「写真が上手い」ってどういうこと?
はじめに・・写真が上手いというときの意味
写真が上手くなりたいなあ、なんて漠然と思う時があるが、そもそも「写真が上手い」ってということはどういうことなのか、色々と考えてみた。写真を撮るという行為をよくよく観察してみると、どうやら、写真は3つの階層から成り立っていている。
1)撮影技術の問題・・テクノロジーの問題 ・・ここで「技術」とは、一定の目的を達成するための具体的手段で、客観性、反復継続性、再現可能性があるものです。客観的な技術情報は伝達容易で、それを見れば同じことを再現できる。
2)撮影技能の問題・・言語化しにくいノウハウの問題 ・・ここで「技能」とは、「人間がもつ技に関する能力であり、それを使って仕事などを行う行為」をいう。技術のように客観的知識として伝達しやすいもののではなく、主観的なもので伝達にはその行為を真似て体得していかなければならない。
3)撮影センスの問題・・感性の問題・・・例えば、被写体の選択から始まって、構図のとり方、明るさの程度、色の選択など、どのように決定するかになるが。ここは、その人の美意識に基づくものだから、何ともいえません。
ちまたで、「写真が上手い」と言うとき、どうやら1)の場合を言っているとき、1)と2)を併せて言っているとき、1)から3)も含めて言っているときがあるように思います。
逆に「写真が下手」の例を考えてみると、例えば、ブレた写真、ピンボケの写真、露出が不適切で真っ黒になってしまった写真、あるいは、真っ白になってしまった写真は、下手だな〜となりますね。そういう写真ばかり撮っていた人がブレずにピントもきちんと合い、露出も適切で綺麗に写真を撮れるようになると、写真が上手くなったね、と言われたりする。この場合の上手い下手は、1)の撮影技術の問題ですね。そして、このようなレベルの問題は、最近のカメラの進歩により、人に代わってカメラ自体が解決してくれるようになっています。
カメラ&レンズが綺麗な写真を撮ってくれる
カメラの選び方で、カメラの選択は、撮影機会の選択であると言いました。動きの早い被写体を捉えて、確実に写す技術は、カメラのAF機能や連写機能が助けてくれます。ボケの美しい写真を撮るには、単焦点の明るいレンズが担当してくれます。遠方で羽ばたく稀有な野鳥を撮るには、超望遠レンズが働いてくれます。すなわち、それなりのカメラやレンズなどの機材を揃えれば、そういった撮影の機会をものにして、カメラ任せでそれなりの綺麗な写真を撮ることができます。
すると、なんとなく写真が上手くなったと思ってしまうわけです。しかし、よくよく考えると、ここまでの状態は、自分自身の撮影技術が上達したのではないんだと気づくわけです。
錯覚:写真が上手くなったんじゃなく、上手い写真を撮れるカメラを持っただけだった
このような錯覚は、自分が体験したことです。つくづく思うのですが、カメラやレンズが撮ってくれる写真に満足していては、上達はままならないなあと。そこで、撮るたびに自分に問いかけることにしています。「今の写真は、カメラが撮ったのか、それとも自分が工夫して撮ったのか」と。カメラ任せでは、その撮影結果について、どうしてそうなったのかが、わかりません。レンズ任せでは、同じレンズを使った他の人の写真と区別がつきません。カメラのどこをどのように操作すれば、そのような結果になるのか、どういうレンズを選ぶとどういう写りになるのか、自分で体得し、その活用方法を工夫していかなければなりません。
撮影の技能を磨く
そうすると、今度が撮影技術を駆使して、より最適な写真を撮るための「技能」を磨く必要が出てきますね。”光の魔術師”と称されるイルコ・アレクサンダロフ氏の撮影テクニックは、ある程度言語化され、技術情報として出版もされていますが、実際やってみないとわからない技能的な側面が強いようにも思えます。
よく光を捕まえるのが上手い、とか言います。写友さんの中に、玉ボケを利用した写真撮影の上手い人がいます。その方は、景色の中のどのようなシーンをどのような角度から撮ると玉ボケが生まれるかを体得しています。そういう能力は技能でしょうね。
撮影センスを磨く
ここまでの話は、写真が上手いの意味が=撮影技術と技能が高い、ということにとどまります。最後の3)撮影センスの問題を解決できるわけではありません。センスがよくなければ、良い光を見つけられず、せっかくの撮影技術、技能も効果的に活用できないことになります。
センスの問題は、その人が持つ感性、美意識の問題なのかと思うので、何ともいえません。感性を磨くには、よく、「本物を見る」とか、良い写真集をたくさん見るとか言われます。
そこで。 「良い写真って何?」 ってなりますよね。
これについては、なかなか難しく、またの機会にと思うわけですが、常々思うことは、個人の価値観とか社会の価値観、時代によって変遷する価値観などに影響される相対的なもので、なかなか、定義がむずかしいのではないかと。
写真ではないですが、有名なゴッホ。諸説あるようですが、彼の絵は生前1枚しか売れなかったとか・・。これはゴッホの絵がその時代に良い絵とは思われなかったということなのでしょうか。
10年以上昔のことですが、仕事でドイツのミュンヘンに行ったときの話です。仕事の合間に美術館に行ったら、絵画の歴史的な展覧会を開催していました。ヨーロッパの古い絵画はそのほとんどが宗教画、その後は、宮廷画家による王様や貴族の肖像画です。それらは、真っ黒な背景に肖像を描いたテンペラ画。それらが歴史の流れに沿って、展示されています。薄暗い絵がずっと続いくなあと思っていると、突然、燃え上がるようなゴッホの糸杉の絵が現れました。その強烈な描写、色使いに驚くわけです。同時代の画家にルノワール、ドガ、モネ、セザンヌ、ゴーギャンなどがいるようですが、ゴッホの絵は飛び抜けて激しさを感じます。あの時代の価値観にゴッホの絵は合わなかったのでしょうか。時代が早かった。
絵画に限らず、他のアート、写真もきっと同じようなことが言えるのかと思うわけです。良い写真と言われるには1)の技術は当然、さらに2)の技能と3)のセンスが組み合わさって出来上がり、さらに、他の何らかの要素(そこが知りたいわけですが)が備わった魅力的な写真であることが必要なのでしょうね。個人レベルで良い写真だと思っても、社会レベルではそうは言われないかもしれません。社会レベルで良い写真と言われるには、社会の価値観とマッチしなければならないのでしょう。難しいテーマです。
あ〜、写真は難しい。
追記
ある写真家さんの本に、「一般に思い描かれる上手な写真とは、撮影者の意向通り、思い通りに撮られた写真でしょう」とありました。・・・本当にそうかなと思うのですが、その理由は、客観的でないということ。第3者が見て、上手だなと思うとき、それが撮影者の意向通り、思い通りに撮られたのかは、わかりません。撮影者ではないからです。ですので、そういうのは、撮影者にとって、上手く撮れた写真であって、第3者の評価としての「上手・下手_」とは関係がない、と思う次第です。2021/09/18
「良い写真」とは何か という記事も書いてみました。ご覧いただけると幸いです。 https://note.com/tomfarmount/n/ncc9c095bc1ea
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