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古典『御伽百物語』其の弐「肉食系男子の末期」

史実とフィクションを織り交ぜた説話になっています。当時の世相がわかっておもしろいと思いました。オチも決まってます笑。

『御伽百物語』についての詳細は↓をご覧ください。
現代語訳で楽しむ『御伽百物語』前口上|トミオ|note

 筑前国ちくぜんのくにの博多(福岡市博多区)や黒崎(北九州市八幡西区)といった辺りでは、よい相撲を見ることができる。元禄十二年(一六九九年)、京都の岡崎村(現在の岡崎神社周辺)で*勧進相撲が行われることになり、興行主は諸国に使いを送り、強い力士は雇い入れると知らせて回ったので、両国りょうこくかじの介(池田藩お抱えの大関)や金碇仁太夫かないかりにだゆう(筑前出身の大関)といった者を筆頭に、名声を誇った多くの力士がここぞとばかり挑もうと、京都にのぼる準備していた。

 そのなかの一人に、捻鉄ねじがね九太夫(未詳)という三十前の男がいたが、その剛力は類なく、技量にも長けており、四十八手(相撲の技の総称)はいうにおよばず、さまざまな技を使う妙手だった。人はみな師や兄のように待遇し、あえて挑もうとするものもいなかったので、捻鉄は思い上がり、
「長く禁止されていた京の都で相撲が久方ぶりに行われるが、これこそおれたちが日ごろ待ち望んでいたこと。都は諸国が敬意を払うところと聞き、また都人みやこびとは諸芸に秀でているとも聞く。そのようなところでおれが相撲を取り万人の目を驚かせてやろうではないか」
 と言って、勧進相撲に参加することにした。

 捻鉄は生まれつきだれよりも*肉を好み、幼少の頃から山野を駆け回っては猟をし、昼も夜も海や川に行っては魚や水鳥を捕まえていた。なかでも犬と猫が好物で、他人が愛玩しているものでもお構いなしに奪い取り殺して食ったので、そのうちに捻鉄の周囲では犬猫を飼う者がいなくなった。まれにいても、敷地の奥や家から離れたところで飼い、鳴き声を聞かれないように用心した。
 そのため大好物が手に入らなくなった捻鉄は東国や北国の商人に頼んだり、相撲の弟子にとってこさせたりしていたが、あと四、五日もすれば都へあがるので、
「うれしいことだ。京に行けばまず犬猫を思う存分食おう。今日は宗像むなかたの山(福岡県の山)で鳥を捕まえ気を紛らわせることにしよう」
 と鷹狩用のはいたか(タカの一種)を手に載せて山へと速足で歩いていると、惣髪そうはつ月代さかやきを剃らない髪型。儒者・医師・山伏・浪人・神官などの髪型)の侍二人が威儀を正して向かってくる。裏地のあるかみしも(武士の礼服)を着こなし、大小の刀(二本帯刀は武士の印)を差しており、その颯爽として気品のあるさまはいかにも隣国の君主の側近といった風情。さては聞くところによる、諸国を調査して回る幕府派遣の特使かと思ったが、たった二人というのもおかしなことなので首をかしげていたが、侍二人は捻鉄の前まで来ると、
「おまえはこの国で名をはせている相撲取りの捻鉄という者か」
 捻鉄は思わずひざまずくと、
「いかにもわたしのことでございます」
「ではついてこい。内密に伝えることがある」

 落ち着かない気持ちで二人のあとに従い二、三町(一町=約109メートル)ほど行くと、見慣れない広大な野原に出た。二人の侍は立ち止まって言った。
「我々は人間ではない。宗像山地の神の使いである。数多の生類を殺したおまえの罪は重い。閻魔王庁はその罰としておまえの寿命を今日までに縮め、地獄の底で殺された生類たちの怨みに報いよとの決定が下され、我々が迎えに来たのだ」
 捻鉄は承服せず、怒って言った。
「閻魔王庁だとか地獄だとかいったいなんのことだ。人は鬼ではない。おまえたちはどう見ても人ではないか。相手を見てから嘘を言え」
 すると使者は懐から手紙のようなものを取り出して渡すので、不思議に思いながら広げて読んだ。

 天地が成り、そのなかから出現された神々は山を生み川を生み、草木、翼のあるもの、毛のあるもの、角のあるものをお生みになり、これらを広遠な大日本国の宝と見なした。恵み豊かに数を増やした動物たちはみな、天の神の指先であり、地の神の慈しむ子らである。それゆえ天と地の根は同一であり、万物の本質は一つである。これを宗源そうげん卜部うらべ神道の用語)という。宗源が唯一現れ出るところである神道の儀礼はみだりに行ってはならない。
 にもかかわらず、博多の港町に住む捻鉄九太夫という男はよこしまな心をもち、行いは人の道を外れており、ただの一食にも舌を満足させようと数多の動物の命を奪い、貪り食った。なかでも犬猫を殺すこと四六〇匹。魚と鳥の数は限りないがすべて記録されている。
 のみならず、腕力にものをいわせ、弱いものを侮辱し、筑前国中の農民、神の御奴みやつこ(神社に属し雑役を行った賤民)に乱暴を働き危害を加えた事例は数え尽くせぬほどである。閻魔帳は書き上げられ、九太夫の寿命は縮められた。今日をもってこの世の終わりである。ただちに使者を派遣し速やかに召し取り、殺生への罪を償わせ、犬猫の怨みを晴らしてやることだ。

 文字の墨も朱印もまだ乾ききっておらず、つい先ほどしたためられたものと見える。九太夫は身の毛がよだつとともに激しく後悔し、鷂を手から振り払うと地にひれ伏し、泣く泣く二人に言った。
「このような悪業を積んでしまったことを今更後悔しても無駄だとは思いますが、報いがあるということを知らなかったのです。地獄も鬼神も存在せず、そんなものは人の行いを戒めるための作り事、そう思ってきたのです。自業自得ではございますが、無知のなせることでもありますので、少しでも命を延ばしていただくわけにはいかないでしょうか。ことわざにも『人を助くるは菩薩ぼさつぎょう(人を助けることは菩薩の行為に等しい尊い行いである)』とあります。せめて念仏だけでも唱えたいと思います。どうかまずこちらへどうぞ」

 捻鉄は二人を強引に町へ連れて戻り、ある酒屋に案内した。繰り返し懇願しつつ、注文した酒を九つの天目茶碗に注ぎ入れ、自分も三杯飲み、二人にも三杯ずつ勧めて飲ませた。すると一人の使者が、
「確かにおまえの心境を思うと不憫である。またこのようなもてなしをする親切心もあるようだ。よいだろう。おまえの延命を頼んでみよう。しばらくここで待っていろ」
 そう言って席を立ったかと思うと、瞬きするあいだに戻ってき、
「命が惜しければ四百貫文の銭(一貫文は一文銭千枚)を用意し奉納せよ。そうすれば三年命を延ばしてやろう」
 九太夫が踊りださんばかりに喜ぶなか、二人の使者は明日の昼までに用意せよと言って帰っていった。
 酒屋の主人にはこの二人が見えず、ただ一人で騒いでいる九太夫を気が狂ったのだと思っていたが、そのままあるように見えた、九太夫が二人に供えた六杯の酒は、水に変わっていたということだ。

 さて九太夫は金をかき集めてみたが四百貫文には遠く届かないので、家財を売却し、岡崎の勧進相撲に出場することを約束して頭金を得るなどしてようやく全額を工面し、午の刻(午前十一時~午後一時ごろ)に仏前に供えたところ、昨日の使者二人が再び現れ金を取って帰っていった。

 九太夫は安堵し、多少なりとも慰められる思いがしたが、三日後にまた二人が現れた。
「忘れたのか、今日は冥途へ行く日であるぞ」
「でもまだ三日しか経っておりません」
「あの世の三年はこの世の三日だ」
 引き立てられた九太夫はついに死んでしまったということだ。

了 (御伽百物語 巻二の一『岡崎村の相撲』より)
 

*勧進相撲…観客から見物料を取って興行する相撲。一六四八年以来禁じられていたが、一六九九年のこの年、京都岡崎村で開催された。
*肉…絶対的な仏教思想と徳川綱吉の生類憐みの令により、肉食が禁忌とされていた当時、無頼の徒が犬猫を捕まえては食べ、諸人の迷惑になっていたという事例がある。また強くなるために力士が肉を食べる例は珍しいことではなかったようだ。(『御伽百物語』藤川雅恵編著 三弥井書店 より)

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