心の中に住み着いた「将棋君」が暴れだす その16
元奨励会員の筒美が、将棋指しになれなかった自分の人生を振り返り思い出すことを書いています。
※ 最初から読みたい方は、心の中に住み着いた「将棋君」が暴れだすから読むことをおすすめします。
※ ひとつ前の話→心の中に住み着いた「将棋君」が暴れだす その15
下村先生の態度
下村先生に会いにI将棋クラブに行った。
I将棋クラブに行くと早々、下村先生は「マーちゃん奨励会は辞めろ。奨励会に入ったせいで気を使って体を悪くしたんじゃあ、ご両親に申し訳ないからな」と言った。
もう少し自分の意見も聞いて、どうすればいいか一緒に考えてもらいたかったので、これを聞いた時は悲しかった。将棋をやると気を使うから腰痛になるというのは、心因性の原因に着目するという点ではいいところもあるが、賛成できなかった。確かに将棋に勝つために根をつめて真剣に勉強するのは大変だったが、考える喜び・工夫する楽しさの方が優っていた。でも、それに代わるこれという原因を見つけることもできなかった。今だったら、「自分をめぐる大人たちの軋轢が原因で心身に変調をきたしたのではないか」という見方を思いつくが、当時はそういう見方はできなかった。
もし、できたとしても、中学生がそういう見方うまく生かして、周囲の考え方を調整し軋轢を解消したり緩和したりすることは難しかっただろう。少なくとも当時の自分には無理だったと思う。
下村先生の口調を聞くと、どうも両親と下村先生が電話で話すか直接会って話すかして、もう結論は決まっているように思えた。どうも、自分がいないところで大人だけが勝手に話し合って短絡的に結論を出しているようで悲しかった。それは、今考えてみてももっともだと思う。
先生の奥さんは、「マーちゃん奨励会は辞めるのね」と言っていた。それは、わりあい淡々とした言い方だったが、どうも「本当にそれでいいのかしら」と思っている雰囲気があった。でも、それによって物事が変わったわけではない。
辞めるのは嫌だったが、どうも周囲の様子からして何をどうやったらいいのかわからなかった。奨励会にはその後行くことができずに、数か月間休会扱いになっていた。
家では、奨励会に残れた時に備えて一人で将棋の研究をしていた。すると、「パチパチ」という駒の音がうるさいと母から叱られた。
池尻将棋クラブにも行っていたが、もう下村先生もあまり将棋を指してくれなくなり、下村先生が懸賞金をつけてアマチュア強豪と指すこともなくなった。でも、惰性でしばらく通っていた。
下村先生からは、K先生に退会する旨を記した手紙を書くように言われ、周囲の状況から考えて、もう、奨励会に残るのは無理だと思った。奨励会に入るときは下村先生の方でK先生に話してくれたのに、退会する時は自分で手紙を書かなければいけないというのも、どうも釈然としなかったが、自分が言われたとおりにしないと周囲の大人たちがうまくいかなくなり、家庭の雰囲気が悪くなって妹や弟がかなり嫌な思いをしそうだったので、言われた通り手紙を書いた。
「将棋盤のある場所に戻れないか」「将棋盤のない場所にも自分の居場所がないか」と試行錯誤を繰り返す旅がこの時から始まった。
I将棋クラブではあまり歓迎されていないようなので、中3の夏休み頃にはいかなくなった。
奨励会を辞めてみると、もう根を詰めて将棋に取り組まなくてもいいんだという妙な解放感があったが、と同時に、夢・希望・目標・居場所・生きがい・挑戦・冒険・感動等を失った。自分がどこに立っていて、どちらに向かって歩けばいいのか、何をしていいのかが、わからなくなってしまった。
結局、奨励会が自分にとっての父親だったのだと思う。
自分が立っている場所を教えてくれる。自分がいる世界の意味を教えてくれる。自分がどこに向かって歩いたらいいのかを教えてくれる。自分が何をしたらいいのか教えてくれる。
それが奨励会だった。
自分の周囲の世界が変わったような気がしたが、具体的にどこがどうかわったのかが、どうもよくわからなかった。相変わらず、天気がよければ昼間は青空が見え、夕方は夕日や夕焼けが見え、夜は月や星空が見え、なんにもかわっていない。何かが変わったはずなのだが。
中学に入ってからは、休みの日や放課後はI将棋クラブに行ってばかりいてあまり親しい友だちもいなかったし、クラブ活動にも入っていなくて、学校にもあまりいい居場所がなかった。
何をやったらいいのかわからないので、仕方なく、本屋に行ってお小遣いをはたいて文庫本を買い込んだり図書館で借りたりして、本ばかり読んでいた。活字の中に逃げ込む以外に方法が浮かばなかったのである。どんな本を読んだかすべて覚えているわけではないが、空飛ぶ円盤の本や太宰治・城山三郎の小説などが印象に残っている。
夏休み中は、何もやることがなく毎日家で何もしないで無為に過ごしていて、母から「何かやったら」みたいなこと言われたが、何をやっていいかわからなかった。
自分が自分だと思えない。今が今だと思えない。ここがここだと思えない。自分の周囲のものすべてが、平面的・非現実的なものに見える。自分の周囲のものがすべてグロテスクで間違ったもののように思える。
奨励会を辞めて、いったい自分は何を目指してどこに進んだらいいのだろうか?
何も考えが浮かばなかった。
何を手掛かりにどうやって考えればいいのかもわからなかった。
学校の友だちに「何を目指してどこに進んだらいいか?」なんて考えている人はいなくて、みな日々の勉強や部活などの結果に一喜一憂して暮らしているという感じに見えたが、自分は、今まで名人目指してひたすら前向きに素朴に真剣に将棋に取り組んできたつもりだったので、奨励会を辞めたのならば将棋以外で何か将来を目指して取り組むものがないと不安だった。
今まであっけらかんと何の疑いも持たず、ひたすら将棋が強くなることを目標に前向きに生きていたのが、突然負け犬として廃墟の前に立たされてしまった。というのが、当時の比較的表面的にあっさりと考えた時の認識だった。と言っても、果たして深く考えてそれとは違った認識にいたるという可能性があったのだろうか。
この時、失くしたものや、得たものは何だったのだろうか。
何の疑いもたず将棋が強くなることだけが人生の目標だと信じてひたすら前向きに素朴に将棋の勉強をする自分は、確かにいなくなったようにも見えた。が、本当にいなくなったのだろうか。最初からそんな単純な人はいなかったと考えることはできないか。逆に、心の中のどこかに生きていると考えることはできないか。
人生の目標なんて持ったところで、結局親につぶされるんだ。真面目に一所懸命やっていることを親に知られると、結局親によってずるずる引きずりおろされる。あんなひどい化け物みたいな親がいたら何を努力したって永遠に報われない。何事も最初から諦めて何もしないで抜け殻のようにふらふらと生きるのが一番。そんなふうにひたすら無為に生きようとする自分。本当にそんな自分がその時に生まれたのか。でも、そんなにはっきりとその時に突然意図的に無為に生きることを志向するようになったというのは、あまりいにも明快過ぎる。その頃の心情とは少しずれているのではないか。もしかしたら前々からそういう自分もいたのではないか。
それと、意外と冷静に親には親の考え方や感性があって、それに合わない努力だと成果を生まないということなんだと大人ぶったろくでもない分析をしていた自分もいそうだった。でも親に対する不信感は、確かにその時心の中にはっきりと姿をあらわした。
でも、それは本当にその前には存在しなかったのだろうか。それとも、どんな人間にもある親に対する不信感や虚無的な考え方などが、たまたまその時に強く意識されるようになったに過ぎないのだろうか。
自分の心の中身を試験管の中の液体の成分分析みたいに正確に測ることはできないので、結局それらの問いに正確に答えることはできない。が、そのわけのわからなさを単純な言葉に置き換えるならば、だいたいこんなふうな具合だったと言えるのかもしれない。
奨励会を辞めたばかりの中学3年の1学期・夏休みの頃は、奇妙な解放感や虚無感や無力感などが入り混じったどうにも一筋縄ではいかない不思議な心境で過ごしていた。
人によっては、こういう心境のことを中2病と名づけるかもしれない。あるいは「父親の不在」「神の不在」とか「父親の喪失」といった言葉をあてはめる人もいるかもしれない。
「その時に何を失い、何を得たのか」に答えることは今でも難しい。
※ 次の話→心の中に住み着いた「将棋君」が暴れだす その17
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