心の中に住み着いた「将棋君」が暴れだす その13
元奨励会員の筒美が、将棋指しになれなかった自分の人生を振り返り思い出すことを書いています。
※ 最初から読みたい方は、心の中に住み着いた「将棋君」が暴れだすから読むことをおすすめします。
※ ひとつ前の話(退会(その1))→心の中に住み着いた「将棋君」が暴れだす その12
退会(その2)
1から順番に両親が話していたことを振り返る。
1の畳の上に座って指すことによる腰への影響については、「正座して指せば、かえって腰にいい。正座して指すことにはかなり慣れてきていて、かなり長い時間正座できるようになってきている」という意見を述べた。
父は「そんなことはあり得ないね、アーリエナイ、アーリエナイ、アーリエナイーー。絶対あぐらをかくに決まっている。あぐらは腰によくない。健康が一番基本的なことだ」と言っていた。とにかく「アーリエナイ、アーリエナイ」を繰り返し繰り返し何度も何度も連呼していた。これに関しては、双方ともに客観的なデータや理論があるわけでもなく、どちらが正しいか決着はつかなかった。
今考えてみると、足腰の不調は物理的原因ではなく心因性の不調である可能性が高い。親と下村先生の間に挟まれて綱引きの綱のようになっている状態のなんとも言えない居心地の悪さが決定的な原因だと思う。だから、父の言っていっていたことは間違っていると自分は思っているのだが、なかなか医学的・客観的に証明できることでもないので、水掛け論にならないように話し合っていくのが難しい論点である。足腰が不調になった時間的なタイミングから見て確かに父の意見のように考えたくなる面は存在し、「心因性」という視点がないと、他の説明方法がないことは確かである。
それと、当時S苑という名称の民間の医療機関に通って針灸及び体操で足腰を治療していて、病気の原因について質問したことがあったので、「そこの先生に質問したら、畳に座ることと足腰の不調は無関係だと言っていた」という趣旨のことも言ったが、父は「どうせ誘導尋問みたいなことをして言わせたんだろう」などと言っていた。
「そんなことはない」と反論したが取り合ってもらえなかった。中学生が医療の専門家に誘導尋問めいた質問の仕方をして自分の気にいる答えを言わせることができるというのは、あまり現実的ではないと思った。
2は、経済的な面に注目した反対理由である。
これについては、反論できなかった。プロ棋士の収入が他の職業と比べていいかわるいかということはなかなか判断するのが難しい。プロ棋士よりも収入が高い仕事もあれば低い仕事もあり、どんな職業と比べるのが妥当なのかということをどうやって判断するのかが難しい。父は、通産省(現経産省)のキャリア官僚だったので、それに比べていたのかもしれないが、もしそうならば、東大などの一流大学を出て上級公務員試験に受かり通産省に入れる人なんて普通はあんまりいないスーパーエリートなので、比べる対象が間違っている。でも、どういうふうに論議を進めていいのかわからなかったので、この論点については反論できなかった。
当時、米長先生が棋聖戦で有吉棋聖を破り、初タイトルを取った。父は、週刊誌で米長新棋聖(当時)の「私の年収は現在1千万だけど、この先減っていくでしょう」という発言を読んだことがあり、「年を取ると収入が減るのは寂しいじゃないか」と言っていた。
これについては、米長先生は「勝負の世界は厳しい」ということを言ってマスコミや世間から注目されたいから言っているだけで、本当に収入が減ると思っているわけではないだろうと思ったのだが、それをうまく父に伝えることはできず、「まったく米長先生は余計なことを言うなあ」と思った。週刊誌に出ている有名人のちょっとした発言をただただ素朴にそのまま取り上げて、他人の進路を決める大事な対話の中で言うというのは、本当に感心できないやり口だと思った。
結果的には、米長先生はこの後4冠王になったり名人になったりして、年収約1億という時期もあったようだ。
3は母が一番強調して言っていたことで印象が強く、その後も非常に心に残った。
母は、「プロ棋士は、自営業者で公務員とか会社員ではないので、年金がすごく安い」と年金を重視した発言をすごい勢いでまくしたてていて、「そんなすごい先のことを言われてもピンと来ない」と思ったが、たぶんそれも口に出して言わなかったと思う。
4も母が言っていた。
母は、奨励会の受験で当時将棋連盟会長だった二上先生の面接を受ける時に一緒に行ってくれたのだが、その時に将棋会館ができる前の旧将棋連盟の建物を見ていて、「あの建物を見るとあんまりお金がありそうじゃない」と言っていた。確かに、旧将棋連盟の建物は小さな旅館とか、少し大きめの民家のような建物だった。
でも、世の中には立派な新社屋を建設して倒産してしまう会社もあれば、ぼろい本社ビルを改築せずに儲かっていることを隠し、ライバルの市場参入を減らして繁栄している会社もある。
法人の建物がぼろいことを単純に経済状態と結びつけて考え、人が一生懸命やっていることをずるずる引きずり降ろすやり方はよくない。
5の社会的地位に関して父は、「社会的地位が低いね。低いネ。低いネ」と「低いネ」というフレーズを連呼していた。
「別に社会的地位なんて高くなくても自分が自己満足して仕事をしていればいいんじゃないか」という意見を言ったら、「自己満足、イーチバンいけないイーチバンイケナイ、自己満足、イーチバンいけないイーチバンイケナイ」と歌うような節をつけて言われてしまった。
自己満足という言葉を使ったのがいけなかったのかもしれないが、自分が満足できることを見つけるのはなかなか大変なことなので、基本的には、社会的地位よりも自分の価値観を優先することは間違っていないと思う。父の「イーチバンイケナイ」を連呼する様子を見て、他人の考えを理解しようとする姿勢に著しく欠ける雰囲気を感じ、いくら話をしてもだめだと思った。どんな単語を使っても、適当な理由をつけて否定しそうだった。
6の結婚に関しては、父は「坂田三吉妻コーハールー。ふおーいふおーいふおーい。昔だったらついてくる人もいるかもしれないけど今そんな人はいない。今そんな人はいなーい、いるわけヌアーイじゃないか、いるわけヌアーイじゃないか」と言っていて、その意見には母も賛成していた。
それに対して自分は、別に結婚がそんなに大事だとは思っていなかったのだけど、「どうして結婚が大切なんですか」なんていう質問はしにくくて、結局何も言わなかった。
結果的に見ると、その頃の奨励会で自分と同じくらいの棋力・才能だと見られていた人は、だいたい4段以上のちゃんとして棋士になり結婚していて、自分だけがなかなか定職につけず結婚もしていない。
現在(この原稿を書いているのは2018年頃)、将棋連盟にとって苦しい時代になってきたようだが、自分の20代から40代にかけては将棋連盟やプロ棋士にとっていい時代で、「順位戦のB級2組(全棋士の中では真ん中よりも少し上くらいの位置)に入っていればまずまずの暮らしができる」といわれていた。これはもちろん結果論ではあるのだが、「子どもの時代を見通す直観力には恐るべきものがある」という面もあると思う。もちろん、当時の社会常識などを振り返ってみると、当然のことながら両親に悪気があるわけではなかったということはわかるので、こうした結果論から判断して親を怨むということではない。当時において、息子が「将棋指しになりたい」と言った時に「それはいいところに目をつけた」なんていうことを言う親は未来予想の大天才で、そんな人はほとんどいなかっただろう。時代の流れを本当に正確に読める人はなかなかいるものではない。でも、どうもうまくいかなかったなあ、という思いはある。
7の頭がおかしくなるということに関し父は「金子太鼓ボンボンボン。気違いじゃないか。キーチガイ、キチガイ。金子太鼓ボンボンボン。気違いになっちゃうんだ。金子太鼓ボンボンボン」と言っていた。これは、金子金五郎という棋士が引退後日蓮宗の山寺の僧侶になり太鼓をたたきながら山を歩いていたことを指しているようだった。山寺の僧侶になるのとキチガイになるのとは明らかに違うような気がしていたのだが、金子先生の出家についてはよく知らなかったので、これについても特に意見は言わなかった。金子先生は『近代将棋』に「金子教室」という実戦解説・将棋評論を連載していて、自分はなかなか深く鋭い内容だと思っていた。もしかしたらキチガイなのかもしれないが、ああいう素晴らしいものを書ければキチガイでもいいじゃないかと考えていた。年をとっても全国の書店で販売される商業雑誌に自分の専門分野の文章を連載する仕事を続けているというのは、幸福なことではないかと思うのだけど、そのへんのことを父にうまく説明することはできなかった。
今だったら、「金子先生がキチガイになったということはどうしてわかったのですか」「どのような理由でキチガイだと考えているのですか」「太鼓をたたくのとキチガイになるのとどう関係があるんですか」などと聞きそうだが、当時はまだ中学生で質問をして論理的に詰めるという習慣がなく、こうした質問はできなかった。もっとも、聞いたからといってちゃんとした答が返ってくることはなかっただろう。
今、父が話していたことを考察するならば、やはり金子先生をキチガイにしたのは、父の視線だったのではないかと思う。金子先生がキチガイだというのは、父のような人の視線から見れば間違っているとは言えないだろうが、それがプロ棋士を目指している少年にとって何かの参考になるということは絶対にあり得ない話だ。
金子先生は、厳しい勝負の世界に身を置いたことで、人生の後半において、仏道の修行をするという本人に向いている幸福な道を選ぶことができたのではないだろうか。
8に関して父は、当時自分が部屋に貼っていた将棋雑誌の切り抜きのプロ棋士の写真が少なくなっていることを指摘して、「だんだん寂しくなってきたじゃないか。そろそろいいだろう」と言っていた。
それに対して、「もっとちゃんと「今は奨励会に入り、プロ棋士には直接会えるようになったので、棋士の写真を部屋に貼る必要はあまりなくなりました」と答えた方がよかったかもしれない。
このエピソードからなんとなく推測できることは、父は、自分が奨励会に入っても、そのうちあんまり勝てないので嫌になったり、将棋に飽きてしまったりして、そんなに長続きしないだろうと考えていた。ということである。
9について、父は「大山・升田、ふーぬぼれんな、ふーぬれんな、ふーぬぼれんーな。大山・升田けーよ。ふーぬぼれんな、ふーぬぼれんな、大山・舛田けーよ、ふーぬぼれんな、ふーぬぼれんな」と「ふーぬぼれんな」を連呼していた。「ふーぬぼれんな」というのは「うぬぼれんな」という意味らしかった。
どういうやり方で自分の将棋の棋力や才能を把握したのかがまったく疑問だったし、それに、確かに大山先生や升田先生みたいな大棋士になるのは不可能かもしれないが、別にそんな大棋士にならなくても日々満足して楽しく生活している棋士は多いようだった。大山・升田クラスの大棋士になれないからと言ってプロ棋士になるのをあきらめた方がいいというのは極論だと思い「そんなに大山や升田みたいにならなくても、6段くらいになれればいいじゃないか」と言った。そうしたら、今度は母が「6段じゃ許さないからね。社長とかそういうものにならないと許さないからね」と言った。
それに対して、今だったら、「そうしたら、商社とメーカーなどの一般企業に入るのはその会社の社長になる才能なんかないから許されないということになり、政治家になるのは総理大臣になれないから許されないということになり、中央官庁に入るのは次官になれないから許されないということになり、地方公務員になるのは知事とか助役になれないから許されないということになり、結局お母さんはぼくがニートとかフリーターになる以外はすべて許さないんですね。そうなんですね。どうしてお前たちは、自分が前向きに一生懸命やっていることを見つけると、ずるずる足を引っ張って引きずりおろそうとすることばかり企むんだよ。いつもいつも箸にも棒にもかからない下らない理屈を考えだしては、こっちが一生けん命頑張っているものを不戦敗に追い込もうとするんだよ。学校の友だちの親たちはそんな卑劣な人間じゃない。どうしてお前たちだけは例外的にそんなに心が醜いんだ。心が腐りきった化け物みたいな人間なんだ。どうしてだよ。どうしてお前たちだけは他の子どもの親と違うんだよ。自分の息子の夢をぶち壊すのがそんなに面白しれえのか。そんなに面しれえのかよ。えー。自分の子どもの希望を取り上げるのがそんなに好きなのか。そんなに好きなのかよ。自分の子どもの居場所を取り上げるのがそんなに面白れえのかよ。まだ中学生なのに終わった人間になるのを見るのがそんなに楽しいのかよ。まだ、中学生なのに本当の人生が終わってしまい生ける屍になるところを見るのがそんなにおもしれえのかよ。どうしてお前たちはこんなに醜い人間の皮をかぶった化け物なんだ。おい、どうしてなんだよ、お前たち。何か言ってみろ。人間の皮をかぶったバケモノー。人間の皮をかぶったバケモノー。こんな化け物の家族なのが本当に嫌だ。本当に嫌だと言っているんだよ。聞こえてるのか、人間の皮をかぶったバケモノー」と言って狂ったようにヒステリックに怒鳴り上げる方法を選ぶだろう。
と書いてしまったけど、もちろんこれらが一面的な物の見方であることはわかっているつもりだし、実際にこんなことは言えないかもしれない。読み直してみるとずいぶん過激なことが書いてあるのだが、心情的にはわかるような気がする。それと、少し距離をとって見てみると、自分の脳や心に中にはこんなことを考える部分があるのだということがわかり、「書くことで自己発見できる」ということは本当なんだなと思う。現在の自分の方が持っている言葉の数は多いので、その場に今の自分がいたとしたら、なにかこうしたことをうまく伝える表現方法を見つけられるだろうか。そこは、実際にそういう場面に出会わないとわからないのかもしれないのだが、うまくいく方法というのはないのかもしれない。
その後の両親のつき合いを振り返ってみると、「相当激烈な内容を激烈にわめきちらさないとわからない」というような生やさしいものではなく、「相当激烈な内容を徹底的に激烈にわめきちらしたとしてもわからないことに変わりはないが、わからないなりに息子が自分の理解できない考え方をしているということはなんとかわかるかもしれない」、というレベルの本当ににぶくて程度が低い人たちなのである。というよりは、別に自分と親との関係に限らず、違う人間同士が相互に理解し合うこと自体かなり難しいことなのだろう。そういう一般論になるとさらにまたわけがわからなくなるが、自分の親に関しては要するに自分の息子が、自分とは違う資質・能力を持った人間だということがまったくわかっていなかったようだ。これに関しては、現在わりあい冷静に考えてみても当たっていると思う。でも、親子でなくてもわからないのが当然なのかもしれないのだが。
また、話し合いの仕方にしても、最初から答えが決まっている場合が多く、お互いの話すことをよく聞いて、両者の意見をよく比較検討して相互的な関係を保つことが大切だとは思っていないようだった。
まあ、世の中の親子関係は多かれ少なかれみんな似たようなものなのかもしれないが、それにしても自分の両親は極端なような気がした。とにかく、あり得ないような箸にも棒にもかからないものすごい無知無能なのに、その無知無能の自覚というのがまったくない。あの場面は、言葉が汚くなったとしても、親に対して言うべきことではないことを言ったとして、怒られても、殴られても、蹴とばされても、殺されても、悲しませても、呆れられても、泣かせても仕方がないから、とにかく多少なりとも両親に通じるように言わないと駄目な場面だった。そのためには、内容的に強い表現で言うことや幼稚園児でもわかるような非常に単純化された表現を使うことも大事だが、何よりも狂ったようにヒステリックにわめき散らすことが大切だった。なぜならば、冷静にまともな内容を言って通じる相手ではなかったからである。
黙っていたのでは何も伝わらないが、たとえ言うべきことを言ったとしても、伝わらない言葉や言い方で言うのは黙っているのに等しい。
だが、当時の自分はなかなかそうした自己主張ができず、黙ってしまうことが多かった。
それと、もう一つ現在の自分だったら言いそうなことがある。
「立身出世主義とか学歴原理主義というのは、近代日本などの限られた地域の限られた場所にしかない特殊なもので、もちろんそれはそれで必要性があって存在するものだけど、たとえ近代日本のような場所であったとしても、すべての人を幸福にするような万能の考え方ではない」
こんなことを言うかもしれない。こちらの方が知的でいいところもあるだろうか。
もっとも中学生がこういう発言をしたら、「どうせ、誰かから聞いたことをそのまま言ってるんだろう」なんて言われ鼻で笑われるだけでなんにもならないかもしれないのだが。
ところで、ここまで書いてきて、突然永井荷風の書いた『隅田川』という小説を想い出した。
『隅田川』に登場する母親と息子は、進路希望が異なる。母は学校の勉強をしっかりやって欲しい。息子は学校を辞めて役者になりたい。そこに登場するのが親戚のおじさんである。
母と息子の双方から、「うまく説得してください」ということを言われ、「さて、どっちに味方したものか」と悩んでしまう。
昔からこういう問題はあったことがわかるが、自分の場合と違うのは親戚の叔父さんが主要なプレーヤーとして登場してくることである。
関係者が増えれば、それだけ人間関係が複雑化してわけがわからなくなる面がなきにしもあらずだが、自分の場合でも、『隅田川』に出てくる親戚の叔父さんみたいな人がいたら少し違っていたのかなとも思う。
今、両親が言っていたことをいろいろと思い起こしてみると、次から次へと非論理的で脈絡のないことを言い続けていたという印象があり、その印象は冷静に考えてみてもそれなりに正しいと思う。父も母もそれなりに何か言いたいことはあったのだと思うが、どうも中学生にもわかるように伝えようとする工夫に欠けていた。例えば母は年金のことばかり何度も何度も繰り返しヒステリックに喚き散らして強調していたが、中学生に年金のことを言ってもあまりピンとこないのではないか。
もちろん、自分が考え方の違う相手に論理的な相手に伝わるような話し方ができるかと言えば、今でも全然自信がない。自分の親なので、甘えて相手に高い能力や理解を求めている面は確かにあるだろう。人間同士理解し合うというのは難しいことなのだが、この原稿を書いている今でもそういう面はありそうだ。でも、親子なので致し方のないことなのではないだろうか。
今、第三者的に考えると、「学歴幻想」と「将棋幻想」という違う幻想を持っていたのだから、どこまで行ってもまともな話ができなかったのは当然である。人間にとって最も大切なものはそれぞれが心に抱いている幻想である」という言葉は真実だと思う。
時々、子どもが親を殺害する事件が新聞やテレビなどで報道されるのを目にする。
自分も自分自身の体験・情念・感覚等々に照らし合わせてみるならば、そういう事件が起きるのは当然のことだと思うのだが、そうした事件を起こす前に、激烈でもヒステリックでも気違いじみていてもいいから、なんとか親に対して少しでも何かが通じるような言葉を子どもは発したのだろうか。言葉を発したにもかかわらずそうした事件が起きたのだろうか。それとも言葉を発することができなかったために事件が起きたのか。
週刊誌などで親殺しの事件があったことを知ると、そこが気になる。
10も父が言っていたことである。これ自体は正しい面もあるが、仕事ではなく趣味として囲碁や将棋をやることに関することなので、奨励会のこととは直接関係がないと思い、全然参考にしなかった。
今考えてみても、レッスンプロの需要という点を考慮すればまったく関連がないとは言い切れないが、あの時点における判断材料にはならない要素だと思う。
※ 次の話→心の中に住み着いた「将棋君」が暴れだす その14