96年の幕引き

 母方の祖父が亡くなった。
 96歳、大往生である。
 頑固が服着て歩いているような絵にかいたような昭和の男は、随分と呆気なく逝ってしまった。

 二週間前に叔父家族と同居していた祖父は、家で面倒を見ることが困難と判断され、叔父の家のすぐ目の前にある老人介護施設、所謂老人ホームに預けられる事となった。

 職員経由でコロナに感染し入院したと連絡があったのは、一週間も経たずしてだった。入浴の為に出入りしている外部の職員がうつしたらしい。
幸い、重篤化することはなかったが、検査によって思わぬことが判明した。
 祖父は元々腎臓が弱くなっており、通院で薬を処方されていたのだが、どうやらその処方されていた薬を数か月分飲んでいなかった、ということなのだ。腎臓の状況は芳しくなく、持って年内、と判断されてはいたが、訃報届いたのはそれから三日後の朝のことだった。

 連絡を受け、祖父が入院していた病院へ向かうも、コロナで入院していた祖父は死因は別だったが抗菌用のビニールで覆いかぶされ、残念ながら最後の対面はフィルム越しという形になってしまった。
 程なくして葬儀業者が到着。祖父はブルーシートに包まれたまま棺桶へと移され、クラクションと共に直接火葬場へと送られていった。
父方の祖父や、祖母の葬儀の時とはまったく違う待遇に、いまいち祖父が亡くなったという実感を得られずにいた。世間がコロナに浸食されて、「新しい生活様式」という名のもとに様々なものが変わったが、まさかこんなところで世間の変化を目の当たりにするとは。
 タイミングが悪かった、といえばそれまでなのかもしれない。

 もし、コロナになっていなかったら。
 もし、老人ホームにいなかったら。

 「if」をたどっていくとキリがないのはわかっているが、例え腎臓で同じ寿命だったにしろ、家族で看取れた最期はあったはずだ。
 結局、通夜をあげることもできず、病院から見送って2時間程後、祖父は小さな箱に収まって叔父の家に帰ってきた。やがて到着したお坊さんによって10分ほどの御経を唱えられ、親戚一同が葬儀をした実感すらつかめぬまま事が終わってしまった。
 老人ホームに祖父の遺品や冷蔵庫などを引き取りに行く。
 入口で恰幅の良い所員が鍵を開けて案内してくれた。
 ひとしきり荷物を取り出し、最後に施設を後にするときになって、
 「クラスターがでたんで気を付けてくださいね。」と添えられた。
 あまりに無責任な一言である。
 しかしこの憤りをぶつける先はこの職員では、きっとないのだろう。

 ただただ、タイミングが悪かった。
 今はそう結論づけて、まとめることでしか、この心は整理をすることができないのである。
 96歳の幕引きがこんなにあっけないものなのか。
 願わくば安らかな旅を、祈るばかりは無力である。

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