丸山眞男著 「現代政治の思想と行動」を読んで
日本の思想に関して、何冊か興味を持ち読んだ本がある。このうち一冊を紹介したい。まず丸山眞男の「現代政治の思想と行動」である。本書は著者によりコレクション(選別された短論文)された、政治というより、全体主義またはファシズムを中心に記述している。無論、斜め読みであるが、丸山眞男の思想の核は記述されていず、思考はあっても思想の無い本であると判断している。この思想の無いという意味が、彼自身の思想が記述されていないためか、元々少ししか思想を持っていないためかは良く分からない。本著書に対する私の感想については最後に箇条書きにて示したい。
本書は三部に分けて記述している。簡単に紹介すれば、第一部「現代日本政治の精神状況」では、一番初めの「超国家主義の論理と心理」の章が、まともに書かれていて、それなりに読めるが、文章は難解な四字熟語を用いて始め粗い。ナチスドイツが世界観的な国家主義体系を持っているのに対し、日本の戦争に導いた超国家主義は、今なお日本人をその呪縛から解き放たれていないと著者は主張している。なお、本書の初版は1964年(昭和39年)である。今から約60年前である。また、超国家主義とは連合国によって漠然と呼ばれていた言葉らしい。そして、この国家主義に超を加えた超国家主義とは、諸外国が公的なものと私的なもの、外部と内部、また治者と非治者が明確に区別されていたのに対して、日本の国家主権は内的な価値の実体に支配根拠を持とうとしていたため付け加えたと述べている。つまり著者が言いたいのは、日本は天皇が中心に位置している。そして、すべてが国家のためとして役人が処理をし、個人も天皇に奉仕して、私的なものは一切なかったのである。この私的なものがない国家日本は、内側からも一体化された国家に映り、国家支配の根拠を内的な価値の実体として持っていたと著者に主張させているのであろう。
また、昭和に文部省にて著作した「臣民の道」では、全体主義以前に、臣民は私生活を含めて天皇に帰一し、国家に奉仕すると記述され、日本の国家構造そのものに臣民、即ち民衆は内在していたのであると著者は述べている。そして、夏目漱石の「それから」の代助の父の国家への奉仕の会話を引用して、国家主義ではなく日本の資本家の国家主義との結びつきを批判させていると述べている。勝手に引用すれば、どのようにも引用解釈できるため、私にはご都合主義に見える。漱石の本質は国家と対峙して悩み苦しみ、最後には国家を批判したのである。この点を忘れてはならない。そして、この小説の筋を追加すれば、代助は友人に与えた三千代を略奪し、父から願われた結婚を断り、独立して自らの力だけで生きていくことを決意したのである。権威からの独立を図り生きていくことは容易ではない。漱石にとって、権威とはもはや資本家ではなく国家である。それゆえに、「それから」の主人公、代助は最後に長く歩く続け、ポストの赤い色が頭の中でぐるぐる回る狂気のような精神状態になる。著者は本著書の趣旨に従い、資本家の国家主義を批判する箇所を引用するより、漱石の国家を批判する文章を引用するのが良かったのである。
本章では、その後、天皇権威の階層や皇軍の日本軍国主義に話が及ぶが省略する。記述する意味があるとは思えないためである。というより、丸山眞男が何度も言うがご都合主義で、引用文書や文書の恣意性が目立ち、当時を遡って日本の国家主義の本質を捕らえ損なっていたと思われるためである。なお、どこかで記述していたが、例えばヒトラーに比べて日本の国家主義の主体性の欠如、無責任性を言っていたと思うが、これも間違っていると推測される。無論、天皇制が助長していたわけでもない。私はこれら明治時代の政治や権力をあまり知らないが、直感的には天皇は利用されていたのであって、二重構造を持つ権力構造こそが、時の権力者たちに天皇の利用を可能にしたのである。つまり、ヒトラーなる強烈な個人主体が権力を持っていたのに対して、日本では軍部などが集団的に権力を保持していたと思われる。ヒトラーやムッソリーニなどの有名人がいないだけで、集団的であっても、日本にも全体主義の主体者が存在する構造は同様にあったのである。この主体者の数の違いや著者の主張のように天皇への崇拝の念が、ドイツなど他国と全体主義の構造を異ならせていた可能性はある。この辺りの内閣や軍部人物と彼らの相互関係を調べることができ、誰と誰が全体主義の主体者であったか分かるはずでる。ただ、日本の超国家主義とは、鎌倉時代以降の歴史的なそれぞれの時代に従った皇室と権力者との関係が殆ど丸写しに重なって、即ち権力が二重化されていたため、天皇は利用されていただけなのだとの私の思いは強い。そして、無責任性とは複数の主体者がいたため、行動の主体者の特定が困難なため生じている。
再度言うが、天皇は利用されていたのであり、大衆国民は天皇の名のもとに騙されていたのである。ハンナ・アーレントは、全体主義は孤独な群衆が生み出すと言っていたが、日本では孤独な群衆はいずに、天皇の名のもとに日本人全体が全体主義に加担させられていたのである。その加担とは死を伴なう悲劇的なものである。天皇は権力構造上最高権力者であり、戦争を遂行させた責任を負う必要があるとの主張がある。一方、むしろ天皇は戦争を止めることに心を悩ませていたという話もある。自らが利用されて多数の人が死傷することを天皇は一刻も早く止めたかったに違いない。つまり、再度言うが、権力の二重化において、天皇は歴史的にも表面だけに存在する形式的な権力者の位置を占めるようになっていったことを忘れてはならない。鎌倉や徳川幕府は実質的な権力を持ち天皇の名を語って国を支配していた。薩長は天皇を神輿に担ぎ、彼らが表舞台にて実質の権力を把握したのである。この権力の二重構造は隠れ蓑のように姿を隠さないが、実権を握り利用する側には、民衆を煽り駆り立てることのできる幸いな構造だったのである。
極端に言い切ると、天皇は簡単な作業を行う舞台支援者の役割を担うだけの者となる。そして実質的な権力者は舞台上にて足拍子を打ち鳴らし、自らの強力な権力を音で奏でて維持していた。こうした二重構造が日本の権力構造上長く続いていて、超国家主義とはその歴史的な末端に位置していることを忘れてはならない。つまり日本の全体主義が他国と異なって主体者の顔が見えにくいのは、日本の歴史が大昔からそうした権力の二重構造になっていたこととが遠因としてあり、直接的には明治政府が薩長による集団体制を敷いたことが原因である。著者はなにやら分からないが、こうした二重構造を排して、日本の超国家主義とは神武天皇以来の長年渡る天皇による支配の時間軸と天皇からの身分的な距離による空間性にその像を描いていると、天皇を中心に据えることが私には理解できない。著者はもしからしたら勘違い以上に、天皇の権威・権力を誤解している。はっきり言えば、著者は天皇の一言で物事が動き、世界構造を構築させることができると錯覚している。天皇は基本的に、舞台での幕の開閉時における厳かな挨拶者であり、かつ舞台の観客であらざるを得なかったのである。ただ、この観客は煌く希望の顔を表に向けて大衆国民の尊敬を一身に受けることができた。三島由紀夫によれば、きっと、この天皇の顔だけが日本国の民衆を結集させる、かつ統一できる大いなる力を保持していたのである。
こうして著者は「日本ファシズムの思想と運動」と題して明治から昭和にかけての政治・社会事件を細かく紐解いていくが、ファシズムにおいては農本主義が優越していたと述べている。恐慌による農村の疲弊や兵隊の徴収の利便性などにより農村を国家の礎として重要視したのである。「軍国支配者の精神形態」では、ヒトラーの戦争の勝利を追求する能動的なニヒリズムに対して、日本では皇軍は他民族に対する慈悲行為を行っていたと述べている。後に続く四つの章では、何も書いていないのと等しいので省略する。そもそも、ここまで詳しく書くつもりはなかったのである。それにしても、いくらコレクションとしても、使用する単語も含めて大仰な表現はまだ読めても、手紙の文章は非常に読みにくい。無論、他の文章は斜め読みするが、手紙の文体は読んでいない。この第一部で始まった超国家主義なるファッシズムに関する著者の考察はどこへ行こうとするのだろうか。論理的な過程を経て結論へと思考させるのだろうだろうか。ここまでで読む限り論理的な粗さと独断に偏見が目立って、残念ながら独創的な思想が導かれるとは思えない。
第二部「イデオロギーの政治学」以降は簡単に記述する。なお、この第二部が一番まともに記述されていて、ファシズムの歴史的な経緯や発生原因、それにナチスと特性も含め、第一部よりもまとまりがあり、かつまともな論理である。著者がハンア・アーレントを読んでいたか知らないが、孤独な群衆が孤独の恐怖に駆られてファッシズムを生み出すなどアーレントと同様の考えがある。ヒトラーは孤独な大衆を洗脳していき議会にて選ばれたのは確かであり、そこから民衆の支配監視を強化し、他国へと支配地域を拡大していくのである。つまり恐怖と憎悪の感情を撒き散らして民衆、即ち下から強固なファッシズムを確立していくと著者は述べているが、その通りである。無論、資本上の独占の欲望も関係しているかもしれない。
一方、日本では上からの独断的なファッシズムが生じたと著者は述べている。日本では、指摘通りにお上がファッシズム体制を構築して民衆を巻き込んでいくのである。ファシズムの敵の共産主義やナショナリズムに軍国主義との関係も著者は述べているが、割愛する。おおよそ想像の付く考え方である。こうして第二部では、「西洋文化と共産主義の対決」、「ラスキのロシア革命観とその推移」、「ファッシズムの諸問題」、「ナショナリズム・軍国主義・ファシズム」、「スターリン批判における政治の倫理」と短論文が相互に一番響き合って、論理性も相応にあり分かりやすい。
これにたいして、第三部「政治的なるもの」とその限界、は政治などに絡めた短論文である。通常のありきたりの当たり前の話が八章記述されているため、内容は省略する。なお、各部の最後には著者自身による注釈があり、もし著者を研究したい者がいればとても良い参考になる。また、著者のあとがきでは、本書は最初日本のファシズムあるいはナショナリズムについて記述しようと出版社と約束していたが、病気などや記述していた短論文の保存不足などにより、結局思想のまとまり等を考慮して論文を選んだとのこと。従って本書の内で文章体裁や思考の方向に違いがあるのは当然なのだろう。ただ、短論文を集めたコレクションは、例えばドゥルーズコレクションのように著者以外の者が編集することが一般的と思われる。本書のように著者自身が編集するとは、調べてみないと分からないが少ないのではないだろうか。
何が言いたいかと言うと、きちんとテーマに沿って記述した本以外の短論文を無理に揃えて出版しなくとも良いのではないかとの思いがある。私は著者に関心が無いが、何をいわんとしている本なのか、著者に関心を持つ読者であっても混乱するためである。当然、研究者や学生の教材としては貴重な本となるであろう。分断された入口が垣間見えるためである。まあ、このように言えるかどうかわからないが、テーマに沿ってきちんと論理展開して思考の流れを明確にし、結論を導き出して、思想を明らかにして一冊の本を出版するのが良いとの思いがある。無論、出版する者と記述する者との合意の上に成り立っていれば、本の記述内容は記述者の希望通りに掲載して良いのであろう。ただ、短論文だけで著者の思想の全体が見えてこずに、著者に関心を持つ者は手当たり次第に数々の著書を読むのが良いであろう。
さて、最後に本書を読んで何点か感想・意見を述べたい。ただ、速読したため誤解等を含んでいる可能性があるのはご了承頂きたい。また、長くなるので簡潔に記述したい。
1) まず述べたいのは著者、もしくは本著書には思考はあるが、思想がないということである。例えば、日本におけるファシズムは、天皇や政治行動の責任所在の無責任性などが関連していると著者は指摘しているが、それがなぜ生じてどのように影響を与え、どういう結末を導いたのか、思想に基づいて裁断した結果の記述がないのである。つまり本書の全体を通じて、著者は思想の核を持って各種事件や政治状況を料理できていない。即ち、ドイツの、かつ日本的なファシズムに関する通り一辺倒な説明のみがある。つまり、著者は調査研究して思考は行っているが、言い換えれば、表層的な記述を行っているだけである。この思考から導かれた確固たる思想、もしくは深い洞察を含む核となる言葉がないのである。ハンナ・アーレントの「全体主義の起源」や「人間の条件」などを読むと、論理は飛び飛びになって分かりにくい文章であるが、思想としての核、重たい言葉を持って記述している。例えばアーレントはアイヒマンの裁判を傍聴して、「悪は陳腐である」などと述べたため、頑ななイスラエルの友人の誰からも絶交されるのである。
2) 即ち、ファッシズムを語る場合には倫理が含まれていなければならない。正義としての概念が含まれていなければならない。本書には、この倫理の記述がないのである。天皇と軍部と大衆の関係性が倫理、道徳を含んで、当時の欠陥を指摘し、かつ不正義であれば非難しなければならない。エマニュエル・レヴィナスはハンナ・アーレントと異なって、ファシズムを経験しながらもこれについて語ることは少ない哲学者である。でも「全体性と無限」において、全体性とは暴力である規定し、そして他者に無限の責任持たなければならないと主張している。この他者は顔を持つ者としてレヴィナスは語る。顔を持つ他者を無限に迎え入れなければならないというのがレヴィナスの思想の核であり、倫理観である。
3) 私もそうなのであるが、他者の著作物からの引用解釈は手前勝手になりがちである。本著者にもそうした誤引用がある。たぶん、学会などでは誤読と誤引用に満ちてお互いに論争しているのであろう。そう思えばわざわざ指摘すべきではないが、漱石の「それから」の本題からかけ離れた引用を著者が行っているため言ったまでである。私自身も含めて注意すべきである。なお、本著書に対する批評と論争は避けがたいが、これらを通じて何かしらの統一的な見解がまとまれば幸いである。
4) 著者は本書を「現代政治の思想と行動」と思い付きで題名にしたと述べていたが、ファシズムについて記述するのであれば、もっと別の題にすべきであったと思う。私はてっきり現代政治に関する政治論と思い込んでいた。戦後も、現代も政治的な危機な状態にある。特に本書が発刊された1957年は戦後の民主主義が急速に、思想及び社会体制として広まっていたはずである。どうも、著者は科学的政治学を行うつもりであったようで、まっとうな思想と行動を伴なった議会民主制なる政治論を記述できたはずである。無論、著作物の内容は著者が決めることであるが、敢えて私が本書の題名に言及するのは、結局日本人がファシズムについて記述するのは無理であると思うためである。ハンナ・アーレントの「全体主義の起源」は既に1951年に出版されていた。著者はアーレントの著書を読んでいたかどうかは知らないが、これに日本的なファッシズムの特性を加えて記述したかったのであるのだろうか。それらしき痕跡はあるが、まとまってはいない。
5) 従って著者は日本的な全体主義、ファッシズムが日本の現代政治を歪めた張本人であると思うなら、コレクションではなくて、一冊の政治哲学の著作物として真っ向から挑み発刊すべきであったと思われる。なお、私は著者、丸山眞男の他の著作物は読んでいない。何度も言うが本感想文には、誤解、間違いがある可能性も高いが、どうぞ許して頂きたい。著者の著書は読むつもりはなく、また本書について議論するつもりもない。ただ、日本国における天皇と権力と民衆の問題は根深くもあり、今後も三島由紀夫の文学・思想も含めて活発に議論が行われても良いと思っている。
以上