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災害から考える日常の大切さ

令和6年1月1日に能登半島で最大震度7の地震がおきました。
皆さんは何をしていましたか?
私は仕事をしていました。一斉に携帯電話から地震速報が鳴り、慌ててテレビを付けました。画面は大きく揺れ、津波や輪島の市場で火事が起きていた映像は今でも鮮明に覚えています。親戚が石川県にいたこともあり、居ても立っても居られない気持ちになりました。
それから、50日ほど経って私は災害派遣福祉チーム(DWAT)として活動をすることになりました。その経験をしたことで気づいたことがありましたので書き連ねます。

災害状況
発生時刻 令和6年1月1日16時10分
発生場所 石川県能登地方
災害内容 地震発生:最大震度7 地震の規模 マグニチュード7.6(速報値)     津波発生:七尾市、輪島市、珠洲市、志賀町、能登町、穴水町など

宮城県災害派遣福祉チームて?
避難所や福祉避難所、その他、災害の発生時において要配慮者を受け入れる施設で被災者支援や体制を整える活動を行うチームです。
避難者の福祉ニーズ把握及び要配慮者のスクリーニングすることで、避難所等に避難している方の福祉ニーズを把握し、中長期的な福祉支援の必要性を明らかにし、その解消に向けて調整します。被災時の福祉的ニーズは広く個別的で多様です。避難者から相談があれば応じて避難所の設置者と連携して避難環境を良好に保つことも求められます。
※福祉避難所:高齢者、障害者などの支援が必要な方々「要配慮者)を受け入れる避難所をいいます。)

派遣に係る経緯
とはいえ、個人が行きたいからと言って個人が手を上げて勝手にいくことはできません。現地は混沌としており、情報や人、モノをコントロールしていかなければなりません。
石川県知事から各都道府県へ災害派遣福祉チームに派遣要請があり、厚生労働省から事務局へ、それから各県の派遣が決定していく。ざっくりとそのような流れです。
今回の派遣チームには介護福祉士を構成員に組み入れることとされていました。私は社会福祉士、介護福祉士、介護支援専門員の資格を所持していますが今回は介護福祉士枠で選んでもらえました。事務局の方、ありがとうございます。その他のメンバーは、社会福祉士と保育士の方で3人のチームでした。

スケジュール/活動概略
2月15日(木) 派遣オリエンテーション
2月19日(日) 移動/引き継ぎ
2月20日(月)~2月24日(金) DWAT活動  
2月25日(土) 移動

だいたいこんな感じです。もう少し詳細にご説明しますね。

オリエンテーション
事務局にて派遣指示書に基づき事務局から説明がありました。
・活動期間、メンバー、活動予定の確認、個人携行品の確認
・中央センターなどから示された情報の確認。現地の状況、避難所の実態と今後の活動
・連絡方法の確認、移動経路の確認など
・リーダー、記録、運行などの担当決め
・チームメンバーでのグループLINE作成など

オリエンテーション時点で把握している避難者ニーズと課題
・通水が完了していないことに伴う帰宅できない事情
・高齢化率の高さ
・避難者個々のパーソナリティによる集団生活上の摩擦
・避難所運営者自身も被災者であり支援者としての役割があるストレス
・DWATへの信頼と依存

ここまで、知った感じで書いてますけど、実は初めての派遣で大変緊張しました。被災地支援初心者なんです。なので、マインドは「普段以上のことはやれることしかやれない!」「チームの経験者や有識者に積極的に頼ろう!」後ろ向きではなく資源の最適な活用の視点で望みました。

準備
・カバン 60Lのリュック+ウェストポーチ
・自己完結できるように 食事、物品はなるべく現地で購入しない。
・服装 19度 晴れ→5度 雨、雪 全天候に対応できるように。
 撥水コート、動きやすく怪我しない靴必須、折りたたみ傘などなど。
・現地の情報収集 ニュース、SNS、ネット、親戚
・宿泊先の設備(朝食、風呂、コインランドリー)、近隣の資源の確認

さて、ようやっと活動内容です。

活動内容/スケジュール
2月18日(土) 移動、引き継ぎ
2月19日(日) 
 7時30分 宿泊先ホテル 出発 
 9時30分 派遣先の市全体会議
      参加者:行政、保健師、日赤、DMAT、DRAT、DWATなど
 9時35分 DWATミーティング 
 9時50分 他DWATに同行して巡回(計:6箇所の避難所)
      情報収集:避難者数、避難所運営状況、福祉課題の追跡・助言
 12時00分 避難所ミーティング参加
 16時00分 派遣先の市全体会議
 16時10分 DWATミーティング
 17時15分 ホテルへ向けて出発 車中記録
 18時30分 ホテル着 記録

 実際、活動してみて感じたのはミーティングの回数が多いことと短期決戦での活動ということでした。情報共有やそれぞれの見解に差異がないことを確認しながら、重複した活動とならないようにお互いのフィールドや役割を明確にすることが重要だということだと思います。ニュースでもよく聞く、「今は個人ボランティアは控えてください。」ということも活動の重なりや役割の曖昧さを防ぐ意味合いがあります。また、短期決戦では自分を振り絞らなければなりません。なので、積極的に他DWATとも意見交換をします。

出会った福祉的ニーズ
小学校の避難所をスクリーニングしたら様々な方々がいました。
・精神GH入所者、就労支援施設通所者。
・避難所を走っている発達障害の小学生の家庭
・無職兄との同居 膠原病 失業
・叔父 慢性肺疾患 と 甥 無職 仕事ができるところに住みたい。
・父 76歳 無職 話しの最中にしきりに体を掻く、落ち着かない、発達障害?
 母 73歳 パート
 長男 40代 精神疾患 ひきこもり
 次男 30代 無職
 長女 30代 無職

これらの方は、ほんの一部です。
今回の震災による自宅被害や止水で避難することになり、その後の生活再建課題も様々です。再建のための罹災証明が未申請だったり情報を知らない、もともと震災前からその家庭にあった精神疾患、生活困窮、8050、未就労などの単一ではない複合的な課題がありました。そして、それらの対象者は自己決定力が乏しい方が多いです。避難者が生活を再建して自立していくために、伴奏的なアプローチが継続される必要です。

生活が一つずつ戻ってきている実感
避難所近くのお寺に何やら人だかりと焚き火のような煙が上がっていたので立ち寄ってみたら地元の方や避難所の避難者がいました。私もお餅のおふるまいを受けちゃいました。「左義長(さぎっちょ)」というお焚き上げだそうで、毎年1月14日に開催されているそうですが、今年は地震で延期になっていたのだそう。
地域の方にお話を聞くと「気持ち的に一区切りつきました。」とおっしゃっていました。避難者の方を左義長の場所まで手を引いてお連れする応援自治体職員の姿もあり、日常が少しずつ戻ってきていることを感じられました。

気づいたこと
これらの活動から気づいたことが大きく3つありました。
●共感
・避難者の想いに寄り添う。
・現地では支援者も被災者。
・自立(避難者、避難所運営者、行政)に向けたサポーティブな関わりが求められる。
・正解や正当性を明らかにすることにこだわらない。(ベストよりベター)

●連帯
・短期的な活動であるDWATでは、チームとしてのミッションが明確化されて共有されている必要がある。しかし、支援活動は長期的。行政/医療/福祉/司法(住民に届く活動に期待したい)
・互いの専門性や特性を理解し活かした役割分担。
 (DWAT内、支援者チーム、重層的な支援体制整)
・感じたことや気づいたことを遠慮せずにしっかりと伝える/聞く。
・迅速かつ柔軟な対応。(フェーズに合わせた適応力、自己の価値観)
・自身を使い切る。

●自己のケア
・精神的な負担。気分の高まりによる感じていない負担がある。
・睡眠不足や移動などによる身体的負担がある。
・食生活の乱れによる栄養の偏り。

日常にこそ備えあり
 災害支援活動を通じて被災者個人の環境や要配慮性(高齢、障害、児童、生活困窮など)、生活再建などにおけるニーズ触れさせていただきました。これらは震災をきっかけに表出された課題もありますが、もともと地域や個人の特性によって埋もれていた福祉的ニーズが災害によって顕在化されたものも多いと思います。日常から地域との連携や顔の見えるお互いさまの関係性の構築の必要性を感じる出来事でした。社会福祉の専門性に照らし合わせると、こうした課題をキャッチしたり繋がるためのコミュニティソーシャルワークの視点が重要です。ですので、繰り返しになりますが仕事でもプライベートでも日常が大事ということなのだと思います。他人に少し気遣ったり優しくする。その積み重ねが大事です。そして、火事場の馬鹿力には期待せずに仕組み化や習慣化されていることが非常時の最大の備えになります。普段の専門的な支援やスキルの地続きに非常時の対応があるとも言えますね。

 今回の活動を通じて改めて家族や職場の協力に感謝です。被災者の皆さんからも「ありがとう」の一言に元気づけられました。ありがとうございました。被災地の皆様の生活が早く戻りますようお祈り申し上げます。

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