見出し画像

教訓 内なる希望を光に変えて

人生とは、その体験を通してなにを学ぶかというものであると思う。
そして、自分がどう変化し、成長していくかということだと思う。
その限りにおいて、どんな体験にも肯定的な意味を見出すことができる。
謙虚に、素直に出来事を見つめ、そこからの学びを自らに反映して生きることができるならば。

もしも私が眠れないというのならば、私は未だ今日に、置き忘れたものがあるのかもしれない。
学び忘れたものがあるのかもしれない。
私は正直だったか。自分の心に耳を傾けて、よく対話したか。
私は人を大切にしたか。人を大切にするとは、精一杯に生きる自己を見護る愛に満ちた眼差しのごとく、他者の生きる人生の物語にも、愛と光を与えるということだ。
自分の成長を期待するがごとく、他者の成長を喜ぶものなのだ。
自分の夢に向かい努力するがごとく、他者の夢を期待し応援するものなのだ。

お天道様は見ている、という。それは確かに、大いなる存在は私たちを見通しているということであるかもしれない。
だが最も自分を知り、自分を見つめているのは、自分自身なのだ。
もしも私が、人知れず罪を働いたのならば、私は私自身を見つめた眼差しからは逃れることができない。
だから私は、今日一日、罪を犯さなかったか、ズルくはなかったか、誰も見ていなかったとしても、常に自問自答しながら生きなくてはならないのだ。

そして例えばそこに、自分しか知らない罪を認めたとしたら、そのことを恥ずかしいと思えたのならば、そこからまた生き直したらよい。
そのことによって、昨日よりもより良く生きていけるのならば、そのための大いなる学びがそこにはあり、自分の弱さ故の必然があったのならば、私は栄冠を掴むよりも朽ち果てぬ糧をいただいたということだと思うのだ。

心の傷には必ず癒しが訪れる。人生の出来事と向き合い、意味を見出し、謙虚に受け入れ学びを得たのならば。
そして闇から学び得た光は、他者の心をも癒す大いなる愛と繋がることができるのだ。
それが私のものになるのではない。
誰しもが生まれる前に、そして生まれながらに知り、もっている、共通の大きな幹の、尽き果てぬ根元の、地球が始まる前から脈動している普遍に、触れることができるのだ。

私は今日一日、心軽く素直に生きたか。
私は今日一日、人知れず罪を犯さなかったか。
私は今日一日、一瞬たりとも恥ずべき行いをしなかったか。
私は今日一日、人を侮り、蔑ろにしなかったか。
私は今日一日、怒りに支配されて行動しなかったか。
私は今日一日、心に闇の入り込む隙間を作らなかったか。
私は今日一日、愛と光を自分自身に、他者に与えることができたか。

私は今日も一日、与えられた生を全うし、許された時間に感謝して、運命と向き合って、内なる希望を光に変えて、愛を携えて、愛の使者として、生きていく。

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
明日もあなたに良いことがありますように♪


いいなと思ったら応援しよう!

冨永裕輔 Yusuke Tominaga
よろしければサポートをお願いします! コロナによりライブ中心の音楽活動は難しくなりました。 しかし変革のチャンスにして、レコーディング、撮影、配信機材を整えています。いただいたサポートを更なる向上と持続に活かし、ますます有意義であなたにお楽しみいただけるnote発信を続けます。