あなたへの手紙

【語り】あなたへの手紙


これは、あなたへの手紙です。

私にとって見知らぬあなたへ 
あなたにとって見知らぬ私が
これより語りかけてみます。

不躾で申し訳ありませんが
あなたは自分が自分だと思ってますよね。

つまり、この手紙を読んでいるのは
一人称の自分である、と。

それは、そうに違いないと思います。

綴られた文面の意味を理解したり
内容を疑ったりしながら
これを読んでおられる事でしょう。

主語や述語などの文法も含め
自他を区別しない訳にはいかないはずです。

しかし、これが手紙ではなく 
絵画や音楽の鑑賞であったらどうでしょう。

それが素晴しい名作であれば
「われ」を忘れて鑑賞するのではないでしょうか。

どういう事かと申しますと 
自分を意識する必要がなければ
自分は必要でない、という事です。

また、「私」「僕」「俺」などと
自称を呼び替えるように
場の状況によって微妙に自分を変化させますね。

このように自分は意識の産物であり 
あったりなかったり変化したりするものです。

「われ思う。ゆえに、われあり」
かもしれませんが 

「われ思わぬ。ゆえに、われなし」
でもあるわけです。

ですから、私が私を意識しなければ私はなく 
あなたがあなたを意識しなければ
あなたはないのです。

それだけです。

もう、あなたは私を忘れてくださって結構です。
私もあなたを忘れます。

この手紙の事も忘れてください。

では、さようなら。
もしかしたら私かもしれない、あなた。


A Letter to You


This is a letter to you.

I am unfamiliar to you,
I will speak to you unknown to me.

I am sorry for not being disciplined,
but you think you are yourself, do not you?

In other words,
it is the first person "I" who is reading this letter.

I think that must be the case.

You will be reading this while understanding
the meaning of the spelled text or suspecting the contents.

We should not distinguish between self and others
including grammar such as subject and predicate.

But what if this is not a letter
but a picture or music appreciation?

If it is a wonderful masterpiece,
would not you forget to forget and appreciate it?

What I say is that if I do not need to be conscious
of myself I will not need it.

Also, I will change myself delicately according
to the situation of the place so that it can be rephrased
in Japanese as "Watashi" "Boku" "Ore" etc.

In this way, I am a product of consciousness,
and it is nothing or change.

It may be "I think, therefore I am."
But it is also "I do not think, therefore I am none."

So, if I do not be conscious of myself, I will be there
and you will not be there unless you are conscious of you.

That's all.

Already, you can forget me.
I also forget you.

Please also forget about this letter.

So, goodbye.
Perhaps it might be me, you.

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Tome館長
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