心の中に住み着いた「将棋君」が暴れだす その14

 元奨励会員の筒美が、将棋指しになれなかった自分の人生を振り返り思い出すことを書いています。
※ 最初から読みたい方は、心の中に住み着いた「将棋君」が暴れだすから読むことをおすすめします。 
※ ひとつ前の話(退会(その2))→心の中に住み着いた「将棋君」が暴れだす その13

 退会(その3)
 11については、そんなに簡単に結論が出せるようなことではないと思っていたし、今でもそう思う。これとは逆の見方もできるし、本人の適性や価値観によるのではないだろうか。
 当時の将棋界には「将棋指しは親の死に目に会えない」という言葉が存在し、暗くて貧しいイメージがあって有望な少年強豪でも奨励会に入らない人が多かった。そのため、羽生世代などに比べると同年代のプロ棋士の層が薄いようで、ある意味ではねらい目だったのかもしれない。
 普通に学校の勉強を頑張って一流企業や公務員などになるのは、多くの人から有利な道だと信じられているので、多くの優秀な人間が目指すところであり、親も薦めることが多い。そのため、たくさんの有能な人間が集まり激しい争いが繰り広げられる大変な世界になっている。みんなが同じ方向にむかって競争を繰り広げ、競争率の高いところに大勢の人が殺到するというのは、日本の近代社会全体がそういう構造をもっていてそれ以外の選択肢が見えにくくなってしまっているのだが、それが本当にいいことなのかどうかは、一概に言えないと思う。
 12の共産党のことなのだけど、確かに奨励会の話題に関して、父は共産党を辞めた人のことを話してくれたが、それがどうして奨励会を退会した方がいい理由になるのかわからなかった。
 新聞記者を目指すとか、政治家を目指すとかいったことならば、奨励会に入るのと比較することができるが、共産党に入るというは職種を決めるということとは違うので、比較対象にならないのではないだろうか。とその時は思った。
 でも現在は、共産党に入るのもプロの共産党員になるというのであれば、職業選択の一種だと思う。赤旗の記者も地方議員も党の職員も、プロ共産党員という職業の中における配属先で、赤旗の記者が選挙に出たり、選挙に落ちた共産党の元議員が赤旗の記者とか党の職員になったりといったことは現に行われている。だから、中学生の頃はまだプロ共産党の組織の仕組みについてよく知らなかったと言えるだろう。
 だが、共産党に入るというのは、簡単に言えば、何か政治的な理想を持って、日本を変えていこうと考えて入るというのが建前である。一方、奨励会に入るのは、「将棋が好きだから」「適性がありそうだから」という理由の人が多いだろう。
 動機が違うので、あまり比較しても意味がないと思った。
 その点は現在でも正しいと思う。
 共産党のことを言われた時の自分は、あまり上記のようなことをうまく話すことができず、黙っていた。
 父がどうして突然共産党のことを言いだしたのだろうか。父自身に共産党に期待する気持ちがあったのかもしれない。父は、その頃通産省(現経済産業省)の官僚だったので、大臣・政務次官などの所属組織の一番上の方の人たちはみんな自民党の議員さんたちなのだが、それにもかかわらず赤旗をよく読んでいた。
 13も父が言っていたことで、仕事がうまくいっていて出世している人は高校の同窓会によく出てくるが、出世していない人は出てこない。やはり、出世した方がいい。というようなことを言いたかったようだ。将棋指しだって、うまくいけば一流棋士になれるかもしれないし、別に同窓会に出るのがそんなにいいこととも思わなかったので、この発言は、全然参考にしなかった。また、こういう父の発言に対してどういう意見や感想を述べたらいいかわからず、これに対し何も言わなかった
 14も父が言っていたことである。
 「将棋の棋士っていうのは、あんまり仕事として成り立っていないものなんじゃないか」という言い方だった。これは、当時のプロ棋士という仕事を知らない一般の人の意見としてはわりあいありがちな見方であり、常識的な考え方だと思う。この頃、プロ棋士が結婚しようとして、相手の親から「将棋が強いことはわかったけど、それで仕事は何をやっているんですか」と聞かれたというエピソードがあり、それは実話らしい。
 「実際にプロ棋士としてちゃんと生活している人がたくさんいるんだから、仕事だとみていいと思う」と答えたところ、母から「平和な時代だったらいいけど、戦争になったら、娯楽関係なんかはすぐに駄目になる」と言われた。
 それに対しては「そもそも戦争になったら、あらゆる仕事が成り立たなくなるんだから、起きるか起きないわからない戦争に注目して、それを職業選択の時に考慮にいれるのはおかしい」「戦争に行って兵士として死ぬのに、平時にどんな職業についていたって死ぬことに変わりはないじゃないか」という感じのことを思いついてはいたのだが、どうも親を相手にうまく話すことができなかった。今振り返ってみると、戦争を経験した世代の言うことが必ず正しいとは言えないと思う。経験があるがゆえに冷静に考えられなくなる場合もあるのではないか。
 15は、母が言っていたことである。「私たち人生経験のある大人から見ると、もっと世間を広く見て考えた方がいいと思う」という言い方だった。
 これに対しては、現在だったら「奨励会に行きながら高校にもちゃんと行けば、他の高校生に比べてそんなに視野が狭くなることはないし、広く世間を見て、将棋のプロ棋士がいいという結論になった時、奨励会を辞めてしまって将棋が強くなっていなかったら手遅れになる。そもそも職業というものは、まだ人生経験の浅い若い時に選択しなければならないものなので、広くいろいろな経験を積んで世間を見て、広い視野から職業を選べる人というのは、ほとんどいないのではないか」といった反論をすることができるが、当時はまだ中学生でそんなことをきちんと話す能力はなかった。
 なんとなく、「奨励会をやめてしまって将棋が強くなれなかったら、後でプロ棋士になりたかったと思っても手遅れじゃないか」と言った感じのことは言ったかもしれないが、それは無視されたような気がする。
 現在この意見について振り返ってみると、現在の自分は当時の両親よりは広く世間を見ているつもりなのだが、当時の両親は、金と出世・社会的地位のことしか考えられないきわめて了見が狭い狂信的なものの見方をしている人たちで、あまり他人に対して「広く世間を見て」なんていう資格のない人間だったと思う。まあ、「了見が狭い狂信的なものの見方をしている」というのは言い過ぎで、「取り替えたり適応させたりできない骨肉と化した物の見方、世界観にすがりついている」とでも言った方が上品でいいのかもしれないが、とにかく一面的で柔軟性に欠けていたことは確かだ。
 16も母が言っていたことである。
 それに対して「プロを目指して頑張っている仲間がたくさんいるし、最初からプロを目指すのでなければプロにはなれない」ということを話したところ、「そんなにたくさんいるんだったら、その中で競争しなければならないからうまくいくわけがない」と母は反論していた。
 今だったら、「別に学校の勉強だってみんな試験でいい点を取ろうしていて競争はあるし、公務員や一流企業を目指すのでも競争はあり、競争がまったくない現実離れした異常に有利な世界というものを紹介してくれるのでなければ今の意見は成り立たない」とでも言いそうだが、当時はそんな言い方を思いつく能力がなく、何も言えなかった。
 17は、まさに当時の学歴尊重主義、あるいは学歴偏重主義とか学歴原理主義を反映している。現代のような学歴社会の崩壊は、その頃はあまり予想されていなかったようだ。当時の自分は、一流大学と言われてもピンと来なかったが、一方「学校の勉強ができたって将棋が強くなれなければ意味がない」「大学に行ったってしょうがない」ということを筋道立てて言えるわけでもなく、反論できなかった。
 18は父が言っていたことで、今現在思い出そうとしてみた場合には最後の方で思い浮かんだのだが、当時はかなり印象的だった。やはり、最後の方で思い出すというのは、思い出したくないことだからなのだろうか。
 「ひゅっひゅっひゅって鎌倉の海に行って、女と一緒に自殺するのと同じじゃないか。えっキミー」と言っていた。
 どうしてそういう比喩が当てはまるのかよくわからず、「女と将棋は違うと思います」と言うと「それは違う。あたりまえだ」と母が言い、父も母も馬鹿にしたようにへらへらと笑っていて、なんだか人を馬鹿にすることしかできない程度の低い人たちだなと思った。
 それと、「どうしてそういう比喩があてはまるんですか」と言うと「比喩がわかりやすくていいんだ。キリストだって比喩をたくさん使っている、エッ君い」と父が言った。
 この場合に、どうしてそういう比喩があてはまる文脈なのか?ということを聞いたつもりだったのだが、それには答えていない。キリストの名前さえ出せばそれで他人が納得するとでも思っているのだろう。本当にはしにも棒にもかからないレベルが低い人たちだ、と思った。
 自分はその頃、両親が薦めるように学校の勉強を真面目にやっていい大学に行くという方向について、みんながみんなそちらに向かって盲目的に進んでいる雰囲気で、大量のネズミが海に向かって暴走して集団自殺するようなイメージを持っていた。
 どうも感性の違いや世代の違いが根本にあり、どちらが正しいのかうまく分析・判断してお互いにその結論に従って考え方を修正する方法というのが見つからなかった。もっとも、最初からそんな方法はなかったのかもしれない。
 お互いにイメージが先行していて、言葉や数式・論理記号などを使って考え、出てきた結論を持ち寄ってディスカッションするという流れとは、最初から程遠い雰囲気だった。
 その頃は、受験地獄とか詰め込み教育とか教育ママという言葉が流行っていて、特に10代の子どもを持つ親が集団睡眠か集団ヒステリーになっているような状態だったと思う。「赤信号、みんなで渡れば怖くない」という格言があてはまったのではないか。結果的に見ると、東大を出てもホームレスになる人がいる一方、将棋で4段以上の将棋連盟正会員になった人はたいていそれで生活できている。また大蔵省(現在の財務省と金融庁の両方の仕事を担当している役所)の官僚は自殺者がけっこういたが、プロ棋士で自殺した人はいない。これらはやや極端で象徴的な例かもしれないが、両親の言っていたことが一方的に正しいとは言えず、むしろかなり偏った考え方なのではないだろうか。今考えてみると、親の「学歴・出世原理主義」と自分の「将棋・奨励会原理主義」は、どちらも時代や場所に縛られた幻想であり、どちらが正しいということもないのだが、当時はお互いに自分の方が圧倒的に正しいと真剣に考えていた。 
 19の「~いい経験だったと考えればよい」という言い方だが、これも父が言っていたことである。これを言われたときは非常に嫌な気分になった。ついつい言ってしまいがちな便利な言葉なので、自分も大人になって高校の教員をしていた時などは、逆の立場で言っていたかもしれないのだが、言われた方にとっては非常に嫌な言葉である。
 いい経験さえできればそれでいいのか。過去にいい経験ができれば、現在や未来の居場所がなくなっても、夢や希望がなくなっても、目標がなくなっても生きがいがなくなってもいいのか。大して戦ってもいないのにみじめな負け犬になってもいいのか。まだ中学生なのに「終わってしまった人間」になってもいいのか。本当に嫌な言い方だった。自分の親はどうしてこういう嫌な言い方をするのが得意なのだろうか。友だちの親や学校の先生とは全然違う、他人に嫌な思いをさせることが異常に上手い人たちだな、と思った。
 20はなぜか一番最後に思い出した。母が言っていたことで、母は「身についた学問や教養は決して邪魔にはならないから」と言っていた。「学問や教養は若いうちでないと身につかない」という考え方である。17と似ているが、17の方は学歴のことを重視し、こちらは学問や教養を重視しているので違いはあると思う。それに対して、「将棋だって若いうちにやらないと強くなれない」ということは知っていたし、学校の勉強なんて別に固有名詞を覚えたりちょっとした概念を身に着けたりするだけで、大人になったってできそうだと思っていた。でも、「言っても無駄だろう」と思ってしまい言えなかった。「~無駄だろう」というのはある意味で正しい判断で、言ってもくだらない屁理屈を言われて理不尽に否定されたに違いない。だが、それでも自分の考え方を親に知らせることができたので、長い目で見れば言わないよりは言った方がよかったかもしれない。
 中学や高校でやる勉強はたいてい大人になっても十分学べるというのは、今考えてみてもそれなりに正しい。一方、将棋は一手一手自分で考え判断して次の一手を選ばなければならないので、基礎的・汎用的な思考力・判断力・洞察力が学校の勉強よりも身につくし、確かに将棋は若いうちに集中して勉強しないと強くならない。当時はまだ幅広い知識というものが重視され、基礎的汎用的な思考力・判断力・洞察力という考え方がそれほど認められていなくて、今とは教育に対する考え方が違っていた。
 それと、「母から教養という言葉を言われた」ということがどうにも嫌だった。母は名門と呼ばれる女子中学・高校・短大の英文科を出ているのだが、英文学のどの作品が好きだとかどの作家が好きだといった話はまったくしたことがなく、叔母さんが買ってきたとろろ芋を本棚に向かって投げつけるような教養のかけらもない野蛮な行動をとる人物で、「学校にいったって教養なんて身につかない」ということを身をもって示している人物だったからである。
 他方、自分の方から両親に対して言ったことであるが「とにかく、一生懸命頑張るから、将棋をやらせて下さい。奨励会にいかせて下さい」という言い方だった。
 それに対しては、両親ともふんふんとバカにしたような態度だったので思わず、「命がけで頑張ります」と言ってしまった。これに対して父は、この言葉を待っていたかのように、
 早速「命がけー、ヤクザ的ヤクザ的、ヤアクザテキー。命がけなんてヤクザ的じゃないかよ。エッ君イ。ヤクザ的、ヤクザテキイ」という「ヤクザ的」の連呼を始めた。
 「エッ君イ」という嫌らしい言葉遣いは父の得意技のようなものだった。この言い方が立場だけに頼って部下に対し威張り腐っていたぶるような雰囲気でどうも嫌だった。母は、「お父さんは、部下に人望がないために出世できない」ということをたまに話していたが、「エッ君イ」の言い方を聞いて、確かにそうなのかもしれないと思った。
 自分はその時、こういう言い方をする人に対して何を言っても無駄だと思い黙ってしまった。
 それと、「奨励会以外、自分の居場所がないので、どうか奨励会に行かせてください」と本当は言いたかったのだが、どうも言えなかった。
 実際にそれを言うと、父から「家庭だって学校だって君の居場所じゃないか、エッ君ィ」と言われた時に困ってしまっただろう。
 まさか、「家庭は、両親が喧嘩ばっかりして、ぼくたちはひたすらじっと耐えているだけで、居心地がよくありません。学校も、『足が短い』『短足』『顔が変』などと肉体的な欠陥をからかわれるだけで、面白くありません。本当に奨励会とI将棋クラブしか居場所がありません。奨励会を辞めたら、I将棋クラブでも期待の奨励会員ではなくなった自分の居場所ではなくなりそうだし、奨励会を辞めたら、自分らしい自分がいられる場所がまったくなくなってしまいます。上るべき山がなくなって何をしたらいいのかわからなくなってしまいます」などと正直に言ったらまた怒られそうなので、やはり非常に言いづらく、言うことはできなかった。本当は正直に話した方がよかったかもしれないが、両親を目の前にすると言えなかった。
 それから、居場所・奨励会ということではなく、将棋について話す方法もあった。「自分は、勉強もできないし、スポーツも苦手だし、将棋しかすがりつくものがないんです。どうか、将棋をやらせてください」という言い方だ。これが当時の自分の頭の中で考えていたことの相当大きな部分だった。ただし、これを言ったって父のことだから「努力して勉強ができるようになればいいじゃないか。努力してスポーツができるようになればいいじゃないか。努力もしないで偉そうなことばかり言うな」みたいな先天的な資質を無視した精神論を言われるだけだったと思う。これも言いたかったが、実際には言わなかった。言わないよりは言った方がよかったような気もするがそれで何かが変わったわけではなさそうだ。でも、変わらなくても言った方がよかった。当時の両親、特に父は、息子と自分の資質・能力が違うということがあまりよく理解できていないようだったので、こういうことを言っておくことがその後の親子の間のなんらかの相互理解につながった可能性も絶対にないとは言えない。
 いろいろと話をしたことはしたのだが、お互いに自分の考えを主張するだけであまり有意義な話し合いにならなかった。お互いと書いたが、実際には両親が話している時間が圧倒的に長かったと思う。
 今だったら自分は、お互いの主張や考え方を紙に書いてまとめ、どのような方法論でそれらを比較検討し、どうしたら対話が成立するかを考えると思うが、それでうまくいったかどうかは疑問である。不確実な未来予測にかかわることなので、論理的に解決される見込みはなかったと思う。でも、やらないよりはやった方が、親子で見えている世界がどういうふうに違うのかもしかしたら多少は垣間見ることができたかもしれない。でも、そういうことは思いつかなかったし、もし思いついたとしても中学生が自分の親に対してそんな方法をとるのは難しいことだった。 
 一番大切なのは、お互いが、「学歴幻想」と「将棋幻想」という異なる幻想を持っていることをよく認め合い、相対化して考えることだった。お互いに、自己を「狂信的な学歴原理主義者」「狂信的な将棋原理主義者」と認めて、どちらの原理主義が時代・状況・個人の資質に合っているか考えるべきだった。未来のことなど誰もわからないのだから本当は双方ともに幻想にとらわれた原理主義者なのだが、両者ともに自分のもつ幻想を幻想ではなく物のようにそこに実在する事実だと思っていて、相手の頭の中にあるものだけを幻想と考えていたので、それは無理な話だった。要するに、「○○原理主義」「○○至上主義」「○○神話信奉者」といった似たような仕組みの考え方はしていたのだが、○○の部分に「学歴」と「将棋」という決定的な違いがあった。同じ宗教とかイデオロギー(キリスト教とかマルクス主義など)の中での宗派あるいはイデオロギー争いが深刻な対立になりやすいのと似ていたと思う。
 両親の話し方は、かなりヒステリックで時々激烈な調子になり、妹や弟はそれにおびえている様子だったので、これは自分があきらめる以外に家庭の平和を取り戻す方法はないかな。と思ったが、母が、「1学期の中間試験でいい点数を取ったら考え直してもいい」と言っていたので、どうも嘘くさいが一縷の望みを託して泥船に乗ってみることにした。
 なお、この頃心の中で勢力をふるっていた「奨励会に戻りたい。奨励会を続けたかった」という思いから誕生した「人格」を「元奨くん」と名づける。「元奨くん」は、中2病の時期に誕生したので、「将棋くん」よりも扱いづらく手ごわい相手であることが後でわかる。

※ 次の話→心の中に住み着いた「将棋君」が暴れだす その15

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