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映画「どうすればよかったか?」感想

12/30(火)、静岡シネ・ギャラリーにて映画「どうすればよかったか?」を観に行ってきました。
親の意向により受診がかなわず、自宅に閉じ込められた時期もあった統合失調症の姉と、両親・自分を実弟が撮影・監督したドキュメンタリーです。

こんなことになってしまったのは、ご両親の病気になった娘さんを恥じる気持ちが大本の原因だと思いました。
ご両親にとっては、その羞恥心は重大で恐怖にも通じる感情だったでしょう。撮影を続ける監督にとっては、その羞恥心はとてつもなく大きく厚い壁でした。

そのご両親の恥ずかしいという気持ちを溶かすにはどうすればよかったか?
この問いは誰にとっても難問です。

この日は監督とプロデューサーの舞台挨拶もあり、作品の中には収めきれなかった思いを伺うことができました。大切な作品をありがとうございました。
質疑応答の時間に感じたのは、劇場に来た満席の観客の多くがご家族に精神病者を持つ方々だったのでは、ということでした。
「私も同じような経験を今しています。記録を残してくださってありがとうございます。」という言葉が強く印象に残りました。愛するご家族への対応に困難を感じながら一日一日を何とか乗り切っているのだと思いました。

私は統合失調症者ですので、「早く受診させてやってくれ〜」という思いでスクリーンを見つめていました。「他の多くの家族はそうしてるんだから」「そうすれば解決するのに」というもどかしさを感じざるを得なかったというのが正直なところです。
後半で、お姉さんが入院できて症状が緩和されたのを見てホッとしました。あれがなかったら本当に辛いばかりの作品になってしまったと思います。

ご両親の羞恥心は感情であり気持ちです。その気持ちで娘さんの人権を蹂躙してしまった。
ご両親の恥ずかしいという気持ちとその結果を秤にかけたとき、統合失調症者としてはとても釣り合わせることができません。恥ずかしいからといって閉じ込められたらたまったものではありません。

ご両親のこの羞恥心を溶かすにはどうしたらよかったのでしょうか?

私は、撮影しながらご両親への節度ある説得を続けた監督が、あくまで家族の一員・姉の弟として問題に取り組んでいたことに心を打たれました。何か強引で暴力的な方法、あるいは法に訴えるような方法で事態を打開することをしなかった点です。
質疑応答の中で「当然そういう方法も考えたが、家族全体の絆を考えたときそれは違うと思った」(大意)と語られていました。
それが藤野知明さんだからこそのやり方だったのだと思います。

「どうすればよかったか?」については、誰にとっても当てはまる、いつも・つねに正しい答えはないのだと思いました。何とかしたいと思い最善を尽くしているその人自身の根源から出てくるやり方しかないのだろうと。
似たような問題を抱えている他のご家族にとって、そこで最善を尽くしている人にとっては、その人の独自のやり方がある・生まれてくるのではと。それはもしかすると藤野さんがやらなかった強引な手法かもしれない。その人の根源から出てくる何かがあるのではないかと。

感情・気持ちが重大な結果をもたらしてしまうという事態については、私についても当てはまることがあると思いました。
何か自分の問題が生じているとき、それは私の内面の気持ちがネガティブだからでしょう。「恥ずかしい」「嫌われたくない」「怖い」「めんどくさい」等々。それは私にとって大変・重大に思えるでしょう。でも、そんな私の内面なんて、外から客観的に見れば些細なものかもしれません。多くの人はその気持ちを乗り越えてフツーに対処しているのかも。
自分の気持ちに対するこのメタな視点を持つことを忘れたくないと思いました。

多くを考えさせる作品を完成させた監督・藤野知明さんとプロデューサー・淺野由美子さんに感謝します。

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