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答えは子どもが持っているので、私は間違いをかっこよく受け入れたい!

私は、児童発達分野では長く経験をしておりそれなりの学びをしてきてるので、子どもの対応はできる方である。

が、しかし先日個別支援計画を立てるためにケース会議を開いたときのことです。

通常であれば、ある程度の情報とエピソードそして発達検査などからある程度の”あたり”をつけ、次の発達向けて大切な部分を見つけて必要な支援や環境などの方向性を見つけることが出来るものだが、今回はその”あたり”さえ見つけることが出来ない状況だった。

本当に、どこから手を付けてよいのか分からない状況だった。

そして、少しずつ更なる情報を集める中で何となく”あたり”をつける部分までは到達したものの、まったくと言っていい程手応えがない・・・

ってことで、一対一で対応をして本人の姿を詳しく観察をすることに

すると、ケース検討や情報の中で考えていた内容とズレ間が大きくあった。
本当に違っていた。

これは大きな問題だ。

子どものことを考えるときに、時と場合によっては限られた情報の中で筋道を見つけなければならない。

今までの経験から自分は見抜くことが出来ているという思い込みが、危険性を大きくはらんでいることを今回のケースで思い知らされた。

人が人のことを考えるのだ、分からなくて当たり前なのにどこか自分は、「出来る」と勘違いをしていたと反省をした。

それでも、私は役割として筋道を立てないといけないので今までと変わらず、職員・保護者などへ話を進めていかなくてはならい。

だから大切なのは、経過を追う事であると思う。

何かを変えたり進めるということは、その子どもが化学反応が起きる。その反応を見逃さず見て感じていつでも方向転換できるフットワークの軽さが必要だということ。

何故かというと、自分の考えは間違っていないとか、合っているとかは、子どもが決めるものである。

だから、経過を追うのだ。

分からなかったことが恥ずかしいのではなく、分かると思っていたことが恥ずかしい。

今らかも自信を持って、筋道を立てて支援計画を立てていくが、子どもの様子を見て間違いを受け入れることがかっこいいと思える支援者になりたいと思う。



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