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腐女子が読む「チ。」ー地球の運動についてー 2章感想

注:ネタバレを含みます。


はじめに


 アニメ第14話、満天の星空の下で交わされたオクジーとバデーニの最期の会話が頭から離れない。

 処刑という陰惨な場面が、これほど美しいなんて…… 

 なんと素晴らしい物語だろう。

 私は溢れる涙を抑えることができなかった。
 この文章を書いている今も、思い出すだけで瞳が潤む。

 2024年12月末、大好きな中村悠一さんが出演していることをきっかけにアニメ6話から見始めた「チ。」だったが、緊張感のあるストーリーとかっこいいセリフ回しに一瞬で引き込まれた。

 アニメ14話まで見て、あまりの感動に打ちひしがれ、原作を買って読んだ。

 「チ。」は、キリスト教社会において異端とされた地動説を巡って、世代を超えて続いていく人々のドラマが描かれた傑作なのだが、その中でも原作第10話~32話、アニメ第6話~14話に相当するオクジーとバデーニの物語が最高だった。

 原作では淡々と進む場面も、アニメでは演出と映像、声優さんの名演技が加わってよりドラマティックになっているから、一層物語の世界を楽しめた。

 一般読者(視聴者)としても十分感動したのだが、私が腐女子として生涯求め続けているものが「チ。」にはあった。

バデーニ

 
 バデーニは並外れて優れた頭脳を持つ修道士だが、傲慢で自己中心的で、身分の低い者や能力の劣る者を下に見ている。

 貪欲に知を求め、好奇心と知識欲を抑えることのできない彼は、規律を重んじる司教に目を付けられ、禁書を読んだ罪で両目を焼かれ、研究もできないような田舎の教会に左遷されてしまう。

 まず、このバデーニが非常に魅力的なキャラとして造形されている。

 トンスラ(鉢巻をしたような形に頭髪を残し、頭頂部の髪の毛を円状に剃るカトリックの聖職者の髪型。日本ではフランシスコ・ザビエルの姿が有名)、鼻と口に残る大きな傷跡、隻眼と属性モリモリでも、少しも損なわれることのない美貌の持ち主で、元の顔はボッティチェリが描く女性のように優美なのに、その口から出るのは傲慢で辛辣な言葉、しかもアニメでは中村悠一の低音ボイスというこのギャップがたまらない。(宇宙をバックした横顔にはラインハルト味もある)
 
 当初、バデーニは「地動説」を完成させ発表することで自分が「特別で偉大な、世界を動かす存在」になり、莫大な利益を得ることを目的としていた。
 そのために、下級市民であるオクジーを雑用係として使い、天体の記録にアクセスでき、優れた知性を持つヨレンタを利用しようとしていた。
 
 ヨレンタが女性であることから、地動説の話をしても密告される可能性が低く、もしも自分とオクジーが捕まっても「魔女に騙された」ことにしてヨレンタをスケープゴートにできるから都合がいいと考えていた。

 しかし、ヨレンタの協力によりピャスト伯が持つ貴重な資料を得た後では、バデーニはヨレンタに「後日我々が捕まったとしても君は説とは無関係だと貫け。我々のことは切り捨てろ。」と言い、異端審問官に詰問されても「(協力者は)いません。」とヨレンタをかばった

 さらに、バデーニはオクジーが文字を習い、本を書くことをくだらないと馬鹿にしていたのに、こっそりオクジーが書いた本を読み、模写を作成して教会に保管しておいた。
 自分たちが捕まった時の予防策として。
 いつかその本を見つけた人に「感動」が残れば、地動説が受け継がれていくと信じて。

 オクジーが書いた本の内容にバデーニ自身が感動したからこそ、この本は後世に残す価値があると思ったのだろうし、模写が残したから何のためらいもなくオリジナルの本をオクジーの目の前で焼却できた。

「この世に何かを残して、全く知らない他者に投げるのは、私にとってなんら無意味で無価値だ。」

 と自覚していながら、最終的に歴史にとってはそれは無益ではないという考えに至り、後世に地動説を託す。

 異端審問官に掴まる直前、「あまり他人を排除しすぎると、間違いに気づきにくくなるのでは…?」と反論を始めたオクジーに耳を傾け、頭ごなしに否定することなく他者の意見として認めたのは、バデーニがオクジーを自分と対等な存在と認めた決定的な瞬間だった。

(ただ、この場面でオクジーが抽象的な語句を多用して理路整然と反駁したことには違和感があった。数か月前に文字の読み書きができるようになったばかりの人間が、いかにたくさん本を読んだとしても、ここまで理論的でしっかりした考えを発言できるようになるだろうか)

オクジー


 オクジーは恵まれた体格と優れた視力を持った下級市民で、代闘士(決闘の際、貴族に代わって戦う)として生計を立てていた。

 身分が低く、字もまともに習ったことがなくて教養を身に着ける機会のなかった彼は、自己肯定感が低く、「地球は位が低く穢れていて、そこに住む人類は無力で罪深い」「君の見上げる夜空がいつも綺麗なのは、この穢れた大地から見上げているからだよ。」という神父(自分より知識も教養もある≪偉い人≫)の言葉をそのまま信じてしまい、それ以来空を見ると「星が…大地に生きている人間を蔑むような眼に見えて」夜空を見ることができなくなってしまった。

「この世は終わっている。なので希望は天国にしかない。」と考え、「この世に希望を感じる心」を失ったオクジーだったが、運命的な巡り合わせにより、先人が残した地動説の資料を託されることになった。

 資料をバデーニに見せたオクジーは、自分の意志とは無関係に成り行きに流されるまま地動説の探求に巻き込まれていく。

 オクジーは素直で朴訥としていて、バデーニの横暴な要求に文句も言わずに従い、その上、いざとなったら剣を取って戦う強さを兼ね備えている。
 初期の百目鬼や「夜明けの唄」のアルトを思い出すワンコ攻め感がとてもいい。
 オクジーとバデーニの関係に、私の中の腐女子が疼く。

 知識と教養を持ち、地動説という真理を求めるバデーニとヨレンタに出会い、地動説によって≪地上は汚れた場所ではなく、崇高で美しい天界と調和している≫とこの世界に期待する希望を見出したオクジーは、ヨレンタに文字を習って本を書き始める。

 見上げることができなくなっていた夜空を再び眺め、美しいと感じられるようになった。

 人生に夢も希望もなく、資料の入った石箱を見つけた後、上司だったグラスについて行くかどうかすら一人で決めることができなかったのに、バデーニと地動説を守るために自ら命を懸けて異端審問官ノヴァクとの戦いに挑んだ。なんという成長ぶりだろう。

 自分の人生を変えた地動説とバデーニのために、聖職者に刃を向け(=地獄に落ち)ても構わないと覚悟を決めたオクジー。
 オクジーを引き留められないと知ったバデーニは、香油を手に取り、神に祈って祝福を捧げる。
 「死ぬな」という精一杯の想いがこもっているように見えた。

 この結びつきこそ、私が求めてやまないBLの真髄。
 腐女子である私はここに愛を見る。

星空の下で二人は…


 バデーニを逃がし、自分たちが大切にしてきた地動説を守るために、オクジーは一人異端審問官に立ち向かう。
 しかし、運命は残酷なもので、結局オクジーもバデーニも捉えられてしまう。

 見せしめに拷問を受けるオクジーを前にしても、バデーニは地動説の資料の在りかを必死で隠していた。
 それでも、オクジーの目がつぶされそうになると耐え切れず秘密をばらしてしまう。

 バデーニはどうしてもオクジーの目を守りたかった

 常人には得られぬ視力を持ち、満ちた金星を見つけたオクジーの瞳。
 そのおかげでバデーニは地動説を完成させることができた。

 理不尽に両目を焼かれたバデーニは、生きながら視力を失う苦しみを嫌というほど味わってきた。
 
 だから、オクジーには自分と同じ苦しみを味合わせたくなかったのだ。
 たとえ死が、すぐそこまで迫っていたとしても。

 身分も性格もこの世界に求めるものも何もかも違う二人が出会い、関わり合う中で互いを認め合い、尊重し合えるようになるとは、なんと素晴らしいことだろう。

 異端者として処刑される直前、

「これで我々も地獄の入り口に立ったな。」

 と言うバデーニに、オクジーは堂々と

天界のですよ。」

と返す。

 このセリフは、二人が地動説を知った夜の会話に呼応している。

 この世に希望を見いだせず、意志も目標もなく、ただ天国に行くことだけを望んでいたかつてのオクジーの姿は影も形もない。

 オクジーは自信と確信をもって空を見上げる。

「今日の空は、絶対に、綺麗だ。」

 その瞬間、もはや星を見ることのできないバデーニの網膜にも、満天の星空が映ったことだろう。

 なんという美しい結末。
 こんなにも残酷で悲しい場面なのに、心を満たすのは喪失ではなく、深い感動だ。

 アニメでは、最後に夜空に二つの流れ星が輝き、消えていく。
 まるで天界に昇った二人の姿のように……

おわりに


 第1章の主人公ラファウをはじめ、それまで自分の利益や幸福しか求めなかった登場人物たちが、地動説と出会うことで宇宙の真理に触れ、個人の損得を越えた大きなものに身を捧げ、他者を信じて地動説を後世に託すようになる。

 その変化、成長こそがこの物語の大いなる魅力だ。
 ぜひ、この感動を多くの人に味わってほしい。
 


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