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日本の仏教は釈迦の教えではない???
仏教は、約2,500年前、インドで釈迦が教え始められました。インドにおいて勢力が拡大した理由は、紀元前3世紀、マウルヤ王朝三代目アショーカ王が信者になったことが大きく影響したのです。
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釈迦が亡くなってからしばらくして、インドでは仏教の新しい教えが複数登場します。それらは大乗仏教(大乗はサンスクリットのmahā-yānaの訳。大乗とは、偉大な教え・優れた教えを意味する)と呼ばれ、釈迦の説いた教え(上座部仏教)とは異なる新型仏教でした。大乗仏教はシルクロードを経由して中国へ伝えられます。
大乗仏教とは
大乗仏教は「誰もが修行を得て釈迦となることが可能であり、釈迦への道は広く開かれている」と主張したものです。ところが釈迦は、「私のようになれ」「そうなるための方法がある」とは語ってはいません。大乗仏教の複数の創始者たちは「修行によって釈迦になることは可能である」という主張をするための根拠が必要になりました。そこで、般若経、法華経、浄土経典類、密教経典類などの大乗経典を考案し、それらをお経として広めていきました。
中国でアレンジされた仏教
紀元1〜2世紀頃、中国に釈迦の説いた上座部仏教と新型仏教である大乗仏教が同時に伝えられました。釈迦の説いたことを伝える経典と大乗経典とでは、中国の人々のほとんどが大乗経典に惹かれたのです。やがて中国は大乗仏教一色となり、釈迦が説いた本来の仏教は「小乗仏教」という蔑称で呼ばれるようになりました。
「大乗仏教」は、大衆へ教えを広めて多くの人を救っていくなかで、「悟り」を開くことを目的としている宗派のこと。それに対し、「上座部仏教」は基本的に自己完結的である。個人が修行をして、「悟り」を開くことを目的としている宗派のこと。
日本へ伝えられた仏教
紀元6世紀、中国から日本へ大乗仏教は伝えられました。それ以降、大乗仏教を釈迦の教えとして、日本では約1,500年に渡って信じられてきたのです。明治になって上座部仏教(釈迦の説いた仏教、「上座」 (thera) とはサンガ内で尊敬される|比丘《びく》のことで、「長老」とも漢訳される)が日本に紹介されます。スリランカや東南アジアの仏教では大乗経典は使っておらず、上座部仏教でのパーリ仏典(古代インド言語であるパーリ語で記され、現存する唯一の完全な仏典)が用いられていました。現在の仏教学者たちは「大乗仏教は釈迦の説いた教えではない」という見解をしています。ところが仏教界においては「大乗仏教が釈迦の教えでないとしても、その思想を起源として発展してきたのだから正当な仏教である」と解釈しているのです。
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聖書
キリスト教における経典は「聖書」になります。苫小牧キリスト教会のホームページでも聖書について紹介しています。〈キリスト教について〉
聖書は人の解釈によって内容を改ざんすると本来の聖書とは別物となってしまいます。それは聖書ではありません。
神のことばを記した聖書にはこのような記述があります。
私は、この書の預言のことばを聞くすべての者に証しする。もし、だれかがこれにつけ加えるなら、神がその者に、この書に書かれている災害を加えられる。
また、もし、だれかがこの預言の書のことばから何かを取り除くなら、神は、この書に書かれているいのちの木と聖なる都から、その者の受ける分を取り除かれる。
【黙示録 22章18・19節】
誤りのない神のことばとして、聖書に信仰と生活のすべての基準を置いている教会及びクリスチャンは、上記のことばを受け入れています。ですから、正統なキリスト教会では、人間の都合や解釈によって聖書のことばを変更することはあり得ないことなのです。
(改ざんされている聖書として有名なものは、エホバの証人が制作した「新世界訳聖書」です。)
単立バプテスト 苫小牧キリスト教会のホームページではさまざまな情報を発信しております。
どうぞご覧ください。