心の中に住み着いた「将棋君」が暴れだす その12

 元奨励会員の筒美が、将棋指しになれなかった自分の人生を振り返り思い出すことを書いています。 
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※ 最初から読みたい方は、心の中に住み着いた「将棋君」が暴れだすから読むことをおすすめします。

 退会(その1)

 退院して家に戻ると父親から奨励会はやめるように言われた。
 母も父の意見に同調していた。
 というのが、当時の自分の見方だったが、今考えてみると、両親ともに反対だが、どちらかと言えば母が父を全面に立てて反対意見をいうように陰で糸を引いていたような気がする。
もちろん、どちらが中心なのかはにわかに言い難いところで、学者じみた用語を使えば、「相互作用」ということになるのだろうか。
 奨励会退会について親子で話をしたのだが、そのやりとりをそのまま再現することは難しい。その時のやりとりを完全に覚えているわけではないし、仮に再現できたとしても、同じようなことを繰り返ししゃべったり同じようなところを堂々巡りしたりしていて、それをそのまま書いたら非常に読みにくいものになるだろう。なので、ここではまず箇条書きでその時両親が言っていたことを一通り示し、それに対しその時に反論出来たことについてはその内容を書き、その時とか現在の自分の感想等についても書く。
 両親が奨励会を続けること及び将棋を勉強することに反対する理由・ものの考え方およびかなり感情的な比喩的表現等は、だいたい次のようなものだった。大きく分けて20程度になり、自分との話し合いの場においては、主に父が中心になって主張していて、母もこれらに賛同したり時々自分の意見を言ったりしていた。
 両親が奨励会を辞めた方がいいという主張に関して挙げていた理由等は、一見かなり多岐にわたっているようだが、わりあい同じような見方・流れから出てきたことが多かったと思う。今振り返ってみても、「観察点が一つしかないのではないか」という印象がある。
 だが、自分の人生とか親子関係とか昭和から平成にかけての時代の流れ等について考える上で大切なポイントが多く含まれていて、考えていくといろいろなことがわかりそうである。
 日本史だったら「大化の改新の意義」とか、西洋史だったら「ローマ帝国の滅亡の原因」などに相当する、なかなか基本的で大切な考えどころだと思う。
 なおこの時の話し合いの進め方は、「紙やペンを一切使わなかった」「両親と自分以外の人は話し合いに参加しなかった」というこの二つが基本的な特徴だった。
 紙やペンの使用については、もちろん、「論点とかポイントなどを紙に書きだして、どのような視点から双方の主張を比較検討するのが適切なのか方法論を考え、合理的な思考・判断を重視する」というようなことを目指してうまく話がすすむことではなかったと思う。小学校の学級会とか大学のゼミでの討議が目指しているような、スマートな論点整理やロジカルな判断などによってうまく双方が納得できるような結論が出てくるようなことではなかったのだろう。 
 でも、補助的な方法にとどまるとしてもそれなりに重要なことで、できるだけやった方がよかった。
 それと、話し合いに参加する人が自分と両親の3人だけだったのは、致し方ないところもあるが、できれば、第3者的な立場で、前述のような紙とペンを使って双方の意見をまとめる人が参加するとよかった。
 でも、どういう人がいいかというとなかなか難しい。できれば親戚のおじさんとかおばさん等で両親と自分の双方のことをよく理解していて、意見をまとめたり話し合うための方法論を考えるのがうまい人がよかったと思うのだが、なかなかそういう人に恵まれることは少ないのかもしれない。
 まず箇条書きでその時両親が言っていたことを一通り示す。

1 将棋は畳の上に座って指すので、腰によくない。囲碁ならば、椅子に座ってできるので囲碁の方がいい。
2 将棋のプロ棋士は収入が不安定で、特に年をとってから収入が少なくなる。
3 プロ棋士は、自営業者扱いなので年金が少ない。
4 将棋連盟は、経済的に裕福ではない。
5 将棋のプロ棋士は社会的地位が低い。
6 将棋のプロ棋士になると結婚するのが難しい。
7 将棋のプロ棋士には頭がおかしくなる人がいる。
8 奨励会に入ってから半年程度経ち、やる気が薄れているのではないか。
9 将棋のプロ棋士になるには、才能が不足している。
10 将棋より囲碁の方が圧倒的に社交の手段として利用されることが多いので、将棋よりも囲碁をやった方がいい。
11 将棋界は表面的に見るとよさそうだが、実はそんなにいい世界ではなく、普通に勉学に励んだ方がいい。
12 父が大学時代に共産党に入党した人がいたが、その後やめている。
13 父が同窓会に参加すると、いつも出てくる人と全然出てこない人がいる。
14 そもそも将棋のプロ棋士という職業は、あまり職業として成り立っていない。平和な時代だったらいいけど、戦争になったら、娯楽関係なんかはすぐに駄目になる。
15 奨励会にこだわらずもう少し広く世間を見た方がいい。
16 趣味が高じて職業になるのなら仕方がないが、最初からプロを目指すべきではない。
17 将棋ばっかりやっていて、学校の勉強をちゃんとやらないと後で取り返しのつかないことになる。
18 奨励会を続けていくのは、鎌倉で女と海に入って自殺するようなものである。
19 奨励会時代のことはいい経験だったと考えればよい。
20 学問や教養は若いうちでないと身につかない。

 思い出す順に書いたので、奨励会退会を薦める理由としてわかりやすいものと、少し説明しないとわからないものが混在しているし、重複しているところもある。また18のような比喩的表現や19のようななぐさめの言葉のようなものも含まれている。現在の自分の頭の中身をできるだけ忠実に写すということも大事だと思い、あえてあまり整理しないで書いた。順番は、重要な順ではなく、思い出した順である。だから、わりあい思い出したくないその頃に言われて嫌だったこととか、言われても全然ぴんと来なかったことが後ろの方に来ている。
 自分と両親とのやりとりを、実際に当時話をしたとおりに鍵括弧つきで書くことはできなかった。思い出すことができないし、もし思い出したとしてもそれをそのまま書いたら、かなり重複が多く混乱した内容になるだろう。なので、やや俯瞰的にまとめた書き方になった。
 書き出したものをよんでみると、わりあい昭和時代の親子関係とか時代のものの見方を考察する上でヒントになりそうなことが出ていると思う。世界の認識方法の違い等を含む自分と親の間の溝とか川のようなものを発見できるといいと思うのだが、それができたとしても、それがどうしてできたのかというところはなかなかわからないのかもしれない。それが生じた原因はそれなりになかなか複雑でいろいろな要因がややこしく絡まり合っていたような気がする。
 自分と自分の親の間には、昭和一桁生まれと昭和30年代生まれという世代の違いがあり、それと同時に当時の年齢も中学生と30代・40代という違いがあった。それと、立場の違いといったらいいのだろうか、自分の進路について考えるのと息子の進路について考えるという違いもあった。
 そういったことを考えていると、雨にけぶる海のかなたの水平線が想い浮かぶ。どこまでが海でどこからが空なのか、目を凝らしてみてもわからない。それに似て、溝とか川のようなものを発見できたとしても、どこからどこまでがどのような原因で出てきたのか、どういうことを反映しているのか、等々を正確に把握することは至難の業だと思う。
 こうして両親が言っていたことをまとめてみると、とにかくとても熱心で量が多いことに気がつく。頑固おやじみたいに「ダメなものはダメ」と言うわけではなく、少なくとも入り口の部分では、アメリカから輸入された日本の戦後民主主義的な親子の話し合いを重視している。ただし質の面では、多面的・多角的にいろいろな見方をしているという感じではなく、同じ考え方に基づいて同じ角度から物事を見て同じ結論に至っていることがたくさん並んでいて、金・出世・結婚などに関することが圧倒的に多くものの見方が一面的である。また、理由等をそれなりに述べてはいるが、こちらの意見もよく聞いて、「双方の主張をどのようにして比較検討するのか」という方法論を考えるということはなかった。   
 その点は、両親が戦後民主主義的な考え方を表面的・部分的にしか取り入れていなかったのか、それとも日本の戦後民主主義がアメリカから輸入する時に歪められたものだったのか、そもそも本家本元のアメリカの民主主義自体に欠陥があるのか、いずれの理由なのか、複合的な理由なのか、そこは自分にはわからない。どうも、アメリカにあるとされていた民主主義自体偽善的・形式的で極めて底が浅いもので全然素晴らしいものなどではなかったような気がするのだが、もちろんしかるべき方法できちんと調べたわけでもないし、そもそもこういうことを正確に調べる方法などないのかもしれない。
 今振り返ってみると、「当時としてはわりあい常識的な普通の考え方なのかもしれない」という気もするのだが、それと同時に偏見・先入観・差別的雰囲気も感じる。当時の自分には、まだ偏見とか差別的雰囲気等の言葉や概念はあまり身についていなかったが、そういった感じのことは、その時も思った。が、もちろん自分だって多面的なものの見方ができていたわけではない。
 「当時としては…」と書いたが、現在の中学生の親でも言いそうなことと、言いそうにないようなことがある。共産党とか同窓会とか戦争のことなどは、今の親はまず言わないだろう。逆に「~いい経験だったと考えればよい」なんていうことは今の親でも言いそうだし、経済的なこととか社会的地位のことなども、現在の親が言ってもおかしくない。
 両親と自分の当時のものの見方を比べると、両親は学歴幻想に囚われた自閉的な世界観をもち、自分も将棋幻想に囚われた自閉的な世界観を持っていた。両者ともに自閉する世界に生きている点では共通点もあったのだが、囚われている幻想が異なっていたのでなかなか話し合いらしい話し合いが成立しなかった。ということだと思う。文化人類学じみた言葉を使うと、「神話を信じている点では同じだが、違う神話を信じていた」という言い方ができる。
 現在では週刊誌に「子どもにやらせるのは囲碁と将棋どちらがいいか?」という記事が出るくらいで、将棋で脳や心を鍛えることが学校の勉強とか将来の仕事に役に立つという考え方もそれなりに知られているようだ。教育学の用語を使うと、「基礎的汎用的な思考力・判断力が身につく」という言い方ができるのだろう。当時の両親の考え方は、今の目で見ると古いようにも見える。
 両親は、明確なわかりやすい理由があって奨励会を続けることに反対しているわけではなく、最初にあるものは息子が将棋の棋士を目指すということに対する生理的・感情的・感覚的で漠然とした不安感や嫌悪感であり、理屈は後からつけた、という感じがする。結局、繰り返しになるが「学歴」と「奨励会」というふうに囚われている幻想なり神話なりが違っていたので、論理的な話し合いによって解決することは難しかった。
 両親の考え方は、当時の新卒一括採用・終身雇用制という日本的な雇用慣行とか、それと関連が深い一流大学・一流企業に入るのが得だという考え方を反映していて、学歴幻想あるいは学歴偏重主義・学歴至上主義といった昭和30年代の高経済成長時代の考え方に染まっていた。一方、自分は奨励会幻想に囚われた将棋至上主義者だった。
 息子の将来を考えて真剣に話している、という雰囲気は感じたものの、どうも最初から結論が決まっていて、なんでもいいから理由になりそうなことを手あたり次第たくさん列挙しているという印象だった。総花的で「ここを一番大事だと考えているのだ」というポイントがわかりにくかったのである。「奨励会反対理由A・B・Cがあり、Aの根拠としてD・E・Fがあり、Dの根拠としてG・Hがあり、次にBの根拠としてはI・Hがあり…」というふうに体系的・分析的に述べられているわけではなく、思いついた言葉を手当たりしだい投げつけているという印象だった。現在冷静に考えてみても、こういう印象は確かに概ね妥当だと思うが、分析的・体系的でない反面、単純で力強かったのだ。ともいえる。でも、それだけで中学生を説得することは難しかった。
 ただし、確かに総花的ではあるのだが振り返ってよく見てみるとどうも14と17の二つが一番基本的・根本的なポイントだったようだ。
 両親にとって、将棋を指すことを仕事にしようと修行していくということが、感覚的。生理的にまともなこととは思えなかったのだろう。今で言えば、勉強しないでテレビゲームで遊んでばかりいる子から、「プロのゲーマーになるから勉強よりもテレビゲームを優先して勉強したい」と言われるような感じかもしれない。
 そんなに反対ならば、奨励会に入る時に反対すればよさそうなものだが、父は自分が奨励会に入ってもどうせコテンパンに負かされてすぐに嫌になるだろうと思っていたらしい。それと、「足腰が不調になったタイミングから見て、不調の原因は畳に座って将棋を指すためである」ということを本当に信じている面もあったようだ。
 これらの理由に対し、1・5・14・18に関しては一応多少は自分の意見を言うことができたのだが、それ以外についてはほとんど自分の意見を言うことができず、あまり有意義な話し合いにはならなかった。
 母は概ね父の言うことに頷きながら、自分も特に賛成だと思うところに関してここぞとばかりにうなずいたり口をはさんだりしていて、年金・結婚・出世というところをかなり重視していた。昭和時代の平凡な主婦らしい視点だったと思うが、特に年金にこだわりを持って異常に熱心に話していたところが印象的だった。

※ 次の話→心の中に住み着いた「将棋君」が暴れだす その13

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