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[暮らしっ句]春 愁[俳句鑑賞]

 まずは具体的な心配事がある場合。

 春愁や 夢の中まで聞き役に  山本潤子
 知り人も噂も増えて 春愁  小林玲子
 春愁や 出世せし子は家継がず  相沢健造

 もっとたくさんあったのですが、スルーさせていただきました。こっちにもストレスが伝染してくるので~

 はじめの二つは人間関係の悩み事、「聞き役」のひと言に、一方的に話をしてくる人の存在が示唆されていますね。
「知り人も噂も増えて」というのは、新年度で新しいつきあいがはじまる。「今度のあの人、○○らしいよ」「へぇーそうなんだ!」なんてウワサも飛び交う。出来れば聞きたくないけど、そうもいかない……。
 三つ目の「出世せし子は家継がず」は、老人ホームでも何度か聴きました。日本では公的な老人ホームである特養の主な利用者が低所得者ではなく元公務員以上だったりするので、子どもさんたちも出世しているケースが多かった。そんな時、わたしは得意顔でこう云ったものです。「一人くらいは私のような出来の悪い子ども作っておかないと(介護用に)~」

 続いては、これといった具体的な心配事があるわけでなく、気分の問題だと自覚しているケース。
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 春愁や 何か足りない 昨日今日  横山迪子
 飽食の世の果てにある 春愁ぞ  能村研三

 一句目は「最近、感動がないわ」とか「充実感がないのよね」という贅沢と云えば贅沢な悩み。でも、考えてみれば、それが一番大事なことだったりするかも。それまでは「何不自由ない暮らし」に満足していたけれども、たとえば、貧しくとも独身でも、やりたいことを頑張ってる人に出会ったりすると、自分に欠けているものが意識されたりする。
 まあ、そこまで思い詰めれば大変ですので、こんなふうに「ちょっと気持ちが塞いでいるだけ」としておくのかもしれません。

 二句目にも同じ要素がありそうですが、男性だと「飽食」というカタイ表現になる。「生活に困窮していた頃に比べれば夢のような時代だが」というところでしょうか。
 でも、作者はさすが詩人で「贅沢云うな!」とは考えない。「目指していた豊かさの果てには、こんな世界が待っていたのか……」と。自分の体感を素直に表現されている。

 ちなみに、こんな時にうっかり誰かに話してしまうと「心療内科行けば? 今はいい薬があるらしいわよ。早めに見てもらったら」なんて展開にもなりかねません。春愁なんて「春の野草の苦味」くらいに思っておいた方がよいかもしれませんね。

 実際、春愁を愉しんでいるような句もあります。
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 春愁や 水面見詰むる 人魚像  川浪広子

 デンマークでしたっけ? あの人魚姫の像のことだと思いますが、「あなたも悩んでいるの?」と。たぶんユーモアです。作者自身は確かにどんよりしているんだと思いますが、そんな中でもネタを発見してしまう。
 そういえば水俣病の代表作にもそんなシーンがあるみたいです。又聞きなので作者も書名も記しませんが、水俣病で姿勢や動作がおかしくなっている方がそんな自分の姿を笑う。周囲から笑われても、まるでウケているかのように喜ぶ……。そんな泣き方もある。
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 春愁や吾の前ゆく われの影  ほんだゆき

 肥大化した自分の愁いが自分からハミ出して、今やそいつが自分を先導している! ○○療法という云い方をすれば、さしずめ「ファンタジー療法」ということになるでしょうか。
 こうして自分でセルフヒーリングをされている人もいる。ギリギリのところで掴んだ生きる術なのかもしれません。自分に最適な薬は、実は自分の周囲や自分自身の中にあったりするのでしょうか。
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 春愁や 鷲づかみしても 砂は砂  長井順子

「考えても仕方がない」「この愁いには実体がない」とわかっているのに、脱けられない、そんな心理がよく表現されていますね。そこまでわかっているのに、どうして囚われているのか? となりますが、心を煩っておられる方の中には、実に詳細に自己分析される方がおられますから、その意味では「心の病気」は確かに実在している。他人から見れば幻覚でも、ご本人にとっては現実。
 しかし、それはそうだとして、暗闇ばかり覗いていれば、それは辛くなって当然だろう、とも思います。しかし、他人がそれを云っても届かない。ご本人の気づきが必要。それまでは砂を何度も何度も握りしめ、機が熟すのを待つしかないのでしょうか。

 春愁と過去を重ねている作品もたくさんありました。
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 思ひ出し笑ひのあとに 春愁湧く  谿昭哉
 春愁や かへらざる日の旅鞄  市川玲子

 楽しかったことを思い出したのは良かったけれど、あの日々にはもう戻れない…… と思うと、それが愁いになってしまった。
 先ほども言いましたが、ここで次の行動を考えたりしないのが詩ですね。
心に起こった出来事をそのまま受け止める。夕日が沈むのを見届けるように……。

 二句目、表面的な意味は「楽しい旅行から帰ってきた。旅は終わったけれど、鞄はまだそのまま」ということですが、それにしては「かへらざる日」というのが大袈裟です。
「かへらざる日」に釣り合うものと云えば、人生の旅でしょう。
 わたしなど、まだ老人の初心者なので偉そうなことは云えませんが、家の中にはもう使うことがないような道具が結構あります。日曜大工の道具、材料なんてもう七年くらい使ってないし、キャンプ用品など二十年以上眠ったまま。それらが入ってるボックスは、ある意味、「時の旅鞄」。物置には、それらを使っていた日々も一緒に封印されている。
 普段は忘れてるんですけどね。作者は、物事が動き始めるこの時期に思い出した。「長く使っていないこと。使う予定もないこと」を思うと、せつない……。

 ムードに浸るガラでもないので、最後は気を取り直して、ビターが効いたユーモラス句。
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 遺失物箱 春愁の夫もゐる  松永典子

「遺失物箱」というのは何でしょう。公共施設にある「落とし物」「忘れ物」を入れた箱のこと? だとしたら、個人宅にあるわけがありません。この場合は、もしそんなものが家にあったら、という仮定の話。
 もし自分の家に「遺失物箱」があったら、中には何が入っているのか? 「春愁の夫」がいるというわけです。
 説明するのも野暮ですが、「春愁の夫」に対して妻であるワタシは「そんなヒト知りません。誰かの落とし物か忘れ物でしょ!」と突き放している。
 女性って、自分の「春愁」を語るときには、普通に語るわけですが、男がグズグズしているのは許せない! 関わりたくない! と感じられるようですね。
「いつまでグスグスしてるの。ほら、さっさとやることやって!」 
 思えば乱暴な話ですが、でも世の中それでうまく行くのかもしれません。夫はそれで立ち直ることが出来、夫が仕事に出かければ、妻はまたゆっくり愁いに浸れる~ 三食愁い付!

出典 俳誌のサロン 歳時記 春愁
歳時記 春愁
ttp://www.haisi.com/saijiki/shunshu1.htm


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