
憧れの正体
私は一重だから、あのこみたいにアイシャドウをうまく塗れない
私は癖っ毛だから、あのこみたいにサラサラにならない
私は雰囲気カジュアルだから、あのこみたいにきれい目は似合わない
私は、
私は、
私は、
20代のときの私は、周りに憧れる対象が沢山いました。
そして、比べては落ち込んでいました。
トミーです。
仕事も、恋愛も、人間関係も。
うまくいかないのは、自分が手に入らないもののせいだ。
全て
『あのこだからうまくいくんだ。』
自分には絶対に無理な、喉から手が出るくらいほしいことに、価値を持っていました。
そのとき、一番怖かったことは何だと思いますか?
人を妬む気持ち。
劣等感にまみれてしまうと、嫌な自分が生まれそうで、本当に本当に怖かったのです。
妬んだところで、もっと自分の価値が下がるだけだ。
今思うと、そう冷静に考えることが出来ただけ、自分を撫でまわし、褒めてあげたい。
なんて、可愛いのだろう。
そして、私は嫉妬心を生まれさせないために、ある方法を実行しました。
相手を褒めたたえる。
とにもかくにも、口に出して、
羨ましいこと、
自分もそうなりたいこと、
そんなあなたが大好きなこと、
憧れていること、
全てを言葉にしました。
意外と効果的で、素直に言葉にすると、劣等感が少し晴れるのです。
そして、恐れた嫉妬心は、生まれることもなく、心の平和をたもちます。
嫉妬心をおさえながらも、相手を褒めることが出来る自分に価値をもとう。
たぶん、そんな風な思考になれたのかもしれません。びびたる、肯定感です。
あまりにも、私が褒め称えるので、憧れの対象は、ものすごく気持ちが良さそうでした。
そして、私が褒め称えることが、当たり前になりました。
私は、褒めることが苦手ではあるのですが、素直に思うのであれば、どんどん出てきます。
次々に、伝えることで、自分のコントロールをしました。
20代後半くらいでしょうか。
自分のコントロールに疑問が出てきました。
なんだか、褒め称えることが、本心ではなくなったのです。
それは、嫉妬心で荒れ狂っているからではありません。
あれ、なんだかこの人に憧れない。
憧れの対象の生活や性格は、ずっと変わりません。
20代前半の私が、喉から手が出るくらいほしいものを、ずっとキープしています。
私の価値が変わったらしい。
そう、私の価値や優先順位が、20代後半ガラリと変わりました。
仕事、恋愛、人間関係、全て満足いっていたころです。
そのころ、色々なことに揉まれ、
自分に鞭を打ちまくり、
自分の手札で戦おう。
ようやく、気持ちが奮い立っていたのです。
正直、劣等感疲れもありましたが。
何かに挑戦すると、意外とうまくいって、
一歩一歩進むことが、なんだか爽快でした。
そのときの、あらゆる環境が、ヤル気スイッチの原動力だったと思います。
とくに、人間関係は豊かでした。
あれ、この人素敵だな。
あれ、こんな世界もあるんだ。
あれ、そんなこと知らなかった。
そう、人間関係が圧倒的に広がり、過去の憧れの対象が、
どうでもよくなった。
でも、いきなり褒め称えることを、辞めるのはおかしいので、それなりにタイミングがあれば褒めていました。
しかし、前よりかは圧倒的に減っています。
だって、憧れていないんだもん。
30代になり、私のまわりはほぼ結婚しました。
私は、一番晩婚でしたが、ながらく旦那とお付き合い状態ではあったので、メンタルの安定に役立っていました。
また、遅咲きすぎますが、独り暮らしを経験してみました。
結婚するにしても、世の中を知らなすぎる。
あと、なんといっても母親の干渉から逃げたかったのです。
バカみたいな失敗もしましたが、自由であることが、こんなに幸せなのかと、感動しました。
仕事も、そこそこ数字を出して、昇格していたころだったと思います。
自立してる感覚が、たまらなかったです。
30代前半に思ったこと。
あれ、自分の手札で幸せになってないか?
自己肯定感とか、自信とか、そういうのが何とも気恥ずかしいタイプです。
また
『もっと努力できるはず』
『私なんかより上は沢山いる』
『謙虚こそ成長』
と、思うタイプなので、
いや、そんな風に思える自分のほうが好きなので、胸をはって、幸せを実感しないでいました。意味わからないですよね。
そして、30代後半の現在。
幸せすぎる。
と、毎日思っています。
なんの躊躇もなく。
人生で、一番ストレスがない生活に着地したからでしょう。
そんな今の自分が、憧れだった対象を冷静に観察して思います。
私には何があっても、やっぱり手に入らない。
だって、根底の価値観が違うのだもの。
見栄だけをひたすら大事にするタイプ
そう、20代前半で、憧れていたものの正体です。
私には、微塵も見栄がありません。
いちいち、かっこつけなければいけない世界観に、どうやっても追い付くわけがないんです。
そこに、劣等感を抱いていたなんて、なんとも
若かったなぁと思います。
今でいうと、SNSのキラキラ女子を見ながら、疲れてしまう感覚と同じでしょう。
私のなかで、ずっと印象的な言葉があります。
憧れの対象からの言葉です。
『私は、自己肯定感がめちゃくちゃ低いんだ。トミーがずっと羨ましかった。愛されてるから。』
それを聞いたとき、脳バグが起きました。
ニホンゴヨクワカリマセン
日本語初心者の外国人くらい理解不能。
『いや、あなただって愛されてるじゃん!』
と、反論しようと思ったのですが、、、
ん?そうでもないな。
素直すぎる私は、口をつぐみました。
そして、思いました。
愛されるより、褒められることのが価値高いんでしょ?
なら、よくないか?
幸せじゃん?
ひたすら、褒められることに生き甲斐を感じるように見えています。
私を羨む気持ちは、理解不能です。
最近、私は全く褒めなくなりました。
自分に、ど素直に生きているので。
すると、
『ねぇ、トミーどう思う?』
まさかの、褒めのカツアゲをされました。
こんなこと、今までされたこと無かったのに。
私が褒め称えないことが、違和感なのでしょう。
そんなことしなくても、自然に褒められるあなたであってほしい。
私の腹のなかが、ぐにゃぐにゃ気持ち悪くなりました。
憧れていたのは、事実なので、堂々としてほしいなと、思ったのです。
やっぱり、憧れの対象ではなくなった。
いまの私には、見栄が無価値なのです。
じゃあ、誰かに憧れているかといれば、そんなのなくて。
マイペースに生きることが、何よりだなと、本当に思う40手前です。
まぁ、足りないものが多すぎるから、工夫しなきゃだけど。
旦那からは、
『ちょっとエッヂが利きすぎた客観視があるからいいよね。』
だそうです。
自分をぶん殴りつつも、なんとかするタイプなので。
そう考えると、20代前半も、自分をぶん殴りながら前進していたのかも。
と、今だから思います。
20代の私、お疲れ様。
あなたのおかげで、まぁまぁ幸せよ。
ありがとう。
こんなふうに、未来のおばあちゃんの私が、さらに40手前の私に思っているのかな。
ちょっと、面白い。
人生、面白い。