 今の私からは想像出来ないようだけれど… 私はとても気弱で泣き虫な女の子だった。 中でも、同居していた祖母は家族の中で一番権力を持つ存在で、誰も逆らう事が出来ない恐ろしい人だった。 両親はそんな祖母に私達兄妹を任せて、仕事か自分達の時間に費やし、子育てをほぼ放棄していたので両親と過ごす時間はあまり無かった。 そんな祖母
店の奥に私はいる。 お客様が来ると… 「すみませーーーん!!」 大声で呼ばれる 慌てて店に出る。 何故だろう…??? 皆さんどうしてそんなに大声を出したいのだろうか? そこにベルはある 目の前にベルはあるのに 呼ぶ為の何かを探す前に「すみませーーーん!!」と大声で呼ぶ。 「凄いなぁ…」と思ってしまう。 私はお喋りは好きだけど、大声で何かを注文したり、店員さんを呼ぶ行為がとても苦手だ。 回転寿司がタッチパネルになって、心底安心して食べに行けるようになった