心の中に住み着いた「将棋君」が暴れだす その51
元奨励会員の筒美が、将棋指しになれなかった自分の人生を振り返り思い出すことを書いています。
※ 最初から読みたい方は、心の中に住み着いた「将棋君」が暴れだすから読むことをおすすめします。
※ ひとつ前の話→心の中に住み着いた「将棋君」が暴れだす その50
書店経営者になる
教員になって11年勤めた後に退職した。
理由は、強迫性障害の発症により授業をするのがつらくなったことなどである
退職後始めたのは、書店経営だった。
確かに書店経営ならば授業をするわけではないので、強迫性障害を発症していてはいたが、それほど重度ではなかったのでなんとか仕事になった。
始めたのは20坪くらいの店舗で、ブックオフをかなり小さくしたようなリサイクル書店。株式会社ブックマートグループという会社のフランチャイズ加盟店だった。加盟店は、ロイヤリティーを月10万円取られたが、不要な本を本部に買い取ってもらうことができ、本の買取価格を書いたチラシが送られてきた。
自宅の近くにあった店を、退職金や株で儲けたお金を使って営業譲渡してもらったので、什器などはそろっていて、アルバイトのメンバーもある程度引き継いだ。
店を買いとる前にアルバイトをさせてもらい、営業方法や仕事の仕方、店の状況などを教えてもらってからオーナーになったので、仕事のやり方がわからなくて困るようなことも最小限で書店経営を始めることができた。
初めの頃は、月30万から40万くらいのオーナー利益があった。高校教員だった頃に比べると少し年収が下がったし、年金も減る。でも、公務員に比べると定年がなくて、健康ならば続けたいだけ続けられそうなのがいいところだと思っていた。退職金は、店を誰かに譲渡した時に入ってくるお金が多少かわりになりそうだ。日々の仕事は、教員に比べると自分のペースでできてゆとりがある。少し収入が減ったが、2店舗か3店舗に増やせれば教員時代よりも収入が多くなるかもしれない。
と思っていたが、次第に経営が悪化していった。
お客さんから買い取った本を店頭及びネットで販売していたのだが、まず、ネット販売の方が、次第にライバルが増え販売価格が下がって売り上げが減っていった。
その後、店頭販売の方も少しずつ売り上げが減っていった。通信販売とか携帯ゲームなどにおされたのかもしれない。それと、その頃不景気だったことも関係あるのだろうか。
本屋をやっていて楽しいこともあった。店番をしていると、たまに文学好きのお客さんから「今度の直木賞はだれになると思います」などと話しかけられてそういった話になり、「松本清張は直木賞ではなく芥川賞作家」「山田詠美は、芥川賞候補に3回なり、芥川賞の選考委員にもなったが、直木賞作家」といった蘊蓄を言ったら意外と面白がって聞いてくれた。
あと、お客さんから将棋の本について尋ねられたことが1回だけあった。
「藤井システムの対策を書いてある本はありませんか」
本を読んで将棋の序盤研究をしようというのだから、けっこう熱心な人だなと思い嬉しくなったが、あいにく将棋の本は初心者向きの本数冊しか置いてなかったので、「残念ながら、置いてありません」と答えるしかなかった。
店があったのは、東横線の学芸大学駅から歩いて数分のところで、この駅周辺には碁会所はあるが将棋クラブはなかった。でも、意外と将棋を指す人もいるのかな、と思った。
将棋の本を売ることができたら、なんとなくうれしいだろうなと思ったが、将棋の本を売りに来る人はほとんどいなかった。リサイクル書店なので、お客さんが持ってきた本を売ることしかできない。将棋の本は買い取りがあまりなくて売ることができなかった。
経営状態が思わしくなくなってきたので、フランチャイズ本部に言って営業譲渡できるところを探してもらったところ、350万円で買ってくれるところが見つかった。
最初に買い取った時は600万円払ったので250万円損したが、これ以上経営を続ける自信はなかったので、仕方がないと思った。
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