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民主主義を破壊する反共カルトと戦犯③-14🏫イジメとネトウヨの棲息地14👹⛩[学校🏫と地元に生き残る👹群畜大日本帝国⛩②]

民主主義を破壊する反共カルトと戦犯③-14🏫イジメとネトウヨの棲息地14👹⛩[学校🏫と地元に生き残る👹群畜大日本帝国⛩②]


表向きの🇯🇵社会では、なかなか見かけないが、ネット上では暗躍して、
まともな日本人🇯🇵を嬉々として集団で迫害したり、虐殺に追いやったりする
ネトウヨと言う「鬼畜👹が実在」しています。薄々気づいてる人も多いですが、残念ながらこれは、ファシスト👹やナチズム🇩🇪との闘いであり、放置すると、
犠牲💀や被害が広がる一方で、もはや避けては通れない🇯🇵社会問題に
なりつつあります。しかし、ネトウヨはあれだけ大勢居ながら、奴らの生態は
資料や研究もなく、全く分かっていません
。このシリーズでは「イジメ」
を介して、その発生や生態を読み解いて解明していこうと思います。
内藤朝雄氏📕の「いじめの構造」はやや難解なので、独自の解説を加えながら
その「イジメの構造と鬼畜👹の実態を明らかに」していきます。

イジメの構造と鬼畜👹の実態を明らかに








第7章5節 大日本少年団でのいじめ


戦時中の日本では、町会ごとの分団、さらに隣組ごとの班といった単位
若い人たちに自治と共同を強制する「大日本少年団」が制定された。
すると、元々学校制度のもとで蔓延しがちないじめ
何倍にもエスカレートし、さらに疎開などで共同生活をするようになると
いじめは「地獄の様相」を呈した

内藤朝雄氏📕「いじめの構造〜なぜ人が怪物👹になるのか〜」より

精神科医の中井久夫は、自分が「大日本少年団🇯🇵」で酷いいじめを受けた体験
をエッセイに綴っている
(中井久夫「いじめの政治学」『アリアドネからの糸』みすず書房)。
そこには、暴君👹ともいうべきリーダーを中心とした自治的な世界👹が
できあがっていた。
空襲💣で忙しくなると残酷な「子ども」集団👹との付き合いが減るので、
空襲💣は少年にとってちょっとした解放の意味をもっていた。
終戦を迎え、「大日本少年団🇯🇵」がなくなったときのことを書いた次の一文は、
重要なポイントを的確に示している


小権力者👹は社会が変わると別人のように卑屈な人間に生まれ変わった

内藤朝雄氏📕「いじめの構造〜なぜ人が怪物👹になるのか〜」より


「小権力者は社会が変わると別人のように卑屈な人間に生まれ変わった」

疎開先でのイジメ
疎開先での食糧難
疎開先での食糧難





第7章6節 希望の論理

個人的には、根本解決にはなっていないが、対処療法としては、
アリだと思われる。自己愛性パーソナリティ障害(NPD)を前提として、
根本的にあらゆる社会システムを考え直す必要がある。

小権力者👹は社会が変わると別人のように卑屈な人間に生まれ変わった

今までこの種のエピソードは、状況次第で人が変わってしまうのが情けない
といった解釈で受けとられ、人間存在の醜怪さについての問いが反芻(はんすう)
されてきた。

内藤朝雄氏📕「いじめの構造〜なぜ人が怪物👹になるのか〜」より

しかし筆者は、このような豹変希望の論理として受け止める。
適切に制度・政策的な環境条件を変更すると、
「小権力者👹が卑屈な人間に生まれ変わり」、
「威張り散らしていた
👹のがニコニコ愛想いい近所のおじさんになる」。
結果として、多くの人々が「隣人👹=狼🐺」の群れから
被害を受けずに済むようになるのである。

内藤朝雄氏📕「いじめの構造〜なぜ人が怪物👹になるのか〜」より


大切なことは、👹群れた隣人たちが狼🐺になるメカニズムを研究し、
そのうえでこのメカニズムを阻害するような制度・政策的設計を行うことだ。
このような政策を、学校、地域、職場組織、民族紛争地域といったあらゆる
領域で実施することで、多くの人々が「共同体的専制
👹」から救われる。
共同体的專制👹」に立ち向かうには、
これまでの国家全体主義👹の理解だけでは不十分」であり、
強調点を「国家と個人の間にある領域」にシフトさせた
新たな全体主義概念が必要👹」になる。

内藤朝雄氏📕「いじめの構造〜なぜ人が怪物👹になるのか〜」より


筆者はこの要請に応え、「中間集団全体主義👹」という概念を提出する。
それは、従来の国家全体主義👹と背反するのではなく
重ね合わせて用いることができる
説明しよう。

①個の存在様式に対する「全体」の圧倒的な優位と浸透性(貫通性)、
②人々がそのような仕方で「全体」に埋め込まれることを余儀なくさせる社会
体制、という「全体主義概念のコア
👹」は、そのまま「中間集団全体主義👹」にも当てはまる。

しかし「中間集団全体主義👹」は、単純に全体主義概念👹の「全体」に
中間集団を代入しただけのものではない

内藤朝雄氏📕「いじめの構造〜なぜ人が怪物👹になるのか〜」より


【「中間集団全体主義👹」とは?】

たまたま自分が生まれた国がナチス支配下🇩🇪にある場合、
その人は全体主義国家の中👹にいるといえる
だが、たまたま入学した学校や就職した会社や配属された部署が、生徒や社員の
外見や態度から感情にいたる広範な存在様式を無理強いする傾向にあった場合
それだけでは「中間集団全体主義👹」とは言えない
どんな社会にも変わった集団はある。
彼(彼女)は、変わった集団を離れてもっと「まとも」な集団に移ればよい。
または、その不当性や被った損害を公共領域に訴えればよい。

内藤朝雄氏📕「いじめの構造〜なぜ人が怪物👹になるのか〜」より


【ナチス化の装置=「法を超越した暴力装置」アメリカ、公安、右翼・カルト】

ちょうど国家全体主義👹が、その基本価値を実現するのに一党独裁とか
法を超越した暴力装置👹」といった道具だてを必要としたように、
中間集団全体主義👹」もその繁茂のための制度・政策的な環境条件を
必要とする。

そこで筆者は「中間集団全体主義👹」を次のように定義する。

内藤朝雄氏📕「いじめの構造〜なぜ人が怪物👹になるのか〜」より



【大衆の反逆の大衆の強要と同じ】金太郎飴の断面のように同じ

各人の人間存在が共同体を強いる集団や組織に全的に(頭のてっぺんから爪先まで)
理め込まれざるを得ない強制傾向
が、ある制度・政策的環境条件のもとで構造的
に社会に繁茂し、金太郎飴の断面のように社会に遍在している場合に、
その社会を「中間集団全体主義社会👹」という。

内藤朝雄氏📕「いじめの構造〜なぜ人が怪物👹になるのか〜」より
金太郎飴

つまり、金太郎飴のように子ども一人一人の個性を潰して、
同じ金太郎飴のような思考などに形成していくのが
中間集団全体主義社会👹」の学校教育と言えるだろう。

金太郎飴のように個性を潰すのが🇯🇵日本の学校教育と言える
金太郎飴のように個性を潰すのが🇯🇵日本の学校教育と言える
金太郎飴のように個性を潰すのが🇯🇵日本の学校教育と言える

ずっと学校では、個性を潰す教育を受け、なぜか就活だけ個性が求められ、
企業に入ってからは個性を潰すことを求められる社会が日本社会だと言える。

金太郎飴のように個性を潰すのが🇯🇵日本の学校教育と言える


さらに、これを、本書第5章で提出した「秩序の生態学モデル
を用いて定義すると、次のようになる。

内藤朝雄氏📕「いじめの構造〜なぜ人が怪物👹になるのか〜」より


【癒着と腐敗が蔓延】

中間集団全体主義👹」とは、図17のように、
制度・政策的なマクロ環境に支えられて、「👹群生秩序の優位」が決定的に
なり、その圧倒的な作用が社会の隅々に蔓延すること👹である。

内藤朝雄氏📕「いじめの構造〜なぜ人が怪物👹になるのか〜」より
図17





第7章7節 高度成長・社畜・中間集団共同体


さて、わが国における「金太郎飴の断面の絵柄👹」は、
一昔前には「社会に偏在する天皇制と呼ばれていた。
ありとあらゆる中間領域で天皇制の面影が刻印されている
というのである。

それは文字通り社会の隅々に天皇がいるというのではなく
あたかも天皇制のような」と感じられる形態的同一性(根っこの形)が
金太郎飴の絵柄👹のように社会に偏在しているとされた。

内藤朝雄氏📕「いじめの構造〜なぜ人が怪物👹になるのか〜」より


【校則で縛ってイジメを見て見ぬフリするアホ教師とアホ経営者】

この絵柄は現在では変更されている。天皇の位置に学校や教育が居座わった
社会の隅々に強迫的な教育圧力、あるいはこころや態度を問題にして教育
をねじこむ強制力ときめ細かさがはびこり、ありとあらゆる学校でない集団
にも
あたかも学校共同体のような👹」スタイルが蔓延した。

内藤朝雄氏📕「いじめの構造〜なぜ人が怪物👹になるのか〜」より

日本の学校では、ブラック校則がはびこり、生徒指導と言う名で、
理不尽なハラスメントが横行」している。そして、身につけさせたいのは、
理不尽な命令や理不尽な環境に耐えること」と言う「奴隷化教育」でしかない
ことにそろそろ気づく必要がある。

ブラック校則がはびこる
ブラック校則がはびこりハラスメントの温床
ブラック校則がはびこりハラスメントの温床


【社畜とポンコツ日本企業の洗脳】

最近は衰退のきざしが見えるが、日本の会社🇯🇵や職場組織には、
家族ごと従業員の全生活生活の隅々まで隷従を強いる傾向があった

企業は従業員を学童🐷のように扱ったり、プライバシーに深く立ち入った
「生活指導」をしたりした。
また家族が会社に隷属する社宅での生活は異様なもの
だった。
(木下律子『妻たちの企業戦争』社会思想社)。

社畜🐷」という言葉が流行ったのは、それほど昔のことではない。

内藤朝雄氏📕「いじめの構造〜なぜ人が怪物👹になるのか〜」より


海外駐在妻のヒエラルキー


【大日本帝国カルト化した日本企業や官公庁や警察消防と社畜】

こういったことは、たまたま運悪く酷い職場👹に勤めたから起こる、
といったことではない。
日本社会🇯🇵の特殊な制度・政策的環境条件下で、
このような会社や職場組織が構造的に大繁殖したのである。

法哲学者の井上達夫は、戦後日本社会🇯🇵について『現代の貧困』(岩波書店)
で次のように論じている。

内藤朝雄氏📕「いじめの構造〜なぜ人が怪物👹になるのか〜」より


【従業員の人格的隷従を前提として、組織運営して破綻】

日本社会🇯🇵は高度産業資本主義に共同体的な組織編成原理を埋め込んで
経済成長を続けてきた。国家は中間集団の集合的利益の保護や調整のために
介入することには積極的だったが、中間集団内部の「共同体的専制👹から個人を保護するために介入する仕事」をしようとはしなかった。

日本の統治原理上、「中間集団共同体👹から個人を保護する」目的では、
意図的に法が働かないように」された。

その結果、「中間集団共同体👹」は利権に関しては国家に強く依存していても、
集団内部の個人に対して「非法的な制裁を実効的に加えることができ」、
内部秩序維持に関してはきわめて強い自律性👹を有することになった。

中間集団共同体👹は従業員に対する人格変造的な「教育」「しつけ」を
好き放題に行うことができ
従業員の人格的隷従を前提として
組織運営を行うことができた

内藤朝雄氏📕「いじめの構造〜なぜ人が怪物👹になるのか〜」より

企業経営者にフリーハンドで企業統治できるように、パワハラの罰則や非正規のルール作りなど「非法的な制裁を実効的に加えることができるよう抜け穴だらけの法整備をした」ので、低賃金で使い捨ての労働環境が定着し、人手不足が常態化し、労働環境がほぼ完全に破壊されてしまった。


【「社畜化」による「中間集団全体主義」】

社畜化🐷」ともいうべき悲惨な人格的隷従🐷のひとつひとつは、
こと細かく政府によってされたものではなかったかもしれないが、
ある一定の制度・政策的条件のもとで社会に繁茂し、これを政府は放置した

もちろん日本は、国家というレベルで考えると、言論の自由が保障されており、
複数政党制の民主的な選挙が行われている先進国である。

内藤朝雄氏📕「いじめの構造〜なぜ人が怪物👹になるのか〜」より


【ソ連の労働者より全体主義な社畜日本人】

しかしここで、「国家全体主義の旧ソ連🇷🇺の労働者」と、
中間集団全体主義👹の日本の会社員🇯🇵」とを比較してみて、
どちらの人間存在がトータルに全体に隷属🐷しているだろうか?

社畜🐷コミュニタリアンのきめ細かい忠誠競争」や「アイデンティティ収奪
の方が、クレムリン🇷🇺のビッグブラザーよりも、はるかに深く、
市民的自由を奪い、肉体と魂を強制的に全体に埋め込むことに成功している
のかもしれない。

内藤朝雄氏📕「いじめの構造〜なぜ人が怪物👹になるのか〜」より


【学校と会社を媒介した「中間集団全体主義」が跋扈】

昭和初期から敗戦までの日本社会🇯🇵は、「国家全体主義👹」も
中間集団全体主義👹」も極めて強かった

一方、戦後日本社会は、「国家全体主義👹」がおおむね弱体化したにも
かかわらず、学校と会社を媒介して「中間集団全体主義👹」が受け継がれて
肥大化し、人々の生活を隅から隅まで覆い尽くした社会👹であった。
いわば学校や会社を容れ物にして、「国体が護持されてきた」のである。

内藤朝雄氏📕「いじめの構造〜なぜ人が怪物👹になるのか〜」より


全体主義👹を整理すると、図22のようになる。
国家全体主義👹」を縦糸、「中間集団全体主義👹」を横糸とすると、
その組み合わせから4つの場合を考えることができる
(この縦糸と横糸は補強しあっているが、その強弱は相対的に考えることが
できる)。

日本社会は、図22中の矢印が示すように、
戦中から戦後にかけ、①から②のタイプに変わった
現在、この「中間集団全体主義👹」が厳しく問われている

内藤朝雄氏📕「いじめの構造〜なぜ人が怪物👹になるのか〜」より
図22





第7章8節 現代日本🇯🇵と17世紀のアメリカ🇺🇸


国家全体主義👹」が希薄で「中間集団全体主義👹」が熾烈なタイプの社会
(図22の②型社会)は、日本🇯🇵に特有というわけではない
たとえばアメリカンマインド🇺🇸の源流といわれる初期アメリカの
地域コミュニティは、多数者の暴虐👹(tyranny of the majority)に満ちた
苛烈(むちゃくちゃ)な②型の「中間集団全体主義👹」を呈していた。

後に理想化されがちな「父祖のアメリカ🇺🇸」では、
中央集権的な権力は極めて希薄で、民主的な自治の精神に貫かれており
ピューリタン的共通善をいただく「われわれ」の圧制👹によって、
個人の自由はほとんど存在の余地を与えられなかった

内藤朝雄氏📕「いじめの構造〜なぜ人が怪物👹になるのか〜」より
図22




19世紀の政治学者A・トクヴィルは17世紀の事例をひきあいに出しながら、
民主的」なアメリカ🇺🇸の共同体生活を次のように描く。

内藤朝雄氏📕「いじめの構造〜なぜ人が怪物👹になるのか〜」より

【事例20・アメリカの民主主義】

A・トクヴィルは次のように述べている。

瀆神(とくしん)、魔法、強姦、親に暴行する子、そして配偶者以外との
性交渉をする者は死刑💀となった。怠惰と酒酔いは厳罰に処せられた
他の宗教はもちろんのこと、他の教派(たとえばクエーカー教やカトリック)
公然と信奉する者は、鞭打ち、投獄、追放、死刑💀の憂き目をみた。
教会で礼拝することが、罰金でもって強制された
婚前交渉を行った者は、鞭打ちのうえ結婚を命令された

なお看過されてはならないことは、これらの奇怪なまたは圧制的な法律が
上からの権力によって強制されたものではなく、すべての関係当事者たちの
自由な同意によって投票されたものであり、風習の方が法律よりも遥かに
厳しくピューリタン的であったということである

1649年には長髪の浮薄な流行を防止する目的で、厳粛な団体がボストン
に形成されている」
(A・トクヴィル『アメリカの民主政治』(上)講談社学術文庫より)

内藤朝雄氏📕「いじめの構造〜なぜ人が怪物👹になるのか〜」より




【「集団自治訓練」は、前期近代の野蛮な直接民主主義の理想を強制】

右のような17世紀アメリカ🇺🇸についての記述は、現代日本のわれわれに、
みんなのきまり」を学級会で決めさせられ、それに違反すると反省の身振りを
しつこく強要された小学校時代を思い出させる。
この「集団自治訓練」は、前期近代の野蛮な直接民主主義の理想👹を、
後期近代の子どもに強制するものである。

内藤朝雄氏📕「いじめの構造〜なぜ人が怪物👹になるのか〜」より

戦後の日本の学校では、教員が正しく民主主義を理解していなかったり、
暴力体罰教師や体育会系教師などが跋扈して「群生秩序👹」がはびこっており、
学校の学級会で学ぶ「多数派主義」を「民主主義」と勘違いして、正しい民主主義を学んでいない大人が溢れかえるようになった。
その結果、自壺党🏺政治に象徴されるように、「多数を維持して権力を維持する」事が目的化して、熟議や正しい議論をする場ではなく、
みんなが言ってるから(正しい)」と言うような、全く根拠のない
多数の専制」が根付いてしまった。
そして、マーク・トゥエインの言葉にあるように、
多数派常に間違っている」を実践して、見事に反知性に突き進み、
見事に衰退・崩壊しかけているのが現状である。

多数の専制
多数派常に間違っている。




1990年6月に宇都宮市のある小学校で開かれた学級会は、
次のようなものだった。

内藤朝雄氏📕「いじめの構造〜なぜ人が怪物👹になるのか〜」より


【事例21・39対1の学級会】

「土曜日の通常の学級会の時間に、日ごろからクラスで孤立しがちだった
A子さん(当時11歳)の日ごろの言動に対して、問題点を他の児童39人が
ひとつ挙げていき、黒板に書き出した

A子さんはこの日学校を休んでいた。

列記された内容は『暴力的』『差別する』『男好き』『怒る』
『わがまま』『弱い者イジメ』『人のものを取る』など30項目
にも上った。
『A子さんの登校する月曜日まで残そう』と担任が発案して週明けまで書き残し、
月曜日の午前中、通常授業の3時間を使ってA子さんと他の児童で
39対1の「話し合い」が行われた。

内藤朝雄氏📕「いじめの構造〜なぜ人が怪物👹になるのか〜」より


児童2人が議長になり、担任が「意味の分からないことは質問しなさい
A子さんに指示
"男好き"って何ですか?』と尋ねたA子さんに、
男子児童には甘い』といった趣旨の発言のやり取りなどがあった、という。
クラスの総意として30数項目すべてを『直してほしい』ということになったが、
いっぺんに直すのは無理だから。ひとつずつ直したらどうだ
担任がその場を結んだ

親は学校に抗議したが、「あれはクラスの話し合いだ
とする担任と主張が噛み合わなかった。
児童は精神的ショックを受け、神経性胃炎になるなどして登校できなくなり、
転校した。

(「下野新聞」1990年9月23日付)

内藤朝雄氏📕「いじめの構造〜なぜ人が怪物👹になるのか〜」より

これこそ、戦後日本の教育が間違えて教えてきた「多数派主義
あるいは「多数の専制」であり、「多数の暴力による集団私刑(リンチ)システム
になってしまっていることがわかる。
担任の教師が愚かで無能で、「群生秩序👹」に基づく「多数の専制」を
民主主義と誤学習している」のである。
そして、このような多数の誤りが、学校に「群生秩序👹」をはびこらせ
イジメ自殺などを多発させてきたことが伺える。

多数の専制




17世紀アメリカの民主主義🇺🇸も、1990年代の日本の学級会🇯🇵も、
典型的な「多数者の暴虐の場👹」になっている
これらは、日本🇯🇵やアメリカ🇺🇸に特殊(日本的🇯🇵あるいはアメリカ的🇺🇸)なもの
ではなく、一定の環境条件下であればどこでも蔓延しうる普遍的な現象である。

内藤朝雄氏📕「いじめの構造〜なぜ人が怪物👹になるのか〜」より





第7章9節 ローカルな秩序をこえて自由な社会へ


中間集団全体主義社会👹」において、人々を直接的に苦しめる主要な力は、
国家権力や市場の貧困化力というよりも、
生活の細部にまで浸透し、霊魂そのものを奴隷化する
(J・S・ミル)ローカルな秩序の作用である。
つまり、身近な関係のなかで起こる迫害👹やそれに対する不安、
さらには自分自身を嫌悪してしまいそうな仕方で

自分を変えてしまう場の変形力といったものだ。

内藤朝雄氏📕「いじめの構造〜なぜ人が怪物👹になるのか〜」より


たとえば、群れを生きる中学生たち👹によくみられる情景は次のようなものだ。

みんなが「あの人、ムカツクね」と言って盛り上がっていると、
自分ひとりではそんな気持ちにならないのに、
それが「うつって」しまって内側から意地悪👹な気持ちになってしまう。
それは勢いづくととまらない
ひとりになるとそういう自分が嫌になることもある
(【事例6・何かそれ、うつっちゃうんです】)。

内藤朝雄氏📕「いじめの構造〜なぜ人が怪物👹になるのか〜」より


このような、内側から自分を変えてしまう場の変形力👹が、
自己構成的な(自己自己である仕方まで、当人のコントロールが及ばないところで、いつの間にか作り上げられかねない)
中間団共同体
👹にはある。
「貧しさに負けた、いえ、世間に負けた

というときの「世間」とは、
このような場の変形力をもって内側から個を侵食する作用👹
脅威としてあらわれる社会
なのである(図3)。

内藤朝雄氏📕「いじめの構造〜なぜ人が怪物👹になるのか〜」より
図3


【投げやり感を蓄積させる】

この侵食作用👹は、自分に対する不信感や嫌悪感や無力感や、
場のなりゆきに対峙する自己であることへの投げやりさを蓄積させる

自己信頼が希薄な「しめやかな激情👹」は、みんなのノリ👹として形成
されやすく、桜吹雪のように降りそそぐ集団の迫害性👹を再生産する

コイツと自分との関係で本当にコイツが憎い
という根拠のある自分を信じてもいないけど、
とりあえず自分もいろいろ嫌な目にあってたまらない気分だから、
その場のノリでムカついてどうしようもなくなったから、
コイツをネタにして成り行き任せだ。

自分の一貫性を信じることはできないけど、
是非もなく「いま・ここ」をみんなで生きる
この「いま・ここ」の主人は自己ではなく、
受苦の共同体に沸き立つ場のノリ
👹である。

内藤朝雄氏📕「いじめの構造〜なぜ人が怪物👹になるのか〜」より


必要なことは、このような社会👹に名前を与える
(「中間集団全体主義社会
👹」!)ことと、
このような社会に生きる人々の構造的な苦しみの諸相を明るみに出すこと

である。そして、この全体主義👹の苦しみに着目したやりかたで、
自由な社会の構想を描き、社会変革へとつなげることである。

内藤朝雄氏📕「いじめの構造〜なぜ人が怪物👹になるのか〜」より






マルティン・ニーメラー牧師の警句🚨

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書籍紹介







🏫イジメとネトウヨの棲息地👹⛩シリーズまとめ(INDEX用)



民主主義を破壊する反共カルトと戦犯シリーズまとめ(INDEX用)


伊丹万作「騙されることの責任」

もちろん、「騙す方が100%悪い」のは紛れもない事実である。
その上で更に「騙されることの責任」を考えよう。

伊丹万作「騙されることの責任」

もう一つ別の見方から考えると、いくら騙す者がいても誰1人騙される者がなかったとしたら今度のような戦争は成り立たなかったに違いないのである。
つまり、騙す者だけでは戦争は起らない。騙す者と騙される者とがそろわなければ戦争は起らない。一度騙されたら、二度と騙されまいとする真剣な自己反省と努力がなければ人間が進歩するわけはない。騙されたとさえいえば、一切の責任から解放され、無条件で正義派になれるように勘違いしている人は、もう一度よく顔を洗い直さなければならぬ。
伊丹万作「戦争責任者の問題」より


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