見出し画像

保育は一人じゃできない。大人同士連携出来ない人は良い保育もできない。

皆さんお仕事捗っていますか?

職場にはいろいろな人間がいます。
「いろいろ」っていうのは、その人が歩んできた歴史や人生観、仕事観などなどのことを指すと思います。

そんな、いろいろな人間が集まって一つのことを目標にして物事を進めるってこんな難しいことはありません。

少人数ならまだしも、人数が多ければ多い程難しくなりますよね。
下手をしたら、派閥とかもあったりするかもしれません。

そんな話は、置いといて。

保育という職業において職員間の連携について書いていきたい。

保育という職業は、「生活」というぐらいなので、本当にやることの幅が広い。

食事・排泄・着脱・遊び・安全見守りなどは当然として、これが障害児の療育がプラスされると、歩行不安・他害・自傷・コミュニケーション支援・情緒支援・個別の環境配慮とさらに複雑怪奇になってくる。

上記のような配慮を集団という視点と個別という視点を同時並行で”一日”を運営していく。

だから、保育士は子どもの表情や動きなどいつもと違ったりすると敏感に感じ取ることが出来る。

この辺は、感覚なのだがこの”何となくいつもと違う”って程凄いものはない。
何となく〇〇くんは〇〇な感じとフィーリングで捉え、そこからの差異を感じ取れるのは、母親か保育士ぐらいではないだろうか?ってぐらい凄い。

まぁ、それくらいアンテナの感度が良くないとやってられないのが保育士なのである。

だから、朝子どもたちが登園をしてきている時も、お母さんにどんな話を聞き出そうか?何を伝えようか?
朝の会では、どの子にどんなことを理解して欲しいからどのように伝えようか?って一つひとつの日課が進むとその視点も違ってくる。

もし、まだそこまで気づいていない保育士がいたのならば、気づいた方がいい。
朝子どもを迎えるという意味
朝の会をするという意味
食事をするという意味
などなど
形だけやるのであれば、専門職である意味がない。

その意味が分かって、自分の意図があって初めて子どもにその”理解”につながる。
子どもの前に立って進めている保育士が、その意味や意図が分からずして子どもに伝えられるはずがない。
もしかしたら逆に子どもの方から「先生は何が言いたいの?」って聞かれているのかもしれませんよ。集団としてまとまっていない状況があるのならばね・・・💦

で、ですよ。

こんなややこしくて、複雑で、臨機応変な状況が連鎖のように起きる日常の生活。
だからこそ、複数担任制が必要になってくる。

この複数担任制ってやつがこれまた難しくて、ともすれば足の引っ張り合いをしていることもある。

ある。

子どものことを真剣に考えて、どうすればいいのか?なんて討論したり意見を言い合ったりするのは、当然のことだと思う。

が、しかしたちが悪いのは

そこに”子ども”がおらず、保育士同士の(大人同士の)へんな関係性から生まれる足の引っ張り合い。

あなたたちは、何をしに来ているのか?って本当に聞いてみたい。

で、もう一つは無関心。

保育士同士で必要なのか連係プレイ。
この連係プレイでは同じ熱量同士が組むと、燃え上がります。
まぁ、いい結果を生むときと暴走して大コケすることもあるので、誰かが手綱を握る必要があるが、でもそこに”子ども”がいる限り間違いは起きません。

逆に、熱量が違いすぎるとペースが合わず。
熱量が高い方が抱え込んでしまったりする。それはそれで、勝手に関係がぎくしゃくしてしまったりするから、その熱量を持っている人がいかに冷めている人へ引火させるのかがカギとなる。

人材育成もそうかもしれないが、〇〇は〇〇をするっていうようなHow toではなく、「保育が面白い」って感じさせることが人材育成だ。

これは、マニュアルをいくら作っても無理な話だ。

保育が面白いって感じている保育士は勝手に保育が上手くなる。
子どもから好かれる保育士になっていく。
かっこよく言うと、エンゲージメントってやつだね。

保育が好きになるって「子どもがかわいい」って思える人ならば、みんな素質があると思うが、保育士自身が”自分だけの力”でやれるとか、思っている人や自分のやり方だけが正しいって思っている人は危険人物だ。

子どもも含む人間なんてみんな違うのだから相性だって、あるし一人では到底なれない。

だから、本当に子どもたちによい保育療育を提供しようとする人は、仲間を作るのも上手だと私は思う。

大人同士の関係をうまく出来ない人が、子ども集団をうまくまとめることなんて出来ないと私は思う。

だから、保育療育をしている私たちは自分を見つめないと簡単に子どもに見透かされちゃいますよって話。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?