16歳でおじさんになった僕は姪っ子の結婚式に参列した
僕は16歳で「おじさん」になった。
6つ離れた姉が早々に結婚し、子供が産まれたためだ。
こんなにも早く「おじさん」になる人生を歩むとは思ってもみなかった。
僕にとっての親戚のおじさんはみな、年相応に「おじさん」だった。酸いも甘いも経験してきたような熟練の中年男性という感じだった。
しかし幸いなことに姪っ子からは「おじさん」と呼ばれたことは一度もなかった。いや、知らないところでは、おじさんと呼ばれていたかもしれないが、知らなくていいことは世の中にたくさんある。
実際には「ひでくん」とか「でっふぃくん」という謎のあだ名で呼ばれてきた。どんなあだ名でも構わない。とにかく「おじさん」と呼ばれなかっただけで僕は姪っ子に感謝しなければならない。
もしも16歳から「おじさん」と呼ばれていたら、今頃はもう少しだけ卑屈な人間になっていたかもしれない。あるいは今より見た目もいくらか老け込んでいたと思う。心から「ありがとう」と言いたい。
また僕自身がそうであったように、大抵の場合、思春期を過ぎると「親戚のおじさん」とは相まみえなくなる。
親戚のおじさんとは数年に一度しか会わなくなる。「あ、どうも、お久しぶりです」以外の会話が思いつかない。無理に続けるなら「今日はいい天気ですね」という当たり障りのないことしか話せる自信がない。
しかし姪っ子は婚約した旦那さんと赤坂まで来てくれて一緒にご飯を食べたり、昨年の誕生日にもわざわざプレゼントを買ってくれて泊まりにきたり、僕の本を読んで感想を手紙にしてくれたり、僕のなかの「親戚のおじさん」像をいい意味で崩してくれた。
僕にとっての姪っ子はいつも爆笑しているか、爆食いしているか、爆睡しているイメージしかない。何にせよ幸せそうだから、これからもずっと幸せであってほしい。
いつだったか、姪っ子に妹ができて、2人の姪っ子と同じ布団で寝た時は、不思議とあたたかい気持ちを覚えた。
そんな姪っ子が、先日、大分で結婚式を挙げた。
前日まで荒天で全国的にも雨模様だったが、奇跡的にその日は晴れて別府の空に虹がかかった。
雨上がりの空に気持ちもおだやかだった。
旦那さんも姪っ子と同い年で好青年だ。僕が言うのもなんだが、心から祝福できるカップルだ。
僕の父親、つまり姪っ子にとってのおじいちゃんも嬉しそうだった。父もまた「おじいちゃん」ではなく「べっぷくん」というあだ名で姪っ子に親しまれていた。
僕が「おじさん」と呼ばれなくて嬉しかったように父も「おじいちゃん」と呼ばれなくて嬉しかったに違いない。
なかなか思いやりのある子である。
そして僕はこの日のために、ナチュパラの仲間にも手伝ってもらいながら2人のプロフィールムービーをつくった。
彼女の人生の門出に花を添えられて嬉しかった。もう5年近く個人の映像をつくってなくて久々の感覚だったが、やはり喜んでもらえて本当に良かったなと思っている。
10年、20年経って見返しても良いような映像をつくりたかった。誰かにとっての「一生の宝物」をつくりたいという、ものづくりの原点を思い出させてくれた。
披露宴会場にはサプライズでいろいろなところにメッセージが仕掛けられていて、嬉しかった。サプライズ演出が好きなのは家系かもしれない。
もしも僕が結婚して子供ができたとしたら、その子は姪っ子にとって、それなりに歳が離れた「いとこ」になる。姪っ子に子供ができたら、その子よりも、いとこの方が若い可能性がある。いよいよカオスだ。責任の矛先は間違いなく僕に向けられる。
まぁ、そうなったらそうなったでいいじゃない。このままずっと独身でいくかもしれないし、ご縁があれば結婚するかもしれないし、結婚したにせよ子供ができるかも分からない。「縁は異なもの」というくらいだから、こればかりは誰にも分からない。
ただ僕が若くして「おじさん」になったように、タイミングによっては姪っ子が、いとこから「おばさん」と呼ばれる可能性もなくはない。
くれぐれもその呼称だけは使わないようにしつけたい。
(写真や記事の掲載についてはあらかじめ姪っ子の許可をもらってます☺️)