[暮らしっ句] 蟻 2[俳句鑑賞]
人生編
働いてゐる蟻見つめゐて 余生 土屋酔月
余生とは何か? いろいろな見方があるかと思いますが、作者によると「働いてゐる蟻見つめ」るようになれば、それが余生だと。
不肖、わたくしのことを云いますと、三十代の後半とかで、もう蟻を見てました。むしろ、近年の方が見なくなっています。余生を先に使い果たしてしまった???
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蟻に天国あらずして 地獄あり 粟津松彩子
アリの巣は地面の下にあるから、それを「地獄」に引っ掛けて読んだユーモラスな句なんでしょうか? そうかもしれませんが、わたしにイメージされたのは階級社会。労働者階級が下に落ちることはあっても上に行けることはないという現実を詠んだものかなと。
ただ、嘆きとか愚痴の気分はなく、余計なことは考えずに日々、やるべきことをやるだけだと。おそらくそんな気風の良い句。
でも、そうやって地道に生きていても落ちてしまうこともある。その時は万事休すなのでしょうか? 続いては、そうではないという句。
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蟻走る 落つれば落ちし所より 奥村光子
登る蟻もいれば、さぼる蟻もいる。傷ついた蟻も死んだ蟻もいる。しかしこの時、作者の目に留まったのは、落ちてしまったけれど何事もなかったかのように活動を再開した蟻。
それが作者に聞こえた「神のささやき」だったのかもしれません。
「夜と霧」のフランクルさんによると「神の声」はとても小さく、こちらが気づかないと受け取れないものだそうです。こちらが謙虚に耳を澄ませていれば、必要な時に必要な「ささやき」を受け取ることができる…。
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立ち止り 一息入れて 歩く蟻 小林清之介
蟻(労働者)の天国はどこにあるのか? それとも無いのか?
ここにありました! という句。
炎天下のお仕事… 木陰で冷たいもの戴ける休憩時間が、まさに極楽~
そこで先のことを憂えず、過去も手放すことが出来れば、その一時が永遠にもなりうる。しんどいことはその場その場で手放して、極楽気分だけを心に留めておけるような、そんなデクノボーにワタシはなりたい!
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齷齪と死語を曳きゆく 蟻の列 中原道夫
※齷齪(あくせく)
一見すると、蟻が何かを曳いている光景だなと思ってしまいますが、その何かとは「死語」。食べられないどころか物ですらありません。「死語」とは何か?
一般的には、廃れた流行語を指しますが、本来の意味は「使われなくなった言葉」、故人の話していた言葉も「死語」。つまり「死語を曳きゆく」とは、いずれ死ぬ身体を曳いて生きている、と解釈できます。
にもかかわらず、ほとんどの人が、あくせくと生きている…。
その読み方が当たっているなら、きわめて冷ややかな句ということになりますが、しかし、それにとどまらないのが短詩の奥深さ。
作者の真意は「そんなことをしてもムダだ」というところにあるのではなく、「消えて無くなるとわかっていても、頑張ってしまうんだよなあ」だと思います。
今回のオリンピックでも、成績のふるわなかった選手がインタビューで「頑張った分だけムダだったのかな…」とかなりネガティブなことを口走られましたが、たぶんその真意は「頑張らなきゃよかった」ではありません。
たとえれば、誰かのためにしたことが相手に届かなかったようなこと。
相手のためにならなかったという点ではムダですが、「誰かのために尽くした」事実は消えません。消えないどころか、それは他人の目には見えないメダルではないでしょうか。心のメダルは涙と汗と同じ色…。
出典 俳誌のサロン
歳時記 蟻
ttp://www.haisi.com/saijiki/ari1.htm