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民主主義を破壊する反共カルトと戦犯③-01🏫イジメとネトウヨの棲息地01👹⛩[イジメの実態①]
民主主義を破壊する反共カルトと戦犯③-01🏫イジメとネトウヨの棲息地01👹⛩[イジメの実態①]
表向きの🇯🇵社会では、なかなか見かけないが、ネット上では暗躍して、
まともな日本人🇯🇵を嬉々として集団で迫害したり、虐殺に追いやったりする
ネトウヨと言う「鬼畜👹が実在」しています。薄々気づいてる人も多いですが、残念ながらこれは、ファシスト👹やナチズム🇩🇪との闘いであり、放置すると、
犠牲💀や被害が広がる一方で、もはや避けては通れない🇯🇵社会問題に
なりつつあります。しかし、ネトウヨはあれだけ大勢居ながら、奴らの生態は
資料や研究もなく、全く分かっていません。このシリーズでは「イジメ」
を介して、その発生や生態を読み解いて解明していこうと思います。
内藤朝雄氏📕の「いじめの構造」はやや難解なので、独自の解説を加えながら、
その「イジメの構造と鬼畜👹の実態を明らかに」していきます。
![](https://assets.st-note.com/img/1735601545-CVyGs18EDS4aIh6fKuqbW25Y.jpg?width=1200)
はじめに
ここで、聡明な読者さんの中には、ネトウヨの組織は、
「イジメと似ているのでは?」と感じた人も多いと思われる。
なので、「🏫イジメとネトウヨの棲息地👹⛩シリーズ」では、
イジメの構造を元にネトウヨの製造過程とネトウヨの発生構造を見て行きたい。
ファシスト👹の発生のメカニズムのことである。
結論から言うと
①「学校🏫でのイジメの構造」ネトウヨの卵🥚と雛🐤が養成される
②社会人になり、社畜日本企業🇯🇵や日本会議⛩、神社本庁⛩のイベントなどの
介して「カルト思想」と出会い「真実に目覚めて」ネトウヨ化する
③自壺党🏺や維新と繋がり、警察👮♂️などの買収や見て見ぬフリや愛国無罪を
得て「ネトウヨとして社会で様々なテロ活動を公然と行う」ようになる。
のような流れだと考えられる。
その辺の詳しい「ファシスト育成👹のメカニズムや仕組み」を
内藤朝雄氏の「いじめの構造〜なぜ人が怪物👹になるのか〜📕」の
イジメ研究を介して見ていく。
また、テレビ📺に出る専門家の無能さも暴いていく。
書籍紹介📕
内藤朝雄氏📕「いじめの構造〜なぜ人が怪物👹になるのか〜」より
イジメの構造①-01(無能で役立たずな専門家)
まずは、テレビ📺に出てくる「イジメ専門家や教育の専門家」が
如何に役に立たずいい加減なのか?について、見ていきます。
第1章1節 識者たちの愚かな発言
いじめは1980年代半ばに、いじめ自殺事件の報道ブームをきっかけにして、
はじめて社会問題になった。それから現在まで、そのときどきのいじめ自殺事件をきっかけにして、周期的にいじめ報道ブーム📺が起きてきた。
忘却期にはベタ記事にもならないいじめ自殺が、マス・メディア📺が報道スクラムをはじめる流行時には、連日大々的に報道される。自殺した生徒の「哀れさ」をいわば御興のご神体にして、いじめ報道祭り📺が繰り返されることによって、人々はいじめを「悪」として問題視するようになった。
さて、こういった「📺祭り」が起きると、識者と呼ばれる人たちに、マス・メディアや政府系諮問会議などで発言するチャンスがばらまかれる。
彼らは流行の後には忘れられるが、あらたな報道ブームで流行が戻ってくると、
あいかわらず同じ内容の発言を繰り返す。識者たちは、いじめの原因や背景として、数十年ほぼ変わらない「近ごろの青少年」についての紋切り型発言を繰り返してきた。これを、一般の人々と政策決定に関わる人々の双方が信じてしまう。
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第1章1節1項 愚かな識者たちがバラ撒いてきた「いじめの原因論」
まず、これまで識者たちが世に流布してきた、いじめの原因論を列挙してみよう。
01.ゆとりのない受験競争や詰め込み教育が子どもの心をむしばんでいる。
02.勉学で「身を立てる」という目的意識が希薄化し、学校で勉強する意欲が
低下し、だらだらして、授業が成立しづらくなった。
03.学校の過剰な管理。
04.学校秩序のゆるみ。規範意識の希薄化。
05.何をやっても許されるという欲望の自然主義。あるいは、青少年の
「おれさま」化。個が突出して強すぎる。
06.いつも他人の目を気にして、自分でやりたいようにできない、個の脆弱化。
07.家族の人間関係の希薄化(あるいは愛の欠如)。
08.少子化・核家族化などによる家族の濃密化(あるいは愛の過剰)。
09.学校や地域社会の共同性の解体と、都市化に伴う市民社会や消費社会の
論理の侵入。
10.学校や地域の共同体的しめつけと、市民社会の論理の排除。
11.子どもの生活のすべてを覆い尽くす、学校の過剰な重み。学校に囲い込まれた
人間関係の濃密化。過剰な同質性への圧力。
12.青少年の対人関係の希薄化。
13.「近ごろ」の若い人は幼児化した。精神的に未熟になった。欲求不満耐性が
欠如し、我慢をすることができなくなった。
14.仲間内の集団力学や強者のやりたい放題には、はいつくばって我慢するか、
大人びたやり方で、顔色をうかがって、うまくたちまわる。
子ども社会が大人と変わらない狡猾さにみちた「世間」と化して、
「純真な子どもらしさ」が消滅した。
15.マス・メディアや電子ゲームの露骨な暴力描写や、嗜虐を売り物にする
お笑い番組の流行(ヴァーチャルに暴力を学習したから)。
16.暴力や死が社会から隔離されて子どもの目に触れなくなったり、周囲が
甘やかして暴力を体験できなくなったりしたため、「けんかのしかた」
や「他者の痛み」がわからなくなった(暴力を学習していないから)。
17.親や教師や他の子どもたちから痛めつけられて、暴力を学習した
(リアルに暴力を学習したから)。
18.「ガキ大将」によるリーダーシップや年齢階梯制
(年齢によって上下の身分がある)地域集団の消滅(「ガキ大将」がいなく
なったから)。
19.子ども集団に自生する非民主的な身分関係。心理操作や人心掌握に
たけた攻撃的で支配的なリーダーへの追随(「ガキ大将」がいるから)。
20.日本の「文化」が崩壊したから。
21.日本の「文化」が残存しているから。
第1章1節2項 秩序はひとつではない(矛盾し合う原因)
これらのリストをしばらくながめると、これまで世に流布してきたいじめ論は、
ひどい矛盾のごた混ぜであることがわかる。これらの矛盾しあう識者の見解のなかには、実態と離れているものも、実態に近いものもあるが、
きちんと概念を把握したうえで論理を組み立てる作業ができていない。
上にあげた21の項目から、学校に蔓延する独特の小社会の秩序と現実感覚を言い当てているにもかかわらず矛盾してしまう項目の組を、三つ挙げてみよう。
①人間関係が希薄であり、かつ濃密である。(11・12)
②若い人たちは幼児的であり、かつ、計算高く抑制のきいた「小さな大人」
である。(②若い人たちは欲求不満耐性がない、と同時に、集団力学の趨勢
をうかがいながら耐え続けている。)(13・14)
③秩序が過重であり、かつ、解体している。(03・04、09・10)
学校でいじめにふけるグループの実態をよく把握している学者やジャーナリスト
ほど、これらの矛盾する項目(希薄-濃密、幼児的-大人的、秩序過重-秩序解体)
の双方を指摘しがちである。
いじめ論がこのような矛盾におちいってしまうのは、素朴なことばのフィーリング(素朴な自然言語的了解)に依存しすぎており、何をもって「濃密」-「希薄」、「幼児的」-「大人的」、「秩序」-「無秩序」というのか、といった概念の検討が”不十分なまま理論(素人理論)をつくりあげようとするから”である。
結論を先に言えば、こういう思考の混乱は、秩序を単数と考えることから生じる。
秩序を、Aタイプの秩序、Bタイプの秩序、Cタイプの秩序というふうに
複数と考えれば、右記の難問は解決する。
次の節では、このことを事例にそって考えてみよう。
以下に、想像以上のイジメのリアルな実態を見ていく。
第1章2節1項 いじめ自殺のあとも
【事例1・虫けら】
2006年10月11日、福岡県筑前町立三輪中学校2年の男子生徒A君が、
「いじめられてもう生きていけない」
などと遺書を残し、自宅の倉庫で首つり自殺した。
学校では、一年時の担任X教諭を含め、
多くの生徒が辱めや加害行為に関わっていた。
長年にわたる言葉によるいじめが続いていた。
死の直前には、パンツを脱がすいじめがあった。
加害者たちは、A君の自殺を知らされた後でも、
「死んでせいせいした」
「別にあいつがおらんでも、何も変わらんもんね」
「おれ、のろわれるかもしれん」
などとふざけて話していた。
ある男子生徒は、
「おれがAに「お前の貯金を全部学級に寄付しろ」って言ったけん、
もしかしたら、あいつが死んだのは俺のせいかもしれん」
といって、笑った。
ある生徒は、A君の通夜の席で、棺桶の中を何度ものぞき込んで笑った。
また、ある生徒は、教室でA君の机に花を飾ろうとした
クラスメートを「おまえは関係ないやん」と追い返した。
A君の親にいじめの内容を話した生徒がいた。
すると、どこからか、そのことがいじめグループに伝わった。
その生徒は「あいつが死なんて、こいつが死ねばよかった」と言われた。
「Aがおらんけん、暇や」
「誰か楽しませてくれるやつ、おらんと?」
と言う者もいた。
実際に、A君が自殺した後、彼らは別の生徒をいじめた。
三輪中学校や地元教育委員会は、事実関係を調査するといいながら、
有効な調査を怠り、遅らせ、さらに政府から派遣された人員に対しても非協力的であった。
三輪中学校父母教師会は全校生徒に「私は取材を受けません」
と書かれたオレンジのカードを配布した。
事件後、保護者を集めた学年集会で、学校側は会のはじめに
「精神的にリラックスしましょう」といって、
リラクゼーションのための体操をやらせた。
筆者はある週刊誌記者B氏に話を聞いた。
「地元では取材に応じるなという圧力が強く、取材がたいへんむずかしい。
いろいろな人間関係や組織や団体のつながりがからまりあっていて、
それが隠蔽の方向に強力に作用しているようだ。
A君の親も、加害生徒を告訴すると地元で生きていくのがたいへんになりそうな気がする。
われわれも長期にわたって地元に張りついていることができない。
このまま、うやむやにされてしまうかもしれない」とB氏は語った。
その後、福岡県警は、A君のパンツを脱がせた生徒三人を
暴力行為等処罰法違反(集団暴行)容疑で書類送検、二人を児童相談所に通告した。
警察によれば、この五人はいじめの中心ではない。
ことばによるいじめには、警察は手を出せない。
それに対して、Y校長は「ぎりぎりまで書類送検されるとは思っていなかった」
「捜査は警察の方針でするので尊重するしかない。
ただ、警察も健全育成を念頭に置いているようなので納得はしている」と述べた。
これはさして驚くべきケースではない。
被害者が自殺して大騒ぎになった後ですら、加害グループの生徒たちが、
屈託なく生き生きと学校の群れ生活をおくり、
被害者を虫けら扱いするような言動をとったり、
他の生徒をいじめたりするのは、”よくあるケース”である。
自壺党🏺や維新議員や経営者などが悪事がバレても開き直る事がよく見受けられるが、イジメが発覚しても加害モラ(NPD)たちは、実は”全く反省していない”事が
よくわかる。
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第1章2節2項 葬式ごっこ
次の事例は、【事例1】の20年前に起こったいじめ自殺のケースである。
【事例2・葬式ごっこ自殺の後】
(C君が自殺にいたるまでの経緯については
第2章【事例9・葬式ごっこ自殺💀まで】84ページを参照)
1986年、東京都中野区立富士見中学校2年生のC君は、
たびかさなる暴力や言葉によるいじめを受け続けた後、首を吊って自殺した。
そのいじめのひとつとして行われた葬式ごっこの「色紙」には、
教員数名が寄せ書きをしていた。
【証拠押収と隠滅を図る】
C君の自殺直後、富士見中の校長と教頭が、C君の自宅にあがりこんで、
葬式ごっこに使われた証拠の色紙を物色するが、見つけることができなかった。
![](https://assets.st-note.com/img/1734814030-6MSxy1dWXnBRuDHZ9oUlvkKY.jpg)
【教員が反撃を切り取り】
C君の自殺後、加害生徒の1人Dは、
Z教諭(葬式ごっこの「色紙」にサインをしたひとり)が見ている前で、
同級生F君を「お前はC二世だ。Cのように自殺しろ」と約40回殴り続けた。
それをZ教諭は無視した。
怒ったF君がDに反撃したところ、Z歌諭は、「やめなさい」と注意した。
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【教員と校長が共謀して嘘をつく】
教育の論理とすり替え
この件でDが暴行容疑で警察に逮捕されると、Z教諭と校長は、
「(Dが)殴ったのは一回」「つついた程度」
「『C二世」とは言わなかった」と、虚偽の発表をした。
後に事実関係の違いを指摘された校長は、
「教育の論理と司法の論理がありますから」と言った。
【保身養護教諭の裏切り?】
マス・メディアの取材でも、裁判の証言でも、教員たちは全員、
「いじめはなかた」と主張した。
C君からいじめの相談を受けてケアを担当していた養護教諭も、
裁判では手のひらを返したように「いじめはなかった」と証言した。
【デマと悪評の流布による追い出し】
お金が目当てだろうと言うデマを流して「被害者潰し」
事件の後、地元では、C君の妹が「生ゴミがいなくなって、よかった」と言ったとか、
「あの一家は取材料でマンションを買うらしい」とか、
両親が裁判を起こしたのは「お金が目当てだろう」といった噂が流れた。
C君の両親の家には嫌がらせの電話がきた。
【加害者かわいそうの署名運動と被害者を孤立させる】
富士見中PTAと地域住民のあいだでは、
教員にとらせる責任を軽くしてほしいという署名が集まった。
この事件を取材したノンフィクション作家の門野晴子は、
著書『少年は死んだ」次のように述べている。
「『先生、おかわいそう』の署名はだいたいどこの学校でも
特定の親に学校が頼んで出させるものだ。
『あの家がおかしかったので学校が騒がれて迷惑ね』と言いながら署名を集め、
事件の当事者を孤立させていくのがいわば学校の常套手段である。
たとえそれに不本意な人であっても、学校関係の署名は踏み絵のごとき威力をもつから、
拒否するには村八分とわが子の差別を覚悟しなければできない」
イジメではないが「女子大生性的暴行事件」でも、逆転無罪判決に加え、
「250人以上の友人から『寛大な処分を求める』という嘆願書が出ている」
ことも明らかになっており、「金持ちの加害者や権力者」の犯罪には、
イジメだけでなく、少なからぬ「擁護署名が集まる」ことも
明らかになりつつある。
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![](https://assets.st-note.com/img/1734815279-8dtYcu7HTeRGqiQsDKyApWbS.jpg?width=1200)
【保身に走らせる脅しの仕組み】
朝日新聞社会部『葬式ごっこ』には、次のようなある母親の言葉が記されている。
「保護者会での発言が、出席していた親からその子、
さらに生徒たちに伝わって、うちの子が
『お前の親、カッコイイこといったんだってな』と白い目で見られた。
子どもがいじめられるのではないか、と次から、何もいえなくなった」
(豊田充「葬式ごっこ」――八年後の証言」風書房、
朝日新聞社会部「葬式ごっこ」東京出版、
門野晴子『少年は死んだ』毎日新聞社、「朝日新聞」「サンデー毎日」など)
![](https://assets.st-note.com/img/1734789283-9w0mbxpZqUcfujOEJRN5tMYB.png)
揉み消せるか?揉み消せないか?
加害者たちは責任を取らされそうになると加害を止める。
加害生徒たち(そして教員たち)は、自分たちが「学校的」な空間のなかで
生きていると感じている限り、自分たちなりの「学校的」な群れの生き方を堂々と貫く。彼らが、そのようなふるまいをやめるのは、市民社会の論理に貫かれ、もはや「学校的」な生き方が通用しないと実感したときである。
【事例3・遊んだだけ】
横浜で中学生5人を含む少年グループが次々と浮浪者を襲い、
13人に重軽傷を負わせ、3人をなぶり殺しにする事件が起きた。
その後の調べて、「遊び」としての浮浪者襲撃は
8年前から子どもたちの世界では「常識」になっていたことがわかった。
人権派のジャーナリスト青木悦は、
地元の中学校で浮浪者襲撃事件について講演をした。
大人たちが「人を殺したという現実感が希薄になっている」
といったことを話しているとき、中学生たちは反感でいっぱいになった。
ほとんどの生徒たちは挑戦的な表情で、上目づかいに睨んでいる。
突然女生徒が立ち上がり「遊んだだけよ」と強く、はっきり言った。
まわりの中学生たちもうなずく。
「一年のとき、クラスで『仮死ごっこ』というのが流行ったんです。
どちらかが気絶するまで闘わせる遊びなんですが、
私は『ひょっとしたら死んてしまうんじゃない?やめなさいよ』と止めました。
そしたら男子が『死んじゃったら、それはそれでおもしろいじゃん?』というんです。
バカバカしくなって止めるのをやめました」
「ほんとに死んじゃったら遊んでいたみんなはどう思うんだろう?」
耐えかねたようにひとりの教員が言った。
「あっ、死んじゃった、それだけです」
別の生徒が語りはじめた。
「みんな、殺すつもりはないんです。
たまたま死んじゃったら事件になってさわぐけど、
その直前まで行ってる遊びはいっぱい学校の中であります」
彼らは、どちらかといえば『優等生』的にふるまう、普通の中学生たちだった。
(青木悦「やっと見えてきた子どもたち」あすなろ書房より)
![](https://assets.st-note.com/img/1734740820-RZQVP1MCkhfHlONe96iULq25.png?width=1200)
【事例4・先生なんかきらいだ】
おかしな子どもたちにとっての「善悪基準」とは?
社会学者・竹川郁雄が参加した、
いじめに関する調査(小学六年生、中学二年生1984年)の自由回答欄に、
いじめをしているある女子中学生は次のように記入している。
「いじめは良くないと思うがやっている人だけが悪いんじゃないと思う。
やる人もそれなりの理由があるから一方的に怒るのは悪いと思う。
その理由が先生から見てとてもしょうもないものでも、
私達にとってとても重要なことだってあるんだから
先生たちの考えだけて解決しないでほしい」
別の男子中学生はこう記している。
「いじめられた人はその人に悪いところがあるのだから仕方がないと思う。
それと先生でもいじめられた人よりいじめた人を中心に怒るからものすごく腹立つ。
だから先生はきらいだ。いじめた人の理由、気持ちもわからんくせに」
(竹川描雄『いじめと不登校の社会学』法律文化社より)
【事例5・ばっさり】
「東京の中学一年生、C子さんのケースは、女子に多い「依頼いじめ」だった。
放課後の教室でC子さんは、三人の男子生徒に体を押さえつけられた。
体の自由がきかなくなったC子さんの髪にハサミが向けられた。
クラスの中でもかなりの美人だったC子さんの黒髪は、
無残な姿になってしまった。
しかも、その三人の男子生徒のうちの1人は、C子さんの彼氏だった」
(太田覚「いじめ 地獄絶望の報告書」「週刊朝日」1995・1・6,13号)
![](https://assets.st-note.com/img/1734790552-JCZK3Nmel07QrfUIiuMsgbHX.png?width=1200)
第1章2節3項 「濃密」に付和雷同して生きている
【分析能力ゼロの識者たち】
このようなことを、不勉強な識者たちは知らない。
彼らは、学校の”生徒たちが人の命を虫けらのように扱う”のに驚き、「無秩序」「規範意識の衰退」「人間関係の希薄化」と脊髄反射的に口走ってしまう。
また識者らは、生徒たちが”悪ノリしてはしゃぐさま”や、
”付和雷同する見境いのなさ”に、「幼児性」を感じてしまう。
そして、「最近の青少年は、幼児化している」などと口にしてしまう。
【計算高く巧妙で「真実を伝えさせない仕組み」を作るフラモン🐵たち】
だが、次の瞬間、その同じ識者たちは、生徒たちの小社会に、
金王朝の北朝鮮や戦争中の大日本帝国以上に、生活の細部にまで浸透し、
人の魂を深いところから奴隷化する、陰惨な「秩序」を感じる。
そこには、自殺した生徒の親に真実を伝える行為を、けっして許さない仲間内の「規範」がある。生徒たちは「濃密」に付和雷同して生きている。
だから、互いのちょっとした気分の変化がこわい。
また、生徒たちが人を脅かし、痛めつけ、
自分たちがやったことを隠する戦略的な振る舞いや、
いつ何どき足をすくわれるかもしれない
過酷な群れを泳ぐ計算高さは、通常の大人以上に「大人」である。
![](https://assets.st-note.com/img/1734789357-cr7ojYCDMwzRm5ie4dEvpIgx.png)
【”人道に反する大日本帝国らしい権威主義秩序”が問題】
現行の学校制度のもとでは、市民社会の秩序が衰退し、独特の「学校的な」秩序が蔓延している。それは世の識者らが言うように、無秩序なのでも秩序過重なのでもなく、人間関係が希薄なのでも濃密なのでもなく、人間が「幼児化」したわけても「大人びた」わけてもない。
ただ、「学校的」な秩序が蔓延し、そのなかで生徒も教員も「学校的」な現実感覚を生きているのである。
人々が北朝鮮で北朝鮮らしく、大日本帝国で大日本帝国らしく生きるように、
学校で生徒も教員も「学校らしく」生きているだけのことだ。
この”人道に反する「学校らしさ」が、問題”なのである。
いじめの事例は、人間を変えてしまう有害環境としての「学校らしい」学校と、
そのなかで蔓延する「学校的」な秩序をくっきりと描き出す。
マルティン・ニーメラー牧師の警句🚨
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![](https://assets.st-note.com/img/1735370195-QjfdAeLUOZSzprRkqNoxgs6u.jpg)
書籍紹介
🏫イジメとネトウヨの棲息地👹⛩シリーズまとめ(INDEX用)
民主主義を破壊する反共カルトと戦犯シリーズまとめ(INDEX用)
伊丹万作「騙されることの責任」
もちろん、「騙す方が100%悪い」のは紛れもない事実である。
その上で更に「騙されることの責任」を考えよう。
![](https://assets.st-note.com/img/1735335568-zxgmGZJp9RMjIfhVkLEU4eX2.png?width=1200)
もう一つ別の見方から考えると、いくら騙す者がいても誰1人騙される者がなかったとしたら今度のような戦争は成り立たなかったに違いないのである。
つまり、騙す者だけでは戦争は起らない。騙す者と騙される者とがそろわなければ戦争は起らない。一度騙されたら、二度と騙されまいとする真剣な自己反省と努力がなければ人間が進歩するわけはない。騙されたとさえいえば、一切の責任から解放され、無条件で正義派になれるように勘違いしている人は、もう一度よく顔を洗い直さなければならぬ。
伊丹万作「戦争責任者の問題」より