内省をつらつらと
※2023年11月19日(日) X(Twitter)投稿
定期的に読み返したいこと書きます
「私なんかでいいのかな」っていうとき、私が私を判断している。私が知り得た経験や感情だけで決めている。それって危険じゃないか?「私なんか」は、いわば選んだ人の判断を疑うこと。それはきっと違うよね。
「期待を裏切ったら」っていうとき、期待値を自分で設定している。本当にそれほどの成果を求められているか? 明言されたか? 到底実現できそうにないハードルなら、それを示した側には、あえて高い目標にした理由がありそうか?
多少無理してでも最大値の自分を認められること、ありのままを受け入れてもらえること。心地よい基準を考えておくといい。それは都度変わったっていい。
「誰かのため」っていうのは、それは本当にそうか。「誰かのために動ける自分であるため」ではないか。でなければ認めてもらえないのか。それはいったい誰に?
誰のためでもなかったから、今、何も返ってきていない。それは空っぽの自己犠牲だ。自分で自分を搾取せず、ただ自分のために選んでみてほしい。試してほしい。
働きすぎる思考にたびたびストップをかけて、本音に耳を傾けて。聞こえない時もあるけど、心配しなくてもいい。平凡で有象無象の私だけど、何も制限されてないよ。
うまく呼吸できるようになっているといいなぁ。
どうですか、1年後の自分。感想を聞かせてください。
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