バス停で見知らぬ人と野菜を育てる。(Sotsusei-geppou #03)
かなり筆が重たかったのですが、まあどうせ自分の記録用だと思い出しウダウダと書き始めます。実際6月から7月は怒涛の発表期間でほとんど他のことに脱線する余裕がなく走っていたのですが、それよりも毎週のように内容がアップデートされていく中で1ヶ月の単位では何も決まっていないような状態とほぼ等しくなったことが書くことを難しくしていた要因でした。ということで卒制月報6・7月合併号として書きます。
フィールドで試す
この間の作業としては大まかな方向性から、具体のアイディアに落とし込むことと、その過程で根幹として確実に握っておかなければいけない部分のふるい分けを行っていました。そして実際にフィールドに出てアクティビティを試して見ることでどのような相互作用を社会に与えることができるかの模索も行っていました。そこで公園の路上にバトミントンコートを発生させてみました。
しかしこのバトミントンコートは残念ながら雨で消えてしまうので、梅雨の時分には相性が悪く別のトピックスとしてバス停の前での野菜の栽培を初めてみました。
百均で買ってきたプランターに土とタネを植えベランダで苗が出るまで育てます。
一週間ぐらいでいい感じに育ってくるので、ある程度芽が出てきたらバス停と近所の交差点に放置し始めました。
これが初日の状態です、ペットボトルに穴を開けたものとプランターに看板を刺しただけの状態。
一週間ほど経つと、どこかの方がプランターとボトルに台座を用意してくれていました、調べてみるとプランターを地面そのままに置くと熱や水がたまるため、一段上げておくだけで育ちやすくなるそうです。
基本的に現場には夜に向かい、その際にも写真撮影と水の交換しかせず、栽培に関してはほとんど人任せという状態でした。しかし確実に野菜は育ち、ボトルの水も減っています、顔も知らない誰かの野菜を協力して育ててくれている人がいるということです。このささやかな他者との協同作業には妙な高揚感があります。
一方、もう片方の交差点に置いておいたプランターは写真を撮り忘れている間に気づけば回収されてしまっており、ゴミかイタズラという認識をされてしまったものかと思います。同じ状態のオブジェクトでもおく場所によってここまで反応が変わるのも面白い。
その後も二週間弱ほど雨が続いて水の交換にも行かなかった時期があったのですが、久しぶりに見に行ってみると台座がアップデートされていたりしていました。
その甲斐もあってか無事に小さいですが、実が生り始めました。バス停産の枝豆です。
果たしてこの栽培に協力してくれたのが誰なのか、どのような人でどう思ったのかは不明ですが、その共犯者が継続した結果として実がなるまで野菜が育ったというのは社会的距離が叫ばれる現代においては貴重な結果だと感じます。現在は最後の段階として自由に収穫して下さいという看板を立て掛けています。野菜としてはもちろん量は少ないですし、交通量のそれなりにある道のそばで、簡易のプランターで育てたものなので味もそこまで良くはないかもしれませんがバス停という公共インフラの前で始めた栽培というアクティビティに少なくとも一人以上の人が関わってその成果が結実したということは参加型や市民主導というようなことを研究する自分にとって、手触り感を持った不思議な体験でした。