遊べない子どもが多すぎ!ってことは生活力のない子どもが多すぎとイコールだよ
昨日に引き続き本日もがっつり!保育に入ってきました
まぁ~腰が痛い😭
誰もが口にする「気持ちは変わらないのに、身体がついてこない」ってやつです
私は、子どもたちとダイナミックに遊ぶのが好きなので、ドカーンとかぐるぐるっとか、ぎゅーって遊ぶ(保育士ならわかるはず( ´艸`))
まぁそうやって、命を削って遊んだのですが感想を一言言わせてください
「遊べない子どもが多すぎ」
本当にコレ
障害ある子どもたちなので、イメージ力がなかったり注視できなかったり、操作がとか、障害から来る原因で遊べないのは当然で、これは私たちに任せなさい案件です
が、しかし
そうではなく、遊べなさすぎ
遊びができないと、物への執着へ行きがち
そして、人が好きだと人物がきらきら✨見えすぎ
結果もめるしかない
結果的に友達の物を奪ったからといって、遊べず終わる
要は、奪うまでが最高ピークで自分のものになった瞬間にその価値が失われる
きらきら✨が見えなくなる
ってことはですよ、専門用語になっちゃいますけど三項関係が結べないわけじゃないですか?ちょっと待てよ??
二項関係も危ういぞってなるわけですよ
対人部分で言えば、特に発達障害系のお子さんは自分軸過ぎるので、まぁ上記の関係は苦手な分野というのは、間違いないがそれでも・・・ってかんじです
してはいけないことへの注意をする親はたくさんいます
それは、他人に迷惑をかけてはいけないとかルールとか様々な側面がありますが、その注意は本当に子どもの為に注意をしてますか?ってことです
そして、遊んでいますか?
子どもにとっての遊びはイコール生活です
生活をさせていますか?
生活というのは、様々な因果関係が”当たり前に生きる”という中で見えてきたり、体験として理解をするめっちゃ大切な学習場面です
物事の因果関係が学習として分かるから、それが遊びとして広がり物事の習性や意味などを知っていく
分かりやすく言うと、蛇口をひねって水が出るところを見せるから、自分でひねろうする、そして、水という存在を知り、蛇口からでてくる水を触ろうとする
コップの中の水と蛇口から出てくる水は最初別物なのです
でも、たくさん経験をしていく中で、雨も水だし涙も水、雪だって解けら水って具合に広がりが出てきて結び付いていく
そんな、豊かな生活体験は豊かな遊びやイメージを膨らませる
絵本が好きな子どもは生活体験が多い子どもが多いですね(この辺は特性にもよりますが)
正直な話、生活体験が乏しい子どもへの指導は困難です
だって、園での時間は一日たった5時間
勿論その部分を大切に行っているとはいえ、年齢に対しての生活経験を満たしそれを力として汎化する
単純計算で倍はかかります
デジタル大好きな私が言うのもなんですが、子どものアナログ的な部分の大切さ
人間は所詮動物ですからね😞脳みそが自分の手足を使って培った経験のほうが学習としての効率がいいことなんて常識でしょう
遊びとか生活とかもうこれを語るには、ちょっと書ききれるものではないので、この辺でやめますが、最後にもう一度いいますね
障害があろうとなかろうと、毎日の生活の積み重ねはすべての発達に密接に関係します
密接どころかその積み重ねこそが、発達の原動力と断言してもよいぐらいです
どうか、どうか、どうか、大切に丁寧に生活を考えてください