誰もが孤独の時代
今年のお正月。
別府の実家でおせち料理とお雑煮を母が用意してくれて、
父と姪っ子とその旦那さんとみんなで美味しく食べた。
姉夫婦がコロナに感染し、みんなで会えなかったのが残念ではあったが、母が手間暇をかけてつくってくれたその味は、心にも身体にも染みるものがあった。
実家にあった朝日新聞を広げてみると、
いきなり元旦の一面で「誰もが孤独の時代」という強烈な見出しがあった。
ノーベル賞作家のアレクシエービッチさんの言葉だった。
その上で、こう諭すように語った。
カニを無心で頬張りながら、何度もその言葉を反芻した。「カニを食べる」という行為は、みんなが無口になるのである意味では孤独かもしれないが、やはり孤独からは最も遠い行為のようにも思えた。
そして、早いもので、元旦からもう半月が経とうとしている今日、録画していたYOSHIKIのドキュメンタリー(NHK『プロフェッショナル〜仕事の流儀〜』)を観た。
番組の終盤でディレクターが「独りぼっちなんじゃないかと感じる瞬間がちょっとあった」と尋ねると、YOSHIKIさんはこう答えた。
軽い口調では言っていたが、その口調とは裏腹に、
涙をこらえるような表情をしていた。
元旦にみんなで賑やかにおせち料理を食べ、黙々とカニを頬張っていた時は何も感じなかった「誰もが孤独の時代」という言葉が、ふっと脳裏をよぎった。
アレクシエービッチさんが語るその言葉に呼応するかのように、YOSIHIKIさんは映像の中でこう語っていた。
YOSHIKIさんにとっての「音楽」こそが孤独を癒す「日常そのもの」なのかもしれないと思った。
正月にこたつに入って、みんなで、のんびりとカニを食べるということは、案外、とても幸せなことかもしれないなと改めて思った。
こたつの逆サイドでは、姪っ子が突如おもむろに「結婚できてよかったー」と独り言のように言っていて、何だかその言葉がたまらなく嬉しかった。
僕が高校生の時に生まれた姪っ子。16歳で叔父さんになった僕。おむつまで変えてあげたその子が、少女時代を楽しそうに踊っていた少女が、今、こうして結婚という祝いの門出に立っていることが、「結婚できてよかったー」の一言でたまらなく愛おしい気持ちにさせた。
未だ独身であることに何ら焦りも感じない呑気な叔父ではあったが「姪っ子に先を越された」なんていう惨めな気持ちは一かけらも生まれず、あったのは心からの祝福だった。
そうやって感じたことを書きとめることによって、僕は僕なりのやり方で「人の中にできるだけ人の部分があるように」しているのかもしれない。
では、最後に、孤独を抱きしめて、
今日はこの曲とともにお別れしましょう。
聴いてください、X JAPANで『tears』。