見出し画像

脱げない服

今日、久しぶりに体のラインが出る服を着た。
普段くびれや胸の凹凸がわからないタイプの服を着るのは、ひとえに体を隠したいからだ。嫌だ嫌だ。胸なんて、引っ込んじまえ。

でも私の体が悪いわけじゃない。この体に、「女」と名付けてしまう人々や、私、が悪いのだ。ノンバイナリーですと名乗る必要ってそういうところにある。

乳房があっても、私は女じゃない。
陰茎があっても、私は女じゃない。
脂肪分の多い体でも、私は女じゃない。
筋肉質でも、私は女じゃない。
髪が短くても、私は女じゃない。
背が小さくても、私は女じゃない。
体のラインが出る服を着ると、誰かから女だって言われるんじゃないかと考えてしまう。
特に男性の前に立つと、体を見られているんじゃないかと考えてしまう。(トラウマのせい)
それから、子どもの前に立つと「お姉さん」って言われそうで怖い。

実際のバストサイズより小さいブラジャーをしている。
胸が小さく見えるからだ。
胸を小さく見せる補正下着を着たりする。
そういう時は体のラインが見える服を着ても、しんどくならない。
でも補正下着は苦しいし、私自身の体の形を変えるのはなんか納得いかない。
そう思って普通のブラジャーで今日の服を着たら、鏡を見るたびに辛くなってしまった。虚しい。自分の体を愛せない自分が嫌だ。

何をどうしても逃れられない服を着ているみたいだ。
赤い靴を履いた少女のように、両足を切断するべきなのだろうか。
あの少女は、社会規範からはみ出した代償に足を切り落とされた。
私も、はみ出しているのだろうか。
はみ出しているのだろう。この苦しさの分くらいは。

肉体から抜け出したいとずっと思っていた。
でも今は肉体を愛したい。
肉体ごと生きていたいと思う。
いつか、自分の体を誇りながら歩きたい。
私は女でも男でもない、ノンバイナリーですと表しながら。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?