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トイレに行きたいのに部屋に閉じ込められてしまった男の話

12月1日。「コンテンツブランディングサミット」という名の映像業界系のセミナーイベントに登壇するため、いつもより朝早く7時ごろに起床した。

しかし着ていく服が決まらない。オーディエンスは僕のファッションを見たいわけでなく知識を習得したいだけなのに。何度も着替え直す様は自分でも滑稽だった。

結局、黒のジャケットに黒のパンツという「映像業界あるある」みたいな無難な服装で会場に到着すると、男女2人のスタッフが「あ、宇都宮さんですね、お待ちしておりました!」と丁重にもてなしてくれて、控え室に案内された。

登壇まで1時間ある。部屋で1人、プレゼン資料の最終チェックをしていたら、ふとカードキーがないと部屋の外に出られないタイプであることに気づく。そして誰も部屋にはいない。

トイレに行きたいのに行けない。

緊張のせいか尿意が近い。無駄に時間をかけた身だしなみもチェックしたい。しかし、令和の時代に、渋谷のど真ん中で、いかにもイケてる風味のイベントに登壇するのに、まったくイケてない現実がここにいる。

VIPのような気分で心地よく案内されたあと、囚人みたいな状態で閉じ込められる様はあまりに滑稽である。ふと緊急連絡先がDMで送られていたことを思い出し、そこに電話した。

「トイレに行きたいんですが、部屋から出られません」

という一言が妙に恥ずかしくて言えない。ただ「外に行きたいんですが、カードキーがなくて出られません」とだけ告げた。

「あの登壇者、トイレに行きたくても行けず、部屋に閉じ込められていたらしい」とあとでスタッフの間で笑いのネタにされるのが嫌だった。そういう小さいところを気にする性分が余計に情けなかった。

ただ「トイレ」ではなく「外に行きたい」という曖昧な表現にとどめることで、人によっては「あぁ、まだ時間があるから、この人はきっとスタバにでも行って、コーヒーを買いに行こうとしているのかもしれない」という都合のいい勘違いをしてくれるかもしれない。いや、しないかもしれない。なんにせよ相手に想像の余白を残しておきたかった。

無事にセミナーの登壇を終えたが、途中、MCの人とのトークに対して上手い切り返しができなかったことや、質問者の1人に対してうまく回答できなかったことが悔やまれて、しばらく会場後方のベンチに1人座り込んでいた。

夜にはポジティブな反応のコメントがいくつか届いてホッとしたが、なぜか無性にやけ食いをしたくなって、帰り際、ポテトチップスWコンソメパンチとビッグチョコとうまい棒コンポタージュ味をコンビニで買った。

酒が飲めない男は「やけ酒」ができないので「やけ菓子」に走るのだと自分でも初めて知った。そもそも普段スナック菓子など食べないのに、中年男性のストレス解消にしては、あまりに子供染みていた。

しかも一気喰いしてそのまま寝たら、わりと何事もなかったかのようにメンタルが復活していた。寝起きまなこに、ふとTikTokを開いてみたら「小田和正のコンサートにミスチルの桜井和寿がゲストで招かれて『365日』という曲を2人で歌う動画」が流れた。妙に心に沁みいるものがあった。「やっぱり人生っていいもんだな」とふと思った。単純な人間であった。

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宇都宮秀男
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