心の中に住み着いた「将棋君」が暴れだす その26

 元奨励会員の筒美が、将棋指しになれなかった自分の人生を振り返り思い出すことを書いています。
※ 最初から読みたい方は、心の中に住み着いた「将棋君」が暴れだすから読むことをおすすめします。 
※ ひとつ前の話→心の中に住み着いた「将棋君」が暴れだす その25

 アマチュア順位戦に入る
 新宿天狗クラブがなくなり、「また居場所がなくなってしまったなあ」という索漠とした気持になった。どうも行く場所がなくなって寂しい。その後2週間くらいの間、歌舞伎町の天狗クラブが元あった場所に向かって拝みたいような話しかけたいような叫びたいような気持で毎日過ごしていた。
 が、そういう気持ちもだんだんと薄れ、将棋雑誌の道場や大会・研究会の広告を読み込んで、今度はアマチュア順位戦という研究会に入ることにした。
 アマチュア順位戦は、柿沼さん・内田さんなどのその当時の有名アマチュア強豪が参加しているリーグ戦形式の研究会で、A級とB級の2部に分かれていた。毎回A級の下位とB級の上位が入れ替わるところなどがプロの順位戦に似ていて、開催場所は秋葉原将棋会館という柿沼さんがその頃始めた将棋クラブだった。秋葉原将棋会館も新宿天狗クラブと同じくらいの広さで、将棋盤の数は30くらい。ただし天狗クラブと違って畳敷きではなく椅子に座って指すようになっていた。
 柿沼さんは、小柄で黒縁のメガネをかけ少し後頭部が薄い人で、その頃は40代の後半だったらしい。さすがに本番では言わないが感想戦では「けっこう指せば指せるじゃない」という定番の皮肉のような発言を繰り返し、よく、ゆっくりとした動作で手を少し薄くなっている後頭部に当てるポーズをとっていた。指すときの手つきが独特で、駒を人差し指と中指でゆっくりと上に持ち上げ、ちょっと止めてから盤面にゆっくりと置いていて、そのうち自分もその手つきをモノマネするようになった。
 アマチュアには珍しく受けを重視する棋風で、相手を指し切りに導いて勝つ将棋がわりあい多かった。大局観が独特で、対局したり、感想戦での発言を聞いたりすると勉強になった。
 序盤研究が好きなタイプで、自分はアマチュア順位戦のない日でも秋葉原将棋会館に行くようになり、柿沼さんに指してもらったり一緒に序盤研究をしたりした。
 柿沼さんと研究すると、わりあい普通は「形勢不明だ」と片づけてしまうような局面でも詰みまでやってみたりすることが多く、そうしていろいろやってみると、形勢互角だと思っていたものが、意外とどちらかが有利だということがわかったりして、勉強になった。
 自分は、アマチュア順位戦ではわりあい勝率がよくて、A級の比較的上の方にいた。約半年間新宿天狗クラブで鍛えた効果が現れたのか、アマチュア強豪ともそこそこ戦えるようになっていたようだ。
 それと、アマチュア順位戦や将棋大会がない日は、御徒町将棋センターという将棋クラブによく通っていた。
 そこは新宿天狗クラブと同じで優勝賞金5000円のトーナメント戦が毎日開催されていて、自分も参加していたがなかなか勝てなかった。その頃は。後に「居飛車穴熊・元祖」裁判を起こして名を上げる大木さんなど強い人が集まってくる場所だった。

 高校3年になり受験勉強をしないといけないのだが、将棋を指したい、将棋が強くなりたい、という気持ちがどうにも抑えられなかった。「将棋くん」が変な時期に大暴れし始めたのである。

※ 次の話→心の中に住み着いた「将棋君」が暴れだす その27

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