心の中に住み着いた「将棋君」が暴れだす その6
※ ひとつ前の話→心の中に住み着いた「将棋君」が暴れだす その5
※ 最初から読みたい方は、心の中に住み着いた「将棋君」が暴れだすから読むことをおすすめします。
中学受験のため「将棋くん」は休眠中
I将棋クラブには5年生の3月から6年の5月頃まで、例の友人2人と一緒に土曜日曜とか春休みなどに通っていた。
自分は、日曜日の午前中は中学受験のための進学塾のテストを受けていて、家に戻って昼食を食べるとすぐに家を出てI将棋クラブに行った。
母親からは、「1日中頭を使うことばかりやっていてよく平気だねー。疲れない」なんて皮肉っぽいことを言われていた。と言うより完全な皮肉を言われていた。将棋のせいで勉強がおろそかになっているということが言いたかったのだろう。将棋の方に力を入れていて進学塾のテストは適当にやっていたのであまり疲れなかったのだと思う。
その頃の日曜テストの成績はよくなかったので、親に言われてI将棋クラブに通うのは受験が終わるまで中止することになり、うまい具合に「将棋くん」はお休みしてくれた。
将棋をやらなくなると、勉強くらいしかやることがないので、確かに日曜テストの成績は上昇し、母親から皮肉を言われることもなくなった。
夏休みには、塾の勉強合宿で霧ヶ峰に行った。
概ね午前中授業があって、午後からハイキング、夜は自習という日が多かったが、1日だけ1日中山登りという日があった。ひたすら歩き続けて山の山頂に立った時、先生が「みんなの泊まっているところはあそこにある」と指さした。それがはるかかなたにあったのでみんなで「うおーっ」という声を上げた。
子どもの体力ではなりきついコースだったので、みんな宿舎に戻るとぐったりしていた。
最終日にテストがあって、その後はキャンプファイアーだった。その頃の塾の勉強合宿というのは、だいたいそんな感じの日程でやっているところが多かったらしい。キャンプファイアーでは「遠き山で日が落ちて…」「アルプス一万尺、小鑓の上で、アルペン踊りをさあおどろ…」とか「燃えろよ燃えろーよー、炎よ燃えろ…」といった歌をみんなで合唱し、自分は別に感激するというほどでもなかったがいい歌だと思った。
こういった歌を、習ったまんまではなく自分たちで替え歌にして歌うことも多かった。
例えば『アルプス一万尺』の替え歌は「親父の頭にたくあん乗っけてそれがホントの親孝行…」という歌だった。
この歌を覚えて帰り、家で歌っていたら父親がブチ切れて、「なんだそれは、合宿で覚えて来たのか。もう合宿なんかには行かせないぞ」と怒鳴り上げた。
子ども心にも、そんなに聞いた瞬間ブチ切れるようなことでもないような気がしたが、やばいと思って謝った。ような気がするが、そのへんはあまりよく覚えていない。もしかしたら、謝らないで逃げてしまったかもしれない。
この頃の父は、仕事がうまくいっていなかったのか、家でもイライラしていることが多かった。
それと、合宿中テレビのCMのものまねをしている子や大人が歌うような歌謡曲を歌っている子もいた。
テレビのCMでは、「自分の影をみつめてパッと空を見る」というセリフが入るチョコレートのCMが合宿中流行っていた。これは自分が通っていた小学校でも流行っていたので、「流行っているテレビCMはどこに行っても同じなんだな」と変なことに感心した。
歌謡曲では、尾崎紀世彦の「また会う日まで」という曲が流行った。作詞阿久悠、作曲筒美京平の有名な曲で、合宿中に口ずさんでいる子が多かったのを今でも思い出す。今考えてみると、小学生が口ずさむような歌でもないと思うのだが、当時子どもの間で流行っていて、自分もそれを聞いてしみじみとした不思議な気持ちに浸っていた。
現在時々行くスナックでも、たまにあの歌を歌う人がいて、それを聞くとあの合宿の霧ヶ峰の風景を思い出す。
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