障害児のパニックについて
まず、パニックという言葉が一般的になりました。
保護者の方からも、よく聞くようになりました。
しかし、若干違和感も感じております。
それは何かというと、障害児が起こっている状態=パニックという使い方をする方がいます。
パニックの定義とは何でしょうか?
健常児がわーって泣くことは、怒るという表現で
障害児がわーって泣くことは、パニック・・・😥
とても違和感があります。
曖昧な部分もあるとは思いますが、私の考えるパニックとは、我を忘れて自らコントロールできず環境的配慮などを行わないと我に返ることが出来ない状態を指すと感じます。
上記の内容を定義とするならば、怒っているのか、パニックなのかは表情や目の動きなどでわかりますし、対応も違ってくるということになります。
パニックをどう考えるか
パニックについては、その前後関係やその後の結果含めて対象の子どもがつじつまを繋げて考えることはとても難しく、学習としての効果もそう大きくないと思います。
ですので、セオリーとしてはパニックは回避できるものは回避するべきものだと思います。
その為にはその子どもへ配慮すべき内容を環境として用意することになります。
視覚への配慮や聴覚への配慮、指示の伝え方、集団の大きさなどなど・・・この辺は、この記事への関心が多きれば別記事で書いていきます。
でも避けられないパニック
いくら配慮をしたとしても、簡単に回避できないのは事実です。
ある程度は、環境の配慮ができたり視覚支援で見通しを伝えたりすることができますが、日常生活はイレギュラーの連続ですよね。
だから、きっと保護者や支援者はそんな場面があるとヒヤヒヤしてしまうと思います。
生活とはそういうものですよね・・・
強度行動障害で入所施設とかならばそんなことはなくなりますが。
では、そんなパニックを私たち保護者や支援者はどのように考えてどう受けとめていけばいいのでしょうか?
パニックにも種類がある
私は、パニックにも種類があると思っています。
それは、「必要なパニック」と「不必要なパニック」
必要なパニック
これは、生きていくうえで乗り越えないといけない葛藤すべきシーンでのパニックです。
再度書きますが、生活はイレギュラーの連続です。
ある程度社会性を獲得できる見通しのあるお子さんは、向かい合わないといけません。
勿論、だからといってただ単にパニックにさせて経験を積ませればいいとかではなく、逃げ道の確保や安全に過ごせる空間、受け止めをできる第二者(信頼できる大人)が必要です。
安全に、見守りつつそして気持ちが収まった時には、過剰にする必要はありませんが、受け止めてあげたいですね。
それから、子どもが発達をすること自体が、生活のズレを感じその部分に葛藤することなので、パニックにつながることも少なくありません。
しかし、発達とは自らの足で一歩進むことなので、苦しいかもしれないですが、必然だと思うもう一つです。
不必要なパニック
定期的に起きる苦手な場面で回避手段を伝えない若しくは用意しない。
苦手な状況に無意味に入れる。
乗り越えるべき状況ではない。
保護者も保育士も繰り返しても乗り越えるイメージが持てない。
ある時期までは不必要。
でもある時期から必要に変わることも少なくないかもしれません。
どちらにしも、その子どもへの理解がとても大切だと思います。
まとめ
発達障害系のお子さんをイメージして記事を書きましたが、実は私たちだって、うまく出来ないときや悔しい時に大声出したりしませんでしたか?
あそびで負けて、悔しくて走って家に逃げ帰ったりケンカしたりしませんでしたか?
成長とは、ズレを感じ葛藤を繰り返しそしてそれを乗り越えることです。
なんどか書きましたが、”障害”である前に”子ども”の成長としてしっかり見つめて考えることもとても大切だと思います。
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